わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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よしりんの反安保法制論の魅力
小林よしのり氏はひきつづき安保法制反対の論陣を張っている。
最新の論考は、「弁護士ドットコム」ニュースの「「自民党議員は『保守』ではなく『ネトウヨ』」安保法案・小林よしのり氏に聞く」である。
率直に言ってやっぱり面白い。どこが面白いかというと、「よく言われている話」として定型に回収されてしまう言論(すなわち、人々の心の垣根をすり抜けて人々を囲う言論の檻のカギにアクセスする能力を持たない言論)から徹底的に自由であることだ。

戦争法案っていう表現は、的確ではない。これは、アメリカについてくためだけの法案だから「従米法案」で、だからダメだってワシは言ってる。


現在の巷の議論のレベルは、これを「戦争法案」と呼ぶのは怪しからんのかどうか、というところで膠着している。はじめに「平和法案」という呼び名を「戦争法案」と切り返した時点ではそれは新鮮だったかもしれない。だが、その「戦争法案」という特徴づけがほぼ常識となった今の時点で、この特徴づけだけでは安保法制の重要な本質を描ききれない、という面に自覚的批判勢力はそろそろ気づくべきなのではないか。

そもそも、自衛隊は軍隊じゃないんですよ、やっぱり。自衛隊は軍隊じゃないっていうことを、みんなどうやら忘れて議論しているみたいで。軍隊じゃないもので集団的自衛権をやろうとすると、これはどうしても矛盾が出てくるんですよ。


これも実に的確で射程の広い問題提起だ。安保法制批判派は、安保法制によって自衛隊がいよいよ本格的に軍隊として変質していくように見えるとして批判しがちである。しかし、実は本質的な矛盾は、自衛隊を軍隊と扱わないままに安保法制に動員しようとするところにこそあらわれているのだ。例えば伊勢崎氏が断じているように、自衛隊を正しく軍隊として扱おうとしない日本政府の姿勢にこそ最も深刻な問題があるのである。
安保法制反対派は、集団的自衛権にまで踏み込もうとしながら、結局のところ自衛隊の米国への切り売りのみを目的としている日本政府の限界からくるこの問題に、もっと厳しく切り込むべきだ。

こうして考えてみると、現在安保法制をめぐって生起している問題の本質は、「戦争法案」としてとらえるよりも、「従米法案」としてとらえたほうがよりはっきり見えてくるように思う。

法案を通したい人たちは、もはや一国では守れない世界になりましたという。でも、これは全くのウソ。軍事同盟を結んでない国って、世界にいくらでもあるわけ。それで、国は守れないっていうのはウソなわけ。ペテンのプロパガンダだよ。


日本をどうやって守るのか。安全保障政策として何が適当か。実は安保法制反対派の多くはこの論点に鈍感だ。だから実は、「一国では守れない世界になりました」という安保法制の主張にバッサリ答えることが不得意だ。翻って小林よしのり氏は、安全保障の世界標準がすでに軍事同盟によるものでないことを理解しているから、こうまで見事に切れるのだ。
尖閣諸島の防衛に関するリアリズムの主張も切れまくっている。軍事戦略に踏み込んでのリアリズムに基づく損得勘定に関する議論を踏まえた主張となっているからだろう。

結局いま、立憲主義を守るのか、国際関係の逼迫感なのか、この2つが天秤にかかっている。ワシが問題視しているのは、「立憲主義の危機」なんですよ。憲法9条の危機ではない。左翼は憲法9条の話をするけど、ワシは違う。「立憲主義が壊れることがとってもまずい」って言っているんです。


まったくそうだと思う。安保法制派の論理は、日本をめぐる情勢は、立憲主義など守っていられないほど逼迫している。という。しかし、このように浮き足立って立憲主義を破壊、すなわち国を自ら壊すことを必要とするほどの恐怖の異常事態なのか? それに相応する危機があるというのか? これをいったん問いとして成立させてみることで、安保法制派の論理が相当「イッてしまっている」ものであることが改めてわかる。
あえて天秤にかけてみることを、本当は安保法制反対派が提起してもよいはず。だが、これらの人々は軍事的考量をはじめから拒否する傾向があるため、この天秤を作動させることがなく、重要な議論に踏み込めないことになる。
これはもう一方では、安保法案の対立概念を9条だけに矮小化するべきではないことを意味している。9条を原理的に至上のものとだけとらえていると、より大きな問題点に気づくことができなくなるのである。

たとえば、安倍首相が、米議会で演説したとき、「日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした」と言っちゃったわけ。ホントだったら、保守だったら、激怒しないといけない発言ですよ。

違いますよ。日本とアメリカの出会いは、砲艦外交と不平等条約だから。幕末にだって、横井小楠のように議論で政治をすべきだと言っている人がいた。



安倍首相と安保法制派の米国観のゆがみはもっと深刻に議論されてしかるべきものだ。そして同時にこのような安倍演説を絶賛する保守論壇の水準が知れる。ネトウヨ水準なのである。

思うに、こういう芸当ができる理由は、科学的な世界観と徹底したリアリズム、具体的事実と歴史に謙虚に学ぶ姿勢にあるのではないだろうか。

そしてもう一つ。反対の意見を持っている人々の意見にも虚心坦懐に触れようとすること。何でも受け入れるのではもちろんない。つまるところ、その人にもそれなりの「論理があること」、同時に限界があることを認識しようとするのだ。

右も左もそうだよ。左も左で、自分がこのポジションだと決めたら、自分のポジションに利する言論しか耳に入ってこないんだよ 。相手はなぜそう主張しているのかを考えることができなくなる。ものを考える事よりも、自分のポジションでものを言う事に正義を感じてしまうわけ。



僕がよしりんに感じる魅力は結局ここに通じる。で、超左翼の編集長にもね。
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