わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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東京裁判について
東京裁判について、いくつか考えてみた。ということで、まとまった主張をするというより、思ったことの備忘録という面が強い。重大な間違いなどがあればできるだけ直していくようにしたい。なおここでは、その他の軍事法廷も含めて議論に入れてしまうことにする。

東京裁判の政治的根拠

東京裁判とはどういう裁判か。根拠はポツダム宣言第10項にある。英語版

We do not intend that the Japanese shall be enslaced as a race or destroyed as a nation, but stren justice shall be mated out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners.

あるいは、現代日本語版

われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようとする意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。

したがって、ポツダム宣言を受諾した時点で、かような法廷が開かれることは予定されていた。勝者として敗者を裁く権限は、ここに根拠を持つといえるだろう。なお、ポツダム宣言受諾=無条件降伏という理解があるが、ポツダム宣言には、例えばどのような条件が満たされたら占領軍が撤退するか、といったことが書かれているという意味で、なにやってもよしの無条件降伏とはいえないという主張には、一定の根拠がありそうである。

とはいえ、連合軍軍隊の駐留と日本国の完全な武装解除を求めるなど、限りなく無条件に近いものと読める。

さて、上記「一切の戦争犯罪人」の中身であるが、この内容を連合国側は、「平和に対する罪」、通常の戦争犯罪、「人道に対する罪」と定義し、これらをいわゆるA/B/C級戦犯として裁いたということになる。この辺については先日のブログに書いておいたとおり。

「人道に対する罪」については、旧ユーゴ国際戦犯法廷などでも裁かれているらしい。いっぽう、軍事介入をしたNATO軍側の戦争犯罪も提起されるべきとする議論も存在する。「平和に対する罪」は、誰が侵略者かと言う点が明確でない場合も多いため、東京裁判・ニュルンベルグ裁判以降は未だに適用された例がないらしい。

第一次大戦後には既に、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の処罰が試みられたが、戦争開始を違法とする制度がなかったため、断念したそうだ。戦争違法化の流れは1928年のパリ不戦条約という形で実る。戦争自体は国際法にまったく違反しない行為だという主張はよく聞くのだが、こう見ると正しいとはいえないように思うのだが。

原爆投下はやはり「人道に対する罪」ではないか、という意見もある。ところがこの問題については一切法廷に提起されることがなかった。ここに、政治的思惑があったことは否定できない。

追記(2005/06/09): しかしながら、これはそもそも勝者が敗者を裁く戦争状態下における「裁判」であり、勝者である連合国側の戦争犯罪が裁かれなかったことは、当然であるという意見もありうるだろう。

なお、ポツダム宣言第10項の後段

日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。

から、日本において占領軍が行った検閲などをポツダム宣言違反であるとする主張に接した。しかし、この部分は、来るべき民主主義的な日本政府において確立されるべき基準と考えたほうが適切であろう。

東京裁判は裁判か戦争の一局面か

東京裁判にことさらに法的正当性を要求し、そのすべてを否定する議論がある。しかし、東京裁判は日本と連合国との間に行われた戦争(および戦争状態)の継続過程であり、戦勝国によって戦敗国を裁いたものである。東京裁判はこの特定の軍事的力関係の中で行われた政治的裁判であることを直視するべきだ。特に、日本の開始した戦争が正当なものであり、覚悟のもとで始めたものだというのであったらなおさら、軍事的な力関係の元で出た結果も受け入れなければ筋が通らないだろう。それとも、負けたら対等な関係を当然のものとして要求するつもりで戦争を始めたとでもいうのだろうか?

東京裁判に法的な問題点があるから、あるいは勝者に有利だから、といった理由だけでその全面否定に走るのは適切ではないと考える。この主張はその意図とは裏腹に、「戦後の平和主義」のもとである種の国際感覚が麻痺させられていることを示しているようだ。

東京裁判の受諾について

いずれにせよ、こうして裁かれた結果は、サンフランシスコ講和条約の中で、日本として受け入れることが確定している。同11条

第十一条【戦争犯罪】  日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

この時点で軍事的位相から平時の位相へと移行がなされ、諸判決は正当なものとして確定したとまずは理解される。小泉首相も同様の認識を持っているようだ。

なお、ここで受け入れたのは「判決」であって、「裁判」ではなかった。日本語の訳文は誤訳だ! というページもある。ここから、裁判の意図から判決理由にいたる部分を判決結果と切り離し、受け入れたのは「判決結果のみ」であるとする議論が生まれる。しぶしぶ判決結果は受け入れたが、その理由は受け入れた覚えがないと言い張るための論立てである。純粋論理的には不可能ではないのかもしれない。

一方、この11条には、戦犯の赦免への道を明らかにし、同時に勝手に赦免しないように歯止めをかけるという意味も持っている。しかし、赦免とは決して過去の有罪判決を誤りだったと取り消したものではない。彼らが必要な罰を受け、全うしたことを意味しているに過ぎない。その意味で、これを名誉回復だと規定する事には、偏向した政治的意図が背景にある事も多く見受けられる。この文脈において意味のある「名誉回復」とは、過去に罪を犯したとされたことは誤りだったと認定することである。

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