わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
07 | 2017/08 | 09
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「憲法九条の軍事戦略」を読む
膠着する日本の情勢に一石を投じようとする編集長の「憲法九条の軍事戦略」が出版された。

抑止力に頼る戦略と、専守防衛を文字通り守る戦略の対立として戦後史をまとめ、米国の軍事力という圧倒的な存在を背景にした抑止力に頼った日本政府が、必然的に対米従属と軍事戦力に対する思考停止に陥っていく過程をあきらかにした。この本の主題は、米国の軍事力を背景とした抑止戦略から自由になり、専守防衛戦略を採った時に、どのような展望が開かれ、どのような自前の戦略を描けるかという問題に関する試論である。
この本にはもう一つの思考停止をえぐる側面がある。日本の平和勢力、あるいは護憲派とされる人々が、今日の現実を十分直視することなく、安全な地点からのみ平和を唱えて思考停止する限界があったこと。現実を動かそうとするなら、その立場から出て、全面的な軍事戦略を立てる必要があることを論じたものでもある。

本書の意義は、憲法9条の軍事戦略の基本線を提起したことにある。政権側が米軍頼みで思考停止している現在、それは実は現存する唯一の日本独自の軍事戦略なのかもしれない。自衛隊の存続を前提に構築されるこの軍事戦略は、専守防衛あるいは拒否的抑止の立場を取り、懲罰的抑止を行わない。また、集団的自衛権を行使しない。そしてこういう自制的立場を、国際政治における交渉ごとに最大限活用する。

米国の軍事戦略から自由になり、日本の安全をトータルに考える立場に立てるかどうかが本質的に重要な分かれ道だと感じる。こういう立場からのより自由闊達な議論の先鞭をつけた論考だといえるだろう。編集長によるものとはまた異なるアプローチが、多様に考えられるように思う。編集長もこういっている。

今後、国民投票が現実的な時代になってくると、九条の帰趨を決めるのは、そういう層だと思います。国民投票が行われるとしたら、間違いなく中国や北朝鮮に対する不安感が増幅している時期を選んで(つくって)、実施されることになるでしょう。そうなったとき、堂々と「攻められたらこうするのだ」と言える状況にしておかないと、壊滅的な結果につながるおそれがあります。

だから、是非、この本を議論のたたき台にしてほしいと思っています。壊れるほどたたいてもらえばいいんですから。



多様な人々が、9条の軍事戦略と自衛隊の存在を前提とした日本の安全保障政策を描いていくことが求められているのだ。

編集長は第3章で憲法9条の特性について、改めて整理している。憲法9条の特性は、実は、専守防衛を掲げている点にはないこと(これは基本的には国連憲章の下でのあらゆる主権国家に課せられた制約であること)。むしろ、憲法9条の特性は以下の2点、「必要最小限度の戦力」に限るとした自制(武器輸出禁止や核兵器の不保持を含む)と、「集団的自衛権の制約」である。これらの制約は、日本をして軍事力の保持と行使に自制的な立場であることを行動で証明し続けている珍しい国家として国際社会に認めさせている。今問われているのは、憲法9条の改定によって、これらの「制約」を克服するべきであるかどうか、ということなのである。

逆に言えば、現時点における9条の軍事戦略とは、次の立場を公式に政治的に表明するということである。
「専守防衛の立場を取り、かつ軍事力を『必要最小限度』のものに限る立場を取り、更に集団的自衛権の行使を行わない」
このような立場を日本が取ることは、どのような展望をもたらすか?

編集長は第3章では、制約の価値が国際政治で生きている事例を、二つの角度からあげている。一つは、世界の軍備の縮小管理のうえでのメカニズムの形成のための日本の役割である。国連軍備登録制度や国連小型武器会議における活躍などを挙げている。もう一つは、紛争地域での武装解除などの平和維持活動における日本の役割である。シエラレオネやアフガニスタンにおける実例を挙げている。
専守防衛に加えた二つの制約を自ら課し、それを国際社会の合意としようとするような国があることの意味は大きい。世界にいろいろな論理の国があることによって問題解決のとっかかりが生まれうるのである。
武器の透明性の増進や、相互信頼を醸成することによって、国際社会の緊張を和らげるという効果があるし、事実その効果を発揮してきている。2007年の国連軍備登録制度への中国の復帰は、その重要な証明である。

第4章では、より具体的に憲法9条の軍事戦略の展開を試みる。侵略をされた場合にはいかにそれに対峙するのか、侵略を未然に防ぐための経済政策と政治交渉はいかにあるべきか、平時の関係性をいかに構築するか、という問題に進んでいく。この中で、侵略に対する対応の仕方に関する編集長の見解がよく出ているのは仮想敵国からのミサイル基地攻撃に関する議論である。
結論的に編集長は、このような事態に対しては、ミサイル基地に対する攻撃能力を持つことは許されるという観点を明確にしている。このような立場をすっきりととることのできる護憲派はこれまで珍しかった。なぜかというと、このような攻撃能力は同時に、他の懲罰的抑止や軍事侵略にも利用可能であるからだ。そのために、国内的には反戦派によるミサイル基地攻撃能力に対する反対論が、国外的にはそれを侵略の道具として非難する議論が生まれうるのだ。この点についてどうこたえるか。この点こそ実は憲法9条の軍事戦略の重要な優位性だ。編集長の答えは単純だ。9条の軍事戦略を体系的、公式に表明し、ミサイル基地に対する攻撃能力を、拒否的抑止にのみ用いることを公的に表明し、その立場からの実践を積み重ねることだ。この実績があれば、国際社会でも理解されるだろう。実績がなければ北朝鮮と同様、理解されないだけのことである。現日本政権によるものであっても、理解されるかどうかは微妙だろう。

第5章では在日米軍との関係性を論じた。日本の独自の軍事戦略を確立すること。そのもとで、東アジアにおける日米中のあるべき関係性の構築へ向けて、米国の極東戦略を変えさせるために日米安保条約のあり方を変えていくこと。あるいは日米安保条約を解消することを論じている。


尖閣問題の現実の膠着状態そのものが、編集長の本の立場の重要性を明らかにしているように思う。領土の正当性の主張は必要条件だが、それだけでは領土を守れないこと。「毅然として対処する」と言うのは結構だが、現在の国際的な力関係を現実的に織り込んだ外交的、政治的な手段を尽くすもう一方での努力なしには領土を守れないことをこの間の現実が証明している。「毅然として対処する」のは美しいかもしれないが、現実に中国の力が押しとおったのではそれは敗北なのだから。
スポンサーサイト
この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://wa2zoo.blog8.fc2.com/tb.php/626-3ad12f54
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
    ↑は、日本最南端の碑

最近の記事

TBポリシー

このブログは、言及をした場合にトラックバックを送るという原則を堅持します。ただし、このブログに対する非言及トラックバックは許容します。理由はこちら

ブログ内検索

バナーエリア




「キャプテン」イガラシ全国大会版アニメ化を
応援しています
「キャプテン」近藤版も期待しています

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード

月別アーカイブ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。