わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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「民族の自由」という概念
「民族の自由」という概念に触れたのは大学生になってから、日本共産党の「自由と民主主義の宣言」を読んだときである。この文書では、日本共産党がより自由な政党の活動や報道の自由、政治的発言の権利を保障する立場であること、国民の経済的な権利を擁護する立場を取ることについて明確に宣言をしていた。高校生の頃も「赤旗」等の報道に触れていたから、日本共産党は、ソ連や中国のそれとは全く性質の異なるものであることはよく理解していた。これらの自由については、「生存の自由」・「市民的政治的な自由」としてまとめられていた。
しかし、当時僕が理解できなかったのは、「民族の自由」という第3の民主主義の内容であった。どちらかというと唖然とした。面食らった。「民族」だと? 戦前の亡霊のような概念がなぜここに出てくるのか。そしてそれが自由の構成要素だとは??

ちょっと前のエントリーでの内田さんの記事に対する感想にも触発されて、あらためて「自由と民主主義の宣言」を読んでみた。

「民族の自由」はばかげたアナクロニズムだと思った。掲げられている理由を一切理解できなかったといってよいだろう。民族と言えば戦前の国粋主義と僕の中では完全に直結していた。僕にとって日本の問題はあくまでも自民党の「保守的な体制」の問題であった。当時国家機密法制定の動きもあった。戦前のような言論の自由もない体制に戻そうとする勢力。軍拡に向かい、戦争をしたがる勢力。そんな勢力の代表に頭の固い自民党の政治家たちがいて、彼らを打ち破ることさえできれば日本は生まれ変わると信じていた。
それなのになぜ「民族の自由」なのか? 戦前のように日本の独善的な行動を是とするのか? 社会党やその他の左翼勢力は決して「民族」を肯定的な文脈では用いていなかった。そちらの「新しくて開明的な」立場のほうがずっと輝いて僕には感じられた。

だが今日僕にはよくわかる。「民族の自由」がなぜ重要なのか。左翼がなぜ民族の自由を主張するのか。ベネズエラのチャベス氏らのように、これこそがむしろ国際的には左翼のスタンダードだ。この点でグローバルスタンダードなのは当時の社会党などのような「サヨク」ではなく、共産党の左翼だったのである。同宣言から引用する。

第3は、各国の進路と運命は、その国の人民が決定するものであり、他のいかなる国家、いかなる民族も、これに干渉することは許されないという、民族自決の権利――「民族の自由」が、社会発展の不可欠の前提であって、これを全面的に擁護することは、科学的社会主義の本来の原則的立場だ、ということである。
マルクス、エンゲルスは、すでに「共産党宣言」(1848年)で、社会主義革命がまずそれぞれの国民の民族的事業としておこなわれることを指摘していたし、民族の主権と独立の確保が、それぞれの国民の社会的前進および諸国間の国際的協力の、欠くことのできない前提条件であることを、くりかえし強調し、いっさいの民族的抑圧に反対した。エンゲルスは「全民族の自由な発展と個々の民族の自由な発展」なしには、各国で社会革命について考えることもできないし、相互援助によって、それを完遂することもできない、と強調した(ナデジデへの手紙、1888年1月4日)。



社会の発展は民族を基礎に行われること。そしてとりわけ帝国主義的世界秩序に代表されるような民族的抑圧は、それぞれの社会発展を妨げる最大の障害であること。民族の自由は、社会発展の不可欠な前提ですらあることを、むしろマルクス・エンゲルスらは主張していたのである。

現在の国際関係には、依然として他民族にたいする侵略、抑圧、干渉が横行している。アメリカ帝国主義は、ソ連解体後も、他民族にたいする軍事的侵略の政策を放棄しておらず、ベトナム侵略戦争をいまなお「正義の戦争」として美化する態度をとり、これを共通の「価値観」として、同盟諸国にも押しつけている。アメリカの軍政首脳部は、「地域紛争」の「抑止」あるいは「解決」を名目として、自分の気にいらない進歩的政権の転覆をふくめ、他国の内政への干渉をこととする「世界の憲兵」戦略を公然と採用し、これを、世界唯一の超大国・アメリカの当然の権利だとする立場をとっている。これらの干渉主義、覇権主義は、その国の人民が民族的主権にもとづいて自由に表明した自主的な選択を、外部からくつがえそうとするものであり、世界平和の利益と民族的自決の原則のもとで許されることではない。またアメリカ中央情報局(CIA)は、世界各地で謀略活動をおこない、日本でもCIAなどの非公然の形をとった秘密工作による日本の政治にたいする不当な干渉がおこなわれてきた。社会体制の別なく、国と民族の大小を問わず、すべての民族の自決権が尊重されなければならない。いかなる外国からのものであれ、またいかなる形態のものであれ、いっさいの干渉を排除し、民族の自主的な選択を守ることは、民族間の真の友好関係を確立するうえで不可欠である。



今日のTPPをめぐる問題もここに帰着する。まずもって日本国民はその国家を真に日本国民を代表するものに変えること(革命)が必要であることがわかるのである。
まだ「サヨク」だった大学に入りたての頃の僕にはわからなかったことだ。「民族の自由」という規定は、本当の左翼の立場からの自然な帰結だったのである。

改めてこの「自由と民主主義の宣言」を読み返してみて思う。今一歩この文書は発展をはかる必要がある。経団連に代表されるような日本資本主義の多国籍化の流れや、アメリカ側の戦略の変化をどのように評価するのか。イラク戦争を経た世界をどのように見るのか。もう少し踏み込むとすれば、日本国民の独立の課題という当面な課題で例えば「天皇万歳」的な流れや、自衛隊存続論者とも手を組めるものとして発展させる覚悟があるのかどうか。

グローバリズムの蔓延の下で、世界の諸国民は多国籍企業の衝動的な経済活動に経済的主権、政治的主権を簒奪されているといえるのではないか。国民主権を確立することが、他の課題を凌駕する戦略的かつ人類共通の課題として浮かび上がりつつある。こういう認識が必要な時代にあると僕は考えている。
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