わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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グローバル資本主義と国民国家の対立
内田さんのブログから。

日本において私たちが経験していた子どもたちの「学びと労働からの逃走」は国際共通性の高い問題だったということです。
おそらく、これと類似した現象は、規模や深刻さは違っても、世界のいずれの先進国でも起きているのではないかと思います。では、それはどんな現象なのか。
それは大づかみに言うと、「グローバル資本主義」と「国民国家」の利益相反という事態であろうと思います。


この二つの存在のタイムスケールはそれぞれ、四半期と百年(人間の寿命のスケール)である。この二つはそれほどに異なる存在であることは明らかだ。

もちろん、私と危機感を共有する人は少なくありません。
彼らはどうにかして、「国民国家的なもの」、とりあえず「寿命の長い共同体」を想定して、そこに参加して、先行世代から「パス」を受け取り、後続世代に手渡すという「物語」を採用しないと子どもを成熟に導くことは困難であるということは理解しています。
私としては、そういうつよい危機感をもった人たちが自然発生的に「学びと労働の拠点」を構築して、グローバル資本主義の放つ「圧倒的な合理性」に対抗するというかたちしか、短期的な戦略としては構想することができません。


同感である。

でも、グローバル資本主義はそんなものを求めていません。彼らが求めているのは「とりあえず次の四半期の収益を上げるのに資する人材の育成」です。能力が高くて、賃金が安くて、体力があって、権利意識が希薄で、批判精神が欠落していて、上司に従順で、いかなる共同体にも帰属せず、誰からも依存されていない、辞令一つで翌日から海外の支店や工場に赴任できる若者(それを日本の文科省は「グローバル人材」と呼んでいますが)、そのような若者を大量に備給することが学校に求められています。
国民国家内部的な発想をする教師たちはそういう要求につよい違和感を覚えます。
「そんな子どもたちばかりを育てた場合に、彼らは30年後、50年後にどうなるのか?」という不安を感じます。ちゃんと家庭を営めるのか? 子どもを育てられるのか? 地域社会の担い手になりうるのか?国民国家のフルメンバーとして公共の福利に配慮できるのか?などなど。
でも、こういう問いはすべて国民国家内部的には意味があるけれど、グローバル企業にとってはまったくナンセンスな問いなのです。


グローバル人材なるものの本質はこれに尽きると思う。そして、今教育がなすべきことはここに尽きているとも。わにぞうなりに、人の間尺に合った国民国家的なものの力を育てることに向かいたい。ここにおいて、中野剛志も完全に同調しうる議論が成立しうる。
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