わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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大阪府教育基本条例案を見てみる
とりあえず見てみるところから。

(基本理念)
第2条 府における教育行政は、教育基本法第2条に掲げる目標のほか、次の各号に掲げる具体的な教育理念に従ったものでなければならない。
  三 他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く人材を育てること
  四  不正を許さず、弱者を助ける勇気と思いやりを持ち、自らが社会から受けた恩恵を社会に還元できる人材を育てること
  六 グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で
    競争力の高い人材を育てること


「他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く人材を育てること」が大切だと僕も子供のころは思っていたかなぁ。でも、自分の能力だけで物事を切り開くなどという突っ走りがいかに迷惑なものであるかをほどなく学んだように思う。この条文「三」を単に素晴らしいと言う人がいるとしたら、相当幼いか、本当に社会の中で(あるいは学校の中で、でもいい)、みんなで何かを成し遂げたことがない人なのではないか。
機能する組織というものは、僕の経験から言うと、それぞれがほかの人に依存をし、互いの責任の在り方を分担し、それでも互いに助け合い、自己の判断と責任だけで暴走せずにマメに相談し、みんなで道を切り開くものだ。この条文「三」みたいな人を大量生産するのはやめてもらいたいものだ。
もしかすると、この条例を欠いた人々は、学校ではそういう人々を育てておいて、社会に出てからそういう人間観、組織観を打ち砕かれてまともな社会人に成長することを予定している、ということなのかな? とうがった見方をしてみたりする。えっと、そういうことなの?
「社会から受けた恩恵を社会に還元できる人材」という。要するに、個々の国民と社会の関係はイーブンイーブンであるべきだと言っているのである。お返しいただけない迷惑な人が生じないような社会が、この条例案の理想なのだ。そして例によって「グローバル社会だから」の呪文を持ち出している。そしてまた競争力だ。

個人の自由な競争によって成長する社会。このようなおめでたい人間像、社会像は無効化しつつある現代の目から見ると、ものすごくレトロスペクティヴなものだ。平成の入り口のころの風潮から何も進歩していないらしい。当人たちは世界の先端を走っているつもりでいるから、困るのは周囲だ。

第5条  府における教育行政は、教育委員会の独立性という名目のもと、政治が教育行政から過度に遠ざけられることのないよう、選挙を通じて民意を代表する議会及び知事と、府教育委員会及び同委員会の管理下におかれる学校組織(学校の教職員を含む)が、地方教育行政法第25条に基づき、適切に役割分担を果たさなければならない。


これぞ機械的民主主義。良識的な人ほどこれに反論しにくいだろうからきっちり考えておく必要がある。なぜこのような「民主主義的な」主張が問題なのか。かつて教育基本法改定にかかわって論じたエントリー「教育基本法改定に反対する」で論じたものを引用しておく。

国家が国民の育成のための教育内容に関してなんらかのビジョンを持つことについてわにぞうは決して否定しない。しかし、このビジョンに沿って行政が教育に関わっていく際には、慎重な態度が求められる。政治には常に独特な力学が働いている。教育が重要であるからこそ、政治からの教育に対する要求もきわめて強いものがある。この激動・変転する政治力学に教育を直接さらしてはならないとわにぞうは考える。最悪なのは、政権の都合で子供の持つべき資質が一面的に押しつけられることや、短期的な視点で教育内容がクルクル変わることだ。こういう事態からは教育を守らなければ、次世代に対する取り返しのつかない損失を生み、国の発展もおぼつかない。
現行教育基本法はこういった認識のもとで、教育とは国家や行政の道具ではなく、国民に直接開かれて行うものであることを宣言している。そして、第10条で「不当な支配に服することなく」と規定する、という手段で、行政側からの不当な干渉の危険から教育を守る方法をとっている。この不当な支配の主体には限定がなく、第2項と合わせて解釈すれば、政府等もこれに該当すると判断できる。
政府改定案はどうか。この法案は行政機構については性善説に立っており、「自主性を尊重(第7条(大学教育)・第8条(私立学校)など)」などといった留意事項がごく一部にあるものの、法律の範囲内で、政府・地方自治体の裁量によって自由に教育行政を実行できる構造になっている。第10条の改訂になる第16条で「法律の定めるところにより」と規定することによって「不当な支配」の主体から行政機構をあらかじめ排除している。こうして、最も巨大な力を持つ学外権力である行政機構に対する歯止めだけは取り払われている。
わにぞうには、政府案が採択された未来において、教育が時の行政によって恣意的に左右されるおそれを払拭することはどうしてもできない。かなり強い危機感を持って、この教育基本法改定案に反対せざるを得ない最大の理由はここにある。


なお、現行教育基本法では教師を直接国民にたいして責任を持つ存在として規定している。改定案ではむしろ法的に規定された教育行政を遂行する責務を持った存在ととらえらえる。わにぞうは前者の立場に立ってこそ教師の誇りは育つと考える。教育委員会の方を向いていじめを隠蔽する報告に汲々としている教育現場を見るにつけ、今回の改定案は百害あって一利なしだと判断せざるを得ない。


最後に、次の規定について。親が部活動に出ていくようになるんだそうだ。

2  児童生徒の保護者も、部活動をはじめとする学校運営に参加するなど、主体的に積極的な役割を果たすよう努めなければならない。


僕は中坊のとき、家庭の庇護から離れた部活という空間での戦いに誇りを持っていたように思う。ここに親が出てくるのは正直げんなりする。

まぁ今日のところはこれくらい。あんまり系統的によんだわけではないけれど、とりあえずろくな条例案じゃないな。
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この記事に対するコメント

拝見させていただきました。
もっと討論の場などでTPPなどについて話したいです。

討論の場としてホームページを作ったのでぜひ来てください!!
http://debatezone.web.fc2.com/

【2011/11/07 22:00】 URL | masamasa #- [ 編集]


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