わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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田中正明氏による「改ざん」に関するネット上の議論(その2)
前回に引き続いて、田中正明氏による松井大将の日記の紹介には、「改ざん」とされるような改変があったと判断するべきかどうかを検討する。前回の検討の最後の部分で、板倉氏の指摘した原文と田中氏の紹介との違いをすべて網羅したページを発見したところまで行った。きょうはそれを読んでみて判断を加えたい。と思うが時間が十分あるかな?

板倉氏の論文の中で、どういう差異があったのかについては明確にされている。意図的に記述を書き換えているものと判断できるものが見出される。

「尚聞く所、城内残留内外人は一時多少恐怖の色ありしが、我軍(による)治安漸次落付くと共に漸く安堵し来れり、一時我将兵により少数の奪掠行為(主として家具等なり)、強姦等もありし如く、多少は已むなき実情なれど洵に遺憾なり。」【一三五・三】
 → [尚聞ク所城内残留内外人ハ一時不少恐怖ノ情ナリシカ我軍ノ漸次落付クト共ニ漸ク安堵シ来レリ一時我将兵ニヨリ少数ノ奪掠行為(主トシテ家具等ナリ)強姦等モアリシ如ク多少ハ已ムナキ実情ナリ]


「此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京占領と其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、然る後在上海の各国通信員と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本の方針及パネー号に対する善後処置なり。」【一三七・九】→ 日記原本に無し。


「此日各国の主要なる通信員と記者会見す。」【一四八・一四】 → 日記原本に無し。


「其云ふ所、言動面白からず。由て厳に命じて」【一五五・一六】
 → [其云フ所言動例ニ依リ面白カラス殊ニ奪掠、等ノ事ニ関シ甚タ平気ノ言アルハ、遺憾トスル所由テ厳ニ命シテ]


「支那人民の我軍に対する恐怖心、加へて寒気と家なきことが、帰来の遅るる主因となりをるものと思惟せらる。」【一六四・一三】
 → [支那人民ノ我軍ニ対スル恐怖心去ラス寒気ト家ナキ為メ帰来ノ遅ルヽ事固トヨリ其主因ナルモ我軍ニ対スル反抗ト云フヨリモ恐怖不安ノ念ノ去ラサル事其重要ナル原因ナルヘシト察セラル即各地守備隊ニ付其心持ヲ聞クニ到底予ノ精神ハ軍隊ニ徹底シアラサルハ勿論本事件ニ付根本ノ理解ト覚悟ナキニ因ルモノ多ク一面軍紀風紀ノ弛緩カ完全ニ恢復セス各幹部亦兎角ニ情実ニ流レ又ハ姑息ニ陥リ軍自ラヲシテ地方宣撫ニ当ラシムルコトノ寧ロ有害無益ナルヲ感シ浩歎ノ至ナリ]


「南京占領後の軍紀風紀に対する不始末」【一六五・一○】 → [南京占領後ノ軍ノ諸不始末]


また、書き換えのところに、以下のような編注がつけられている。
【一三七・九】の書き換えに対して:

「南京占領から十日に経た外人記者団との会見において、松井大将が『南京虐殺』に関する質問を受けたという様子も全く見られない点、注目すべきである。」


【一四八・一四】の書き換えに対して:

「この記者会見でも南京虐殺事件は問題にされていない」


ほぼ結論は得られたように思う。
田中氏が、「南京虐殺事件」を否定するのに有利な方向で日記の原文を書き換えたことは事実であるといわざるをえない。この書き換えは誤りではない。書き換え部分に、書き換えの意図が読者に伝わるようにするための編注までつけていることは許しがたい行為だと僕は思う。
差異のない部分に関する記述が手元にはない。したがって、こういった「都合のよい」書き換えが、どの程度の頻度で為されたのかはよくわからない。すなわち、「都合の悪い」記述のうち、書き換えられたことによる「都合の悪さ」の減少度が1%なのか、100%なのか、という判断がつかない。とはいえ、誤った認識に読者を導く目的を明確に持った書き換えが行われたことは間違いのない事実である。これを「改ざん」と呼ばないとすれば、何を改ざんと呼ぶのだろうか。このような性質を持つ文書を発表をすることがある人物の紹介する「事実」を自説に引用しようとする場合は、細心の注意を払う必要があるということ自体は間違いないだろう。
この「改ざん」事件については、よしりんの「パール真論」が紹介している。それに対する読者の反応の事例も、このページには紹介されている。

いままで、田中正明氏は藤原彰や中島岳志がやったような「改竄、誤読、事実隠蔽」みたいなのをしてたのかと思ってたが、そうではなかったことがよく解った。
南京話でも槍玉にあげられてる田中氏だが、よくいわれる「九百箇所の改竄」って、大半は誤字や旧漢字なんかを直したものだったと解った。
また、板倉氏が指摘したのもそうした個所への淡々としたものだったこと。それを田中氏の著書が目障りだった朝日新聞に、著書そのものの価値がないように報道利用されてしまった経緯がよくわかる。
このあたりを読んでくると、田中氏と板倉氏が主張に違いがあっても関係が良かった理由も理解できる。二人はイデオロギーではなく、学術的に意見交換しあえる関係だったわけだ。


この解釈は誤った認識に基づいている。板倉氏の指摘が「淡々としたもの」だったとはいえない。「そうした個所」という言葉も、一見「誤字や旧漢字を直したもの」に過ぎないと認識しているかのようである。しかし、「パール真論」を読むと、決してよしりんは改ざんとの批判を否定していないのである。

確かに「意図的な改竄」としか思えない部分もある。
<略>
このような「意図的な改竄」は、確かに松井に対する心証をよくする方向に向けて行われている。
<略>
改竄との批判を免れないことには違いなく、この点で田中を弁護しようとはわしも思わない。


微妙な言い回しで、彼自身は「田中氏は改竄を行った」とは断言していない。しかし、批判者が改竄を行ったと主張することについては、否定できないと言っているのである。また、「改竄」と表現するかどうかはともかくとして、意図的な書き換えが行われたとしか思えないという認識も示されている。それにもかかわらず、よしりんは全体として田中氏を弁護している。その根拠は、第1に強すぎた松井大将に対する念が書き換えを行わせたのではないか、という同情論。第2に、「南京大虐殺」をめぐる議論で敵陣営となる「朝日新聞」および本多勝一氏によって過剰に騒がれたという2点などが含まれている。
しかしいずれの論点も、田中氏の文章を研究資料として利用する場合には注意する必要がある、という認識を覆すものではない。たとえば、田中氏は何らかの主張をしたいと思いつめた場合には、ときに記述が不正確になる可能性がある論者であることを示しているし、田中氏の資料をそのまま引用すると、なんらかの敵によって「利用される」危険があることを示しているからだ。
田中氏の資料を引用する際には、資料の客観性を確認する作業を行うことは、なんら不当なものではなく、必要ですらある。もちろん、その確認作業の内容が適切かどうかは、個々の場合による。
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