わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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爆問学問(2008/09/09)
日本の思想史を研究している子安さんとの放談。
日本という民族、あるいは民族という存在の客観性を何らかの形で否定すること。によって日本の戦争を乗り越えようとした、子安さんの世代のあり方に対する苛立ちの側面と、そういう世代に対しての決して失ってはいけないリスペクトの感情の両面を、太田光は体現してくれていた。
そして、そういうわれわれの世代の意識の状態について、子安さんの世代は十分答えられるわけではないこと。このことに決着をつけることはわれわれの世代の仕事だということを痛感した。印象的な番組であった。

民族は実在する。その実態はもちろんDNAでもないし、何らかの物質が媒介しているわけでもない。だから民族の実在を否定しようとする人はそれを「共同幻想」だといってみたりする。しかし、意識の中に明確な形を持ってそれは存在している。意識の中だけに存在するものは物理的実在ではないかもしれないが、それでも物質的実在なのである。あるいは日本という意識が生じた明確なタイミングを探り、日本民族の成立を近代の産物と認識してみたりする。しかし、日本の歴史を他と区別できる有機体として論じることは、近代のずっと前から可能であると、やはり思う。
だから民族否定論には無理があるとぼくにはどうしても思える。だから、民族の一員であるという属性を否定して世界市民を名乗ってみても、結局問題は解決しない。
だが、そういう方法論で人々が戦後という世界を乗り切ってきたことを、侮ったり軽視してはいけないのかもしれない。時代が同じやり方の継続を許さなくなってきたことが問題の焦点を移行させた結果が、現在の問題なのだ。とはいえ、そういう過去の時代の意識が今日の対米従属とつながっているのではないかという疑念はやはり去らない。

「一億玉砕」という戦中の強制力の恐怖を強調する子安先生。30年前ならここで思考停止して、二度と繰り返すまじ。で話が終わるところであったのだろう。でも太田は、「でも、そうしなければいけないという使命感もちょっとはあったんじゃないのか」的なことを率直に問いかけた。子安先生は、少し躊躇をしつつも、「ちょっとじゃなくて結構あった」とお答えになった。戦後の言語空間は幸か不幸か既に崩壊した。そこからもう一度僕たちは構築しなおさなければいけないのだ。たぶん。
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