わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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世界が完全に思考停止する前に / 森達也
最近森達也にはまっている。その原因となったのはこの本であった。平積みになったこの本の「今どき、まっとうな意見!」という帯に目が止まったのが森達也との出会いであった。

世界中の情報があっとういう間に一人一人の手元に届く時代。そういう社会を実現させたのは、テレビという文明の利器。この仕組みはどんどん加速しながらこの世界を変えていく。人間はこの新しい時代にとまどうばかりだ。この時代の閉塞感や危機感の周辺には、かならずマスメディアの姿がある。

ドキュメンタリー作家である森達也は、現代においてメディアと向き合うために必要な視点を提示する。ドキュメンタリーの本質は、しばしば考えられているような客観の提示などではなく、作家の主観の提示であること。また、そうあるべきことを忘れているところにドキュメンタリーの危機があること。ドキュメンタリーを撮るという行為は、被写体に対する暴力性を内在していること。大切なことはこの暴力性を絶滅することなどではなく、それを作り手において自覚するということだ。

さらに興味深いと思ったのは、「被害者意識」の暴走の問題である。よく「犯罪被害者の立場に立って考えなければいけない」といわれる。近年のマスコミの報道にはこのパラダイムがいっそう強く押し出される傾向にある。一見正しく、反論しにくく見えるこの主張。が、森達也はその矛盾を衝く。当事者でない以上、当事者になることなどできない。という、当然の事実を指摘してみせる。まったくその通りなのだ。犯罪の当事者たる被害者とそれ以外の人々は違う。違うからこそ、社会全体にとって有効な対策を合理的に考えることができるのだ。全員が被害者と同じ感情を共有などしていたらどうなるのか?

人々が当然正しいと思いこまされている論理に隠れたほころびを指摘するところは、まさに「裸の王様」の子供である。

この本を読んだ後、僕は彼の多様な関心領域にまたがる多くの本を読むことになる。その話はまた後日したいと思う。
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