わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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「きけわだつみのこえ」の戦後史 / 保阪正康
「きけわだつみのこえ」は戦没学生の手記を中心に編集され、戦争の矛盾に気づきながらその戦争に兵士として向き合わなければならなかったものたちの声を今に伝える貴重な書である。保阪氏のこの書は、「きけわだつみのこえ」を世に出してきた「日本戦没学生記念会」の戦後史の記録である。


日本戦没学生記念会(以下「会」)によって編纂され、今日まで連綿と読み継がれてきた「きけわだつみのこえ」に出会ったのは自分がまだ学生だった頃。つい半世紀前の同年代の学徒兵たちのこころを想像し、胸を痛めたものであった。なぜか。それは決して「こえ」の主たちがはっきりとした反戦の立場を表明しているからでは決してない。むしろ一方で疑念に身を焼かれつつも、祖国のために、大儀大義(2005/06/20修正)のために、肉親のために命を賭ける覚悟を固めようとする者たちへの畏敬の念を僕は持ったのだ。
当時、読み始める前にはどちらかというときっぱり反戦の手記だけが載っているのかと想像していた。けれど、読んでみるとそれは間違いだった。だからこそ逆に胸にこたえたのだ。「こえ」をさして単に反戦手記の本だと特徴づけるものが、その肯定派、否定派ともにいるように思うが、果たして本当に手記を読んだのかと疑問に思えてならない。
さて、保阪氏は自分と同じようにこの書に出会ったのであるが、その後、この手記の編集方針への疑念に向かった。本当にこのような手記が多く残されているのか? この疑問に対しては、「こえ」の「まえがき」・「あとがき」に記されている「会」の正史は概略以下のように述べる。「はじめは軍国調の表現などを削除して編纂された。しかし、95年に刊行された『新版こえ』でできるだけ原文に忠実に編纂し直されている」
しかし、保阪氏はこの本で、これがごまかしであることを明らかにした。実は『新版こえ』の再編纂はきわめて杜撰なものであった。念のため言っておくと、「こえ」の中身自体には実はそれほど深刻な歪曲があるとは言えない。保阪氏が明らかにした「杜撰」の内容は、きちんとした仕事でなかったという意味である。[2005/07/02追記]
「こえ」の手記の一部にあるような悲痛な叫びは、学徒たちの少なくない部分によって事実共有されたものである。膨大な手記の中から意味のある本にまとめる過程では、恣意も編集も当然必要である。膨大な手記から乱数で選んだ部分をランダムに並べたとしても決して彼らの心の叫びを表現したことにはならない。問題はそこにはない。保阪氏自身、この書のあとがきの中で

昭和という時代に日中戦争や太平洋戦争で戦場に赴くことを余儀なくされた学徒兵たちが、<死>とどのように向かい合ったのかを知ることを通じて、私たちは実に多くの教訓を得てきた。知性がある状況下でどのように封殺されるかを見ることで、戦争の愚かしさを肌身にしみるほど感じることができた。本文中にも記したように、私自身、学生時代にこの書に触れたことで、社会的視野を広めることができたように思う。

としている。保阪氏はこの本を以て、「きけわだつみのこえ」の価値を否定しようとしたわけではないと思う。
氏が問題としたのはむしろ今日の「会」のありようである。今日の「会」は、「加害責任」原理主義の立場から、戦没学徒たちの死を「犬死」と言い切る立場を取っている。そしてより深刻なことに、この過程で今日の「会」の主流派は、気に入らない者たちを陰湿な政治的手法を駆使して会から放逐したという。
自分は以前から「日本人はみんな加害者であることを自覚せよ」という議論が好きでなかった。これが原理主義になると、一億総懺悔論のコインの裏表にしかならないのだ。そればかりか、「自虐史観」という議論の入り口になっている面もあるのではないだろうか。
あの戦争が日本の侵略戦争であった以上、他国の死者の多くが相対的には当然被害者的立場におかれている場合が多いのは当然のことであろうが、日本人の死者の戦争責任は一概には論じられない。個々様々である。戦争を開始し、国民を動員した側の責任をこそ本気で問うべきだ。また、彼らをそうかりたてた構造をこそ解明するべきだ。戦没学徒の「加害責任」の摘発なんぞに躍起となるヒマがあるのなら。
率直に言おう。ある時期アジアの解放を大まじめに追求した人もいる。肉親を守るために戦争の遂行に邁進した人もいる。当然これらに対して、その客観的役割の検証は必要である。しかし、同時に彼らのそういった主観に対する哀惜の念を僕はやはり禁じ得ない。その主観的意図と客観的役割の分裂を丸ごと受け入れることでこそ、初めて強固なほんとうの反省(洞察)を日本人は得られるのではないかと自分は思っている。
地獄への道を掃き清めた善意。「分かり切った立場」からの突き放した冷笑ではなく、歴史のなかで翻弄された先輩たちを尊ぶ念を抱きながら、その悲劇の構造を解明したいものだ。
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この記事に対するコメント
こんばんは。
わにぞうさん、お返事、遅くなりました。神風特別攻撃隊、回天特攻隊の証言、遺書、ひめゆり学徒隊員の方の証言などは拝見した事がありますが、残念ながら「きけわだつみのこえ」は、拝読した事はないです。私は1年半ほどで前に、警察の公金の横領を切っ掛けにwebを立ち上げて、Blogは数ヶ月前に始めました。色々な世の中の不条理さを追求、糾弾して来まして、東京裁判に行き着いた訳ですが、以前からある程度の歴史の事は認識していましたが、最近になって、より詳しく調べるようになりました。

現在は、サンフランシスコ講和条約、第十条【中国における権益】1901年に日本と、その当時の中国が締結した事項、また、それ以前の義和団事件、それ以後の廬溝橋事件などを中心に調べている所です。なかなかこの時期になると解らない事ばかりですが、色々なweb、Blogを参考にしている所です。東京裁判は、昭和3年~昭和20年までの事で裁かれていますが、それ以前から、日本軍は1901年(明治34年)の調印もあり、当時の中国に駐留していたのではないでしょうか。

今、問題になっているのは、中国、韓国との歴史認識のずれですが、マッカーサーは世界への侵略ではないと認めていますし、もともと中国の本土に日本軍が駐屯していたとすれば、それもまた侵略というのは、おかしな感じがします。わにぞうさんが、ご存知の事がありましたらご教示頂ければ幸いです。

追伸、わにぞうさんのBlog、良いですね。シンプルで凄く見やすいです。コメントの文字数も制限ないですし、編集も出来て、とても使い易そうです。コメント欄はリンクも貼れるのでしょうか。
【2005/06/27 01:51】 URL | isharejp #DxykphA6 [ 編集]

ありがとうございます
このページのデザインも結構気に入っています。ただ、ときどきリンクの多いページは形が崩れて困る場合があります。
Wikipediaによれば、1901年の条約は、義和団の乱のあとで調印された北京議定書のことのようですね。この条約によって日本も含めた列強は、清国内の一部地域に軍を駐留させる権利を得ました。当時から中国は日本を含む列強による経済進出とそれを支える軍事進出の対象となってぼろぼろになっていたことがわかりますね。これは今日的基準で言えば侵略そのものとはいえるでしょう。
サンフランシスコ条約との関係では、講和に当たって海外にある特殊な権限のすべてが無効となることとなりますが、その一つがこの北京議定書が与えた権利であったということではないか、と理解しています。
【2005/07/02 23:18】 URL | わにぞう #- [ 編集]


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