わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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ハウルの動く城 / 宮崎駿(日04)
これを観てからもう相当の時間がたちました。思うところを述べておきましょう。反射神経で。
これ以降内容にふれますので、まだ映画を観てない人はこれ以降は見ない方がいいかもしれませんね。
なお、総合評価は、技術展なども加味しつつ
★★★☆☆

この作品の特質は、宮崎監督自身が絵コンテの制作中に漏らしたという「ハウルの行動原理がわからない」という言葉に集約されていると思われる。

時代はきわめて不気味な戦闘状態に向かっている、あるいは戦闘はすでに始まり、広がっていることが示される。ハウルは時折空を飛ぶ鳥の姿をとなって戦場を飛び交っている。しかし、そこで何をしているのか結局よくわからないまま映画は終わる。バカげた闘いをなんとかするための行動を繰り広げているのか、あるいはまた別の目的を持って第3勢力としてこの戦闘に絡んでいるのか。終盤にくると、ソフィーを守るための闘いをしているかのような割り切り方をしたかのように見える瞬間もある。しかし、戦争という問題をこれに解消するのであれば、日本の戦時中目も耳もふさがれた中で、愛するものを守るためにと自らを納得させて飛んでいった特攻隊員たちの意識から一歩もでていない。映画をかなり理屈っぽく観たがる僕のようなタイプにとっては、致命的な問題である。

この戦闘は、なにやら一人の影響力の大きな得体の知れない大魔女が改心(というよりも気まぐれ)を起こして急に何の内的必然性もなく終わる。この戦争はどうやらこの大魔女が気まぐれで始めたものなのだろう。なにをか言わんやである。

過去のジブリ映画のパンフレットには、宮崎や高畑による時には数ページにわたる作品のモティーフが誇らしげにかかれていた。僕はそれらの文章に常に強く感銘を受けたものであった。「オレもこんな仕事がしたいなぁ」なんてしばしば思ったものだ。今回のパンフレットにはこの種のページが含まれていないのが著しい特徴である。監督自体がテーマの設定に成功しなかったのだろう。

監督の焦燥感にもにた時代認識がそこここにみられる。戦争を遂行する側の怪物たちの姿は、これまで監督が描いてきたあらゆる「悪」の姿を遙かにしのぐ禍々しいものであった。ここに非人間的なものに対する監督のいっそう激しい憎悪を読み取らないわけにはいかない。同時にその禍々しさは、いよいよ合理的な解釈を失った得体の知れない姿をもって現れている。

また、これは「もののけ」以来の傾向がいっそう明瞭な形をとってきたものなのだが、登場する一般民衆は、まったく信頼するに当たらぬ衆愚として描かれるに至っている。戦争への流れに対して無自覚に漂い、雷同し、あるいはただ恐れおののく姿。多少とも自覚的な人格は、ソフィーをのぞけば、登場する魔法使いたちの中にのみみられる。しかしそれも周囲の動きの中でどう動いていいのやらわからない中でのあがきとしか僕には見えないのだ。

「未来少年コナン」以来そうであったが、市井の人々への無邪気とも言うべき信頼と、彼らを権力的に縛り付けて苦しめるものたちというコンセプトから遠く隔たった地点に監督は到達した。そして登場人物は漂流を始めた。その傾向がこの「ハウルの動く城」において完成した、と言っていいだろう。

こういった傾向はしかし、やはり現実の反映なのだ。ある意味で監督は正直なのではないだろうか。今日の時代において、誰が自覚のみの力によって、確信を持って何らかのものを成し遂げられるというのだろうか。あるいは現代の日本の市民社会のどこに、深い信頼を寄せるに足る流れを見いだせるというのだろうか。閉塞感と危機感は溢れるばかりの時代の中で、模索し、漂流する以外のどのような道があるというのだろう。

この物語の活力のもとは、特にソフィーというおばあちゃんに象徴される個人の力、それらが孤独な世界の中で何とかつながろうとする切ないまでの思いだ。ここに望みをかけるのだ。

構造不明の危機の中に放り込んだものがたりを、それとして終わらせるためには、外在的に終了させるよりなかった。そう考えれば、不可解としか言いようのないストーリーとなってしまった必然性を、仮説として提示することはできるかもしれない。

昨日テレビで「幸福の黄色いハンカチ」のあとに、次週予告として「紅の豚」の予告編が流れた。なにやらとても懐かしいものを感じてサントラCDを引っ張り出して聴いてみた。「紅の豚」の時代にすでに宮崎監督の意識の放浪は始まっていたのではあるが、まだなんと牧歌的に聞こえることか。「紅の豚」は漠然とした閉塞感が社会に漂い、破局へと向かっていく時代を舞台にしたお伽噺であった。日本社会自体が「紅の豚」が暗示したような方向に、今日まで漂流してきてしまったことを感じざるを得ない。こうしてみると宮崎監督はやはり時代をつかみ表現する天才であるとも言えようか。

新しい時代を開くための新しい世代の力を、世界は欲している。我々の世代は宮崎監督の夢の世界に本当に力づけられてきた。これからはこれを大事にしながら、自前の夢を描くことが、僕らに求められる時点にいる。宮崎監督らのバーチャルな世界でバーチャルに様々な歴史を経験させてもらった僕は、リアルの世界の中に新たなほんとうの歴史を描いていこう。と思う。
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