わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
08 | 2015/09 | 10
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今言っておく必要があること
安全保障法制を機能させたことにより、日本人が戦闘やテロに巻き込まれ、命のやり取りに至った場合、考えられる最悪のシナリオは、その事態を利用したヒステリックな政府批判の封殺である。
ウチダさんの指摘を紹介する。同感である。

「このように危険な派兵に大義はあったのか?」という常識的な責任論を語るものの声を「死者を犬死にさせる気か」というヒステリックな絶叫が黙らせることになるでしょう。米国のような言論の自由な国でさえ、9・11後はそれまで低迷していたブッシュ大統領の支持率が90%にまで跳ね上がり、政権批判がほとんど不可能になりました。日本なら、その程度では済まないでしょう。「派兵に大義はあったのか?」と問う者は「非国民」、「敗北主義者」と罵られ、石もて追われることになる。私はそう予測します。そして、安倍政権はまさにそういう状況の出現を期待して安保法制の制定を急いだのだと思います。


おそらくはこうした事態を招来した責任を憲法9条になすりつけることだろう。「9条の足かせが自衛隊員を殺した」あるいは「テロを招いた」と。だから、今宣言しておく必要がある。このような事態を招来した場合、政府の責任を僕は指摘する。非国民とののしられようとも構わない。
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何のための安全保障法案なのだろうか
米軍との中東を含む戦場での共同行動で兵站活動を大手を振って全面的に可能になることが目的。

小野寺元防衛大臣がテレビで言うには、違う。島の防衛を進めるためだと。
今まで島の防衛について米軍と一緒に本格的な訓練はできなかった(これからできるようになる?)。という説明をした。

これはかなり疑問である。
こういうのはどうなの?
https://www.youtube.com/watch?v=0lNkpnlYevo
べつにもう島嶼防衛の訓練は日米共同でやりたいだけやってる。
実際、個別的自衛権の範囲の話だから今回の立法で外れる制約は限られている。

結局、米国と肩を並べて戦闘できるようにしないといけない。それだけ。
小林よしのり氏のデモ嫌い・学生嫌いは「あり」な議論だけど今の現実はとらえていないと思うよ
小林よしのりはデモを批判し、学生による運動参加を批判している。デモは万能じゃないし、同時に深く思考し、人々の内面を変えていかなければならないことはその通り。こういう批判が成り立つことはある。それから、学生は学生としての限界を持っているし、生活者として未熟であることも事実だ。かつての「全共闘」運動は、学生を運動の先頭ととらえるとんでもない思い違いを犯した。こういう勘違いは深刻な結果を招き得ることはその通り。そういう批判が成り立つこともある。
小林よしのりの魅力は、こうした落ち着いた批判的認識装置をしっかり持っていること。教養と言い換えてもよいだろう。国際社会をどうとらえるか。資本主義とは何か。歴史的にものをとらえるとはどういうことか。人の倫理はどのように決まるのか。民主主義とは何か。そしてその中で戦争や軍隊はどのように位置づけられるのか。単純な戦争否定や民主主義の絶対化や、若者の礼賛にも陥ることはない。社会の事象を見るうえで必要な視点を確保している。
だけれども、こういった批判的認識装置は、事実そのものを超越することはできない。

僕は今回のデモについても、もちろん万能だと思わない。世論にも届く面と届かない面があることは感じる。「お花畑たちがバカなことをやっている」という冷笑主義で歯牙にもかけない世論が、無視できない広がりを持っていること。これについて一方で冷静に観察する必要がある。だが、デモには事態を動かす力がある。これから数日間の展開はそのことを実証するだろう。

僕はSEALDsの若者たちについてだって決して完璧だなんて思っていない。小林よしのりとの対談の様子は、小林によればかなり厳しいものだったようだ。やはり「左翼」の代表的な存在としての名を背負ってしまっているがゆえに、自由闊達に小林と意見を交わすことはできなかったのかもしれない。牛田君の手紙ははっきりした情報だが、僕はあまり評価できない。「国のために、犠牲になる意志が〝愛国〟というのは自己矛盾である。なぜなら、〝愛国〟という時の〝国〟は〝国民を生きさせるために〟こそ存在しているからである」から、国のために準じるという行為を肯定しているものを一般的に否定しようとしている。この論理では、現実に侵略に立ち向かわざるを得なかった被侵略国としての抵抗に身を投じた人の実存には決して迫れないと思う。学生らしい限界ではないか。僕も学生ときには、「軍事力で他国を脅迫するような抑止力を前提にする思想は許せない」と言ってみたりして一人前のつもりでいた。だがこれは論理になっていないことは明らか。こんな論理で抑止力が切れるなら、だれも苦労していない。
だけれども、今のSEALDsの反戦論は、ただの願望だけのものではない。そんなレベルでは若者や人の心をとらえられない時代になったのだから。昨日の公聴会での発言を聞いたが、学生としての層の本来的役割や弱点といったものをよく自覚しながら行動しようとしていることがわかる。「しばき隊」?の限界から十分に自由ではないとも感じる。発言は学生にありがちな観念論の弱点をときどき見せる。あたりまえだ。若いのだから。彼らのことはあまり心配していない。小林の「運動を自己目的化する危険」についても十分自覚的だと思う。

むしろ大人の方が心配だ。初めに述べたような、「お花畑がバカやっている」と冷笑するような人々や、安保法案反対派は日本の安全保障を考えていないと思い込んでいるような人々に、どのように問題性に自覚的になってもらうのか。このことを大人は複眼でとらえ、対応していかなければならない。この大人の役割を果たせるかどうかがむしろ問われている。
若者はよくやっていると思うよ。
小林よしのりvsSEALDs奥田君
ホメられて伸びるタイプのweb連載空間。といいながら、結構リスクを取った特集だと思う。
小林よしのりx奥田愛基 対話


僕はこの両者に敬意を表したいと思う。

小林よしのりは奥田君を大人として扱い尊重していることがわかる。
奥田君は小林よしのりに言いたいことを言っているが、やはりこの若者のバランス感覚には感嘆する。というか、「保守対革新」「左翼対右翼」みたいな対立図式が通用しなくなった80年代以降の複雑性を属性として備えたうえでどう熱くなれるのか。という僕らの共通した課題に誠実に挑戦しているのだ。ぼくもそうだ。

昔は安保で熱くなっていたのに最近の若者は。と言われた。だけど、この相対化された社会の中で熱くなれるのは物事を客観視できない人だけだった。単純に熱くなれない時代を背負った僕らは煮え切らない生き方を選択した。だが、僕は今熱くなっている。熱くなる位相をつかんだ。つかめたのは、古くからの「保守対革新」の図式を徹底的に疑ったからだという自負はある。
この位相を、SEALDsは結局のところ共有していると思う。オレたちの仲間だ。

小林よしのりはまともな保守主義者としてこのような僕らを静かに見ている。

この対談は貴重な歴史の証言のひとつとなると思う。

それにしても、小林よしのりを「レイシスト」とレッテル張りし、戦争肯定論者と指弾する論者の思考停止の根深さ。この思考停止は近い将来、安倍的なものにいいように利用されるであろうことも指摘しておく。
僕はせめてそうならないように頑張ろうと思います。
関東大震災時の朝鮮人虐殺を本気で糾弾している小林よしのりをどう考えているのか。また、ベトナムの反米戦争はどうなのか。ぼくはこれを大義ある戦いと断じる覚悟がある。彼らにその覚悟があるか。反アイヌ的な発言をレイシズムと言いくるめ、反帝抵抗戦争肯定を好戦主義者と言いつのる者たちには僕は全く共感しないことを表明しておく。

しかししかし、この対談に対するSEALDs周囲の皆さんの反応は率直にって興味深いと思う。

ちょっと酷かもしれないけれど、このツイートの一説は引用させていただく。

「小林よしのりから逃げるようなやつらが戦争を止められるわけあるか」


僕は全くその通りだと思う。奥田君はよく逃げなかった。よかったと思います。むしろ「逃げ」を勧めた周囲の大人を危惧します。自分の目指す運動へのプラス・マイナスだけで物事を評価していることがわかるからです。
仁比さんの質問
仁比さんが明らかにした防衛省の内部資料。

河野統幕長は、12月17日、オディエルノ米陸軍参謀総長との会談で、オディエルノ参謀長から、『現在、ガイドラインや安保法制について、取り組んでいると思うが、予定通りに進んでいるか? 何か問題はあるか?』と聞かれて、統幕長は、『与党の勝利により、来年夏までには終了するものと考えている』と述べているんですね。これなんですか?



また、沖縄の基地について統合幕僚長は、

辺野古への移転やキャンプハンセン、キャンプシュワブでの共同使用が実現すれば、米海兵隊と陸上自衛隊との協力が一層深化すると認識している。これにより、沖縄の住民感情も好転するのではないか、と。こう、この一連の会談のなかで述べている


とのこと。

この文書に関する中谷大臣の認識は、

ご提議いただいている資料がいかなるものか、承知しておりません。防衛省で作成したものか否かも含めまして、コメントすることはできないということでございます



NHKではほとんど報道されていないけれども、重大な内容だ。
小林よしのり氏への賛同と批判と
小林よしのり氏の何にもとらわれない発言について、共感するところが多い。と同時に、僕自身の経験の歴史に根ざすところの意見の違いもある。自らの考え方を確認するうえでもやはり重要なので、僕自身の意見を表明しておきたい。

小林よしのり氏のこの間の意見表明から二つ取り上げたい。

「『ゴー宣道場』は運動とデモを拒否する」(8月31日)

このブログによる意見表明は、30日の国会前行動についてなされたものである。デモや運動は、参加者をして熱狂におぼれさせる作用があるという主張。デモや運動は「思考停止」に嵌る。「ゴー宣道場」は思想する場であるから、デモや運動を拒否する。デモや運動は、考えない人間を増やすだけだ。と述べる。
僕自身、そのような危険が潜んでいることは自覚している。しかし、デモや運動を通じて本当に世の中を変えようと考えるのであれば、熱狂や思考停止に嵌っていることはできないはずだ。僕自身現在、リアル生活の中で周囲の人々にいかに安保法制についてしっかり向き合ってもらうかを本当に考えている。熱狂や思考停止に嵌るなどということは率直に言ってありえない。多くの人は必ずしも安保法制について明確に反対の立場に立ってはいない。こういった人々に明確な反対の立場に立ってもらおうと思えば、それにかみ合った対話を工夫しなければならない。熱狂している暇などないし、どうすれば分かってもらえるか思考する日々だ。これこそ本当に必要な道場ではないだろうか。
もしデモや運動の場で単に発散することだけが目的であるならば、思考停止にもなるだろう。そういうデモや運動が百害あって一利ないのはそうだろう。多くのデモ参加者は、これに自覚的であるべきである。このことについては同意できる。そして、デモや運動が本気であればあるほど、これに自覚的になるはずである。
多くの人は事実、自分と同じ立場で声を挙げようとしている人がいることによって勇気づけられる。そして周囲の人への働きかけに足を踏み出すのである。同じ方向を目指す人と人の距離を狭め、行動の自由を広げる。また、マスコミも動員し、安保法案に反対する人々がいることを明示することで世論は変化する。安保法制に反対する仲間の多くは事実、こういう場を通じて社会に働きかけようとしている。これを傍観することは自分にはできない。
デモや運動も通じて人に働きかけ、思想を広げ、確認し、高めていくことこそが真に道場だと考え、僕なりの実践をしていくことを表明させていただく。

若者礼讃の美辞麗句に踊らされるな!

「小林よしのりライジング」での主張である。
SEALDsの取り組みに対して、「警官隊に阻まれたら暴力対暴力で戦うという覚悟すらない」、「大衆にアピールして運動を広げようというつもりが最初からなく、仲間うちで通じる掛け声を挙げて盛り上がろうとしているだけだ」と断じている。
一方で、SEALDsの若者をほめたたえる知識人たちを強く批判している。
僕の意見を対置したい。
SEALDsに対する二つの批判は根拠と批判の適切さに関して疑問がある。警官隊とのいたずらな対峙は運動に真剣であればあるだけ避けようとするべきだ。かつて警官隊とぶつかった「団塊の世代」を持ち上げているが、これぞ本当の自己満足の世界である。また、「大衆にアピールしようとしていない」とする根拠は薄弱だ(「とりま廃案 それなそれなそれな」の一面的評価。僕もこれはわけわからん。だけど、こんなプラカードは例外的じゃないか)。彼らは彼らなりにどう若い世代に考えていることを理解してもらうか真剣に考えていると思う。
僕は彼らの意見表明が完璧だなんて思わないし、若者特有の理想主義については同意しようともついていこうとも思わない。しかしながら、彼らが真剣であることは認める。
彼らが理想主義的な見解を表明することについては、仕方がないことだ。それが通じない人もいることも仕方がないことだ。彼らは経験が足りない。また、経験が足りなものだけが表明できる意見はある。それが多くの若者の心をとらえることすらあるのだ。本当にそう思っているのだから。僕は僕なりのより現実的な大人の見解を精一杯表明するだけのこと。だって僕は周囲の大人をどう変えるかに真剣なのだから。
ただ、彼らに対する知識人の反応には、バランスを欠いた部分がることは認めてもよい。その内容については言いたいことがいくつかあるけれど、(実は昨日は言っちゃったんだけれど、)現在は休戦としておこうと思う。
SEALDsには、今の気持ちのままおおいに言いたいことを言ってくれればよいと思う。

僕は小林よしのり氏の意見表明についてはこのように全体として評価し、僕の意見を対置させてもらう。リアル社会において、小林氏の意見を乗り越えることを目指したい。特に、デモや運動を忌避しない本当の道場を僕は望む。道場生の反応がもしデモや運動を唯々諾々と忌避するものばかりであるとするなら、ゴー宣道場は早晩危機に瀕するだろう。道場生が本気であるとするなら、乗り越えようとする声も出てくると確信している。


プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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