わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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安保法制反対の運動に「攻められたら無抵抗で死ねというわけ?」を情弱少数派にするために
安保法制反対のtweetに対し、「『なぁ、敵が攻めてきたらどうんすんだ?テロがおきたらどうすんだ?あ?俺らに真っ先に死ねっていうのか?戦争放棄掲げてれば、みんな死ななくてすむんか?あ?』って問いただしたい」というリプライがある。
当然ながら、「日本にも当然、個別的自衛権がありますよ?」であっという間に論破。なのだけれど。

こういう人の頭の中では次の二項対立になっている。
1.米軍と自衛隊の一体化と集団的自衛権、がちがちの軍事対応で安全保障、か、
2.即時自衛隊廃棄、米軍撤退、自衛権放棄で一切の軍事対応の否定、か。

こういう風にしてしまうと、そりゃあ1が正しいに決まっている。

だから、上記の「あっという間に論破。」の認識は躊躇なく世間に広げるべき。
実はかなり多数の国民が、上記2項対立的認識になっているし、それに疑問を持っていない。

旧来の護憲派に特に言いたい。この論点で言いよどまないでほしですね。
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主観的精神論に依存する戦争はいけないという認識を持とう。正義か否かの評価を超えて。
沖縄戦の記録を見ている。
沖縄の住民も日本国民の一人として国民皆兵の掛け声のもと軍務を担った。靖国での再会を語らいながら主観的には喜んで死んでいった住民もいた。しかしこれはやはり美談とは言えないと感じる。

「生きて虜囚の辱めを受けず」の論理、一億火の玉となって死ぬまで戦うという思想。僕はこれを主観的精神論に基づく錯誤だと断じる。これらの思想こそ、二度と繰り返してはならない日本の弱点である。それが正義の戦いであったとしても。
生き延びればよい。守れる命は全力で守り、投降すればよい。兵士や住民の命を粗末に扱う国家は、やはりそれ相応の戦いしかできなかった、というのが日本のかつての戦争の結果だ。
命がすべてにアプリオリに優先するからではない。生き延びてさえいれば、民族の独立と誇りをかけて戦うことができる。そのために必要な条件を国として確保することができる。命を大切にしていれば、もっと有効な戦いが、たとえ最後に負けていたとしてもできていただろう。投降し、生き延び、敗戦後も日本人の誇りを保持するのだ。

「日本は正義の戦いをしたのに」、という人もいるだろう。この記事、この論点において、僕はそういう立場を認めるにやぶさかではない。だが、日本の戦い方は合理性を欠き、誤りだらけだったことは間違いない。

合理的判断を欠いた敗戦のありさまは、戦後日本を深刻に制約している。その結果、「米国からの自立」を旗印に米国の属国として経済も安全保障も自衛隊も売り渡す、倒錯した政権が今日本を支配している。
致命的な錯誤を含む防衛大臣の答弁。安保法制は廃案にするべき
目を疑うとしか言いようがない。
5日安保特別委員会での中谷防衛大臣の答弁。

「国際法的ルールで後方支援を行っている国の軍隊に対しては武力行使は控えられるのではないかなと私は思っております」


戦時国際法はもちろん非道な行為を許さないルールを定めている。しかし、兵站は明確な戦闘行為であり、「武力行使を控える」ような性質のものではまったくありえない。これは深刻である。錯誤そのものである。
安保法制は「後方支援」への自衛隊の参加を内容として含み、自衛隊が戦闘に巻き込まれ、殺し殺される事態を招来するリスクを取ることに関する批判が重要な争点となってきた。この重大争点におけるイロハのイをはき違えた防衛大臣の認識が明らかとなった以上、結論は明らか。安保法制は廃案にするべきだ。
この指摘は、共産党志位氏のtweetによってはじめてもたらされた。重大争点になるだろう。

この答弁には、「日本的」な独特の感覚が張り付いていることを感じる。つまり、直接の戦闘行為のみを戦闘と見ること。直接一対一で剣の切っ先を交えることにのみ戦闘を見る。周囲からの干渉は無用。潔い剣豪の対決を見るような視線。だがこれは戦場の現実から見ると甘いお花畑だろう。更に、これは兵站を重要な戦闘行為と見ないこと。そのまま裏返ると日本の戦時中の兵站軽視の異常な姿勢につながる。
日本の現在の支配層の思考には何か深刻な病理が含まれているように思えてならない。
立憲主義を踏み外すものへの批判と、より下世話な安全保障論
立憲主義を露ほども理解していないものたちが日本の政府を牛耳るに至っていることの衝撃は大きい。憲法学者たちが結束した。また、多くの有識者から強い批判の声が出ている。とても力強い動きであり、政府を追い詰める重要な力になることは間違いない。

だが同時に、より下世話な安全保障論のレベルでの安保法制の浸透は決して軽視できない。確かに今国会での成立を強く望むものは少数だ。しかし、時事通信の世論調査によれば、安保法制について「今国会で成立させるべき」は13.6%に対し、「慎重審議」が68,3%、「廃案」を求める者はわずか12.0%に過ぎないことも直視する必要がある。
なんだかんだ言っても反対派は自国の安全よりも世界平和やお花畑な非軍事論を優先するのではないのか。といった疑問や、安倍政権の動きは中国や北朝鮮の動きへの対処として現実的な政策であって、反対派には安全保障への見通しがないのではないか。テロ戦争やサイバー攻撃などの危険の前に目先の危機への対処の方が重要であるのに、反対派は重要性の良くわからない手続き論に終始しているのではないか。といった疑問が解決されることなく沈殿していることを軽視してはいけないと思う。
安倍内閣の安保法制は、日本の安全保障とは何ら関係ないばかりか、その軽視の表れですらあること。日本国民の安全ではなく、米国との共同行動に自衛隊:日本の若者を手駒として差し出すことに本当の狙いがあること。国際社会の要請は、米国などが泥沼に陥っているような国際紛争への軍事的介入と正反対の方向を目指していること。日本の特異な専守防衛・非軍事の立場こそ、国際紛争の解決のために求められていること。「手続き論」と言って立憲主義を軽視していると、日本政治に本当に内患を呼び込む危険があること。これら下世話なところでの解明の努力を、「慎重審議」にとどまっている7割もの一般世論に対して急速に行っていくことが必要である。これを怠れば、立憲主義の危機への先進的かつ自覚的な立ち上がりも、一般国民から浮き上がり、最終的な広がりを欠く結果を招く危険がある。

両面作戦:
①立憲主義の危機に対する憤激を強く励まし共感を伝えていくこと。
②本当の安全保障とは何か。安倍安保法制の深刻な欺瞞を徹底的に明らかにすること。
これを貫いていきたい。
小林よしのり・松竹伸幸(超左翼おじさん)対談
わにぞうが着目する現代日本の2大論客、小林よしのりと松竹伸幸(超左翼おじさん)の対談が行われるようです。この両者の流れの交差は極めて重要だと思う。
「小林よしのり」ライジング・「質のいい左翼なら議論しよう」より、

今日はコンテを描く予定だったが、日曜日の対談の相手・
松竹伸幸氏の「慰安婦問題をこれで終わらせる。」
という著作を読み始めたら止まらず、結局これだけで
終わってしまった。

非常に勉強になった。

松竹氏は護憲派で「超左翼」を名乗っているが、
質のいい左翼なら大いに刺激されたい。


よしりんは松竹氏の渾身の近著「慰安婦問題をこれで終わらせる。」の立場を正面から評価している。
明日両者の対談があるということもわかった。
当面する危機:安倍政権の暴走を止める協同が大きく前進することを期待したい。結果をとても楽しみにしている。


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  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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