わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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政府批判を控える傾向・・テロとの戦争だから?
人質解放のための交渉の局面であれば理解できる。
しかし、今に至ってもなお、政府批判を控えるべきだ。という風潮があるのだそうだ。テロ勢力を利するから。だそうだ。
これは訳が分からない。
今どうすれば最も適切にテロの拡大を防ぐことができるのかについて、政府批判を控える必要などまったくない。

さて一方で、イスラム国の残虐行為そのものを事実上添え物にし、安倍首相の言動そのものを指弾する傾向には、僕は与する気になれない。イスラム国による残虐行為や周辺国への圧迫に対しては、それを防ぐ立場で戦う必要がある。安倍首相の発言内容に問題はないとは言えないかもしれない。しかし、根源はあくまでもイスラム国という存在である。

今批判すべき点は「安倍首相のイスラム国に敵対するかのような発言」などではない。テロに対しては戦わなければならないのである。重要なことは、その戦い方だ。アフガンでアルカイダをタリバンがかこっているからと言っては圧倒的な軍事力でたたき、イラクに大量破壊兵器があるからと言っては圧倒的軍事力で国壊しをし、大混乱に陥り、何一つ解決させることができず、大量の無辜の市民や兵士の犠牲者をだして周囲を荒廃と混乱に陥れたアメリカが、何の反省もなく軍事力でイスラム国の壊滅が可能であるかのように思いこんでいる。恐ろしく危険な事態だとわにぞうは思う。

これに追随するのか。このことが安倍政権には問われているのだ。この本質を忘れ、テロに対して毅然として対応することそのものを批判することは誤っている。この点で、平和主義勢力のしっかりした思考が今問われている。

そして同時に、イスラム国という存在に対する複眼的思考が必要だ。彼らはただの無法者集団ではない。米国の誤った中東政策の蓄積の者で生み出された必然性のある現象だからだ。悪い人がいるからそれをたたきつぶす、という対応では決して解決しない。米国の、そしてそれに追随してきた日本の立場は卑劣ではないのか? ここを直視しなければ何も解決しないだろう。日本の取るべき対応を検討するカギもここにある。
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イスラム国に関する中野剛志の見解
中野剛志の見解がブロマガ「ちょく論」に載っている。
「ISILによる日本人人質殺害事件の本質」
イスラム国をめぐる問題に関する正しい処方箋を立てる上で重要な観点が示されていると思う。この見解の基本点に強く賛同できる。だが、日本政府がこの視点を共有できるかどうかとなると、かなり悲観的にならざるを得ないのも事実。ここを克服しないと日本は引き続き深刻に間違い続けることになるだろう。

僕は次の視点が重要だと考えている。イスラム国は確かに残虐だ。しかしこの残虐な集団の出現は、何かの外科手術的爆撃などで解決するような問題ではないこと。確かに邪悪だが、この邪悪とは批判しながらも付き合っていくしかないこと。また同時に、この邪悪なる集団の台頭の根っこには、イラク戦争が象徴する米国のまったく誤った中東政策があること。しかるに当の米国が全くこれを理解できないために、泥沼を次々と広げる結果となっていること。
ところが日本はイスラム国と米国の基本評価の双方において、結局のところ米国の視点からしか世界を見ることのできない制約のために、問題の本質を見据えることができなくなっていること。
これらの問題点を、中野剛志の「ちょく論」は、正面からえぐりだしている。

超お勧め。

おそらく同様の視点を、それぞれの方向性から、伊勢崎賢治氏や小林よしのり氏も共有可能だろうと思う。
小林よしのり「イスラム国VSタリバン」
小林よしのりのこの記事に深く賛同する。
特に最後の部分は僕もみんなに問いかけたいと思う。

欧米が介入して無責任に引っ掻き回すので、どんどん複雑になっていく。
日本が欧米と一緒になって、あんな憎悪でこじれた地域に介入するべきではないのだ。
「積極的平和主義」なんて言ってるが、欧米が積極的に介入した結果として、現在の「憎悪」と「無秩序」を産んだ。
積極的に介入しても平和にはならずに、結果として「無秩序」に拍車をかけるばかりなのだ。
内政不干渉の原則はどこに行ったのか?



平和が絶対だから、「対テロ戦争」に反対なのではない。
日本に平和憲法があるから、「対テロ戦争」に加わるべきではないのではない。
「対テロ戦争」を阻止することによってこそ、中東から中央アジアにかけての民心を安定させ、テロを包囲し孤立させることにより、テロの撲滅を可能にするのだと僕は思っている。
ジャーナリストの危険と「自己責任」論について
後藤さんの殺害を心から悔しく思います。そして、「イスラム国」とその行為を強く憎むものです。

よしりんは、後藤さんはジャーナリストだから、この事態は「自己責任」だといいました。もちろん、だからといって政府の責任は変わらないことも正当にも指摘しながら。
その通りだと思います。ジャーナリストは自ら責任を持って危険な地域にも出ていくことがあります。これは知る権利、報道の自由という公共に必要な諸権利を体現するジャーナリストであるからこそなおさら、自己責任を負うということだと僕は思っています。「自己責任」のもとで危険に対峙する責務を自ら背負うという、民主主義社会における公に必要な仕事がジャーナリストなのでしょう。

しかしその意味では、「自己責任」であることを指摘するだけのよしりんの議論は、正しいけれど片手落ちだと思います。「自己責任」を負って、公のために危険に飛び込むジャーナリストへのリスペクトを僕は強く表明したい。また、民主主義社会に生き、それをよいと思う市民の一人として、そういう人物を手にかけた「イスラム国」なるテロ組織を、いっそう強く憎むものです。

「イスラム国」のような存在が存続できず、その指導者どもが犯した罪を正当に償わせることができる未来を作るため、いま何が必要なのか、真剣に考えることが大切です。

その意味で僕は今、安倍首相の一連の発言を非難する気にはなれません。つまり、「イスラム国」のテロと戦う、あるいはその脅威にさらされている人々は支援すべきだし、「イスラム国」のテロとは闘うべきです(テロとの戦争は前回のエントリーで触れたとおり、愚の骨頂ですが)。そして、「イスラム国」が今回二人の日本人に対して働いた許すべからざる罪は、正当に償われるべきであることに、微塵の疑いもありません。

以上表明しておきます。


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  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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