わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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ISIS奴隷制を自慢
これはなんか変ですよね。これを「野蛮」の証明のように言う人も多いと思うけれど、素朴な宗教的原理主義とは違うように思う。露悪的で挑発的。
うまく言葉にできないんだけれど、意識的な「倫理的原理主義=ニヒリズム」とでもいうものが感じられる。こういうことは、近代以降の文化だけがすること。メタなレベルで自分の言っていることを理解してないければこういうことを堂々とは言わないものだ。
だからこれは、素朴な宗教的原理主義とか、前近代の「野蛮」さの発露なんかではない。むしろポストモダン的。日本でいうといわゆる全共闘の思想に近い。

宗教的な観点を「イスラム国」は自称しているようだけれど、伝統的な宗教的権威を実はかなり強く拒絶した集団のように思う。常識に根差した土着の文化と対極にある極端主義者たち。そういう意味では、一種の「サヨク」と言っていい存在なのだろうと感じられた。だから彼らには決して現地の一般住民との共感をもとに統治することなんかできないだろう。

まだまだ十分言語化しにくいのだけれども、直感を表明しておきたい。
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「豊かさ」というメジャー
「右傾化の実態」(よしりんの『あのな、教えたろか。』)より。
小林よしのりさんのカルチャーに対する見方、「右・左」というものに対する見方がよくわかる記事だと思った。

左翼が日本の現状を右傾化していると言えば、自称保守は
真ん中に戻っただけだと言います。
しかし書店を眺めれば、嫌韓本の氾濫に見られるように、
あきらかに極論的なタカ派意見が載っている本や雑誌の方が
売れてるし、「世界」などは同人誌レベルでしょう。

わしが高校生の頃は、「右手に朝日ジャーナル、左手に少年
マガジン」と言われるほど、若者のサブカル的教養が左翼化
していました。
学生運動の若者たちは、「明日のジョー」と「天才バカボン」を、
自分たちの気分を代表する漫画として熱中してました。
実はその頃の方がサブカルチャ―は大変豊かで、百花繚乱の様相
でした。

最近の若者のサブカルチャーは、ネットの嫌韓情報と、
愛国デモとヘイトスピーチが一番目立ってるような有り様だから、
精神の貧困化が進んでいます。



本当の危機は「豊かさ」の喪失にある。右・左なんかではない。その意味で日本の今の流れには「右傾化」とは違う方向性での劣化が含まれているのだろう。
深く同意したので紹介しておきます。

保阪正康氏の従軍慰安婦問題に対する見解、傾聴しました
保阪正康氏の日本記者クラブでの講演を見る。
弁護士・金原徹雄のブログの記事から。

性の問題は様々に微妙な問題を含んでいる。従軍慰安婦の問題を摘発する側はどの程度それを丁寧に考慮して、配慮して論じてきたのだろうか?
保阪氏の論じる事実の一つ一つの中に、ともすれば乱暴な「反戦派」の論理を上回る、深い日本の暗部に気づかされる力を見出す。そしてあの戦争をたたかった兵士たちに対する正当なリスペクトを感じられる。
このように丁寧な事実に対するまなざしを「反戦派」が持っていたとすれば、今日の事態を招くこともなかっただろう。

かつて「きけわだつみの声」の最近の編集姿勢を厳しく批判した氏の本について、好意的に受け止めることができた。
また、従軍慰安婦に関する見解についてもよく理解できると思った。
この人の議論をこれからも謙虚に学びたいとやはり思う。

金原さんの以下のまとめに賛成です。

保阪さんの意見の全てに賛同する必要はありませんが、現代史に向き合う誠実な姿勢は真に尊敬に値すると私は思っています。


憲法9条のノーベル賞受賞はならず・・・うん、まだ早いかもね
9条はノーベル賞受賞を逃した。
一番うなずけたコメントは実はまたもや小林よしのりのものだったり・・・

マララさんはいいと思う。
日本国民なんか何もしてない。
命がけで憲法9条を守ったわけでもないし、立憲主義の意味も
分かってないし、周辺事態法を外して米国の戦争にどこまでも
従う政権を止めることもできない。

日本国民のように、権力追従のニヒリズムしかない人民は、
17歳のマララさんの爪の垢でも煎じて飲め!


そう。今の体たらくでは日本国民にノーベル平和賞の資格はない。
マララさんが取った方がよかったのである。
平和は戦いとるしかないのである。クーデター的集団的自衛権容認を粉砕し、再度ノーベル賞に挑戦しよう。
集団的自衛権行使容認の根拠を特定秘密にすることもあるそうです
松井計氏のツイッターまとめはいつも情報に満ちていてありがたいですね。

ほら、出たぞ。
これじゃあ、閣議決定の時に3要件という歯止めを作った意味が全くないじゃありませんか。
この政権というか、総理はアブな過ぎる!このままじゃダメだよ。
⇒東京新聞:集団的自衛権 行使容認の根拠、特定秘密指定も:政治 http://t.co/s8rAy43e40


安倍総理の「善意」の押しつけはいつもながら凄い。国民の安全のことを考えると夜も眠れない、といった風情である。「国民の安全に政治は(総理は)責任を持つ」べきだと思っている。それはいい。だが、そこから次の帰結を導く。「政治は(総理は)必要と判断した場合は人権も制限してかまわない」と。
この立場を要約すると、命や安全のためなら政府は何をする権利も持つ。国民の人権はそれに従属する。ということ。
こういう「安全」保障の押しつけを拒絶する必要がある。

非常事態を想定して政府に人権侵害のお墨付きを与える制度を作ってはいけない。

本当に非常事態が起こった場合には、政府はその権限であらゆる方法を取るしかない。例えば急に町にゴジラが現れてあばれたならば、緊急避難の組織や、戦略的な財産の選択的保全措置や、自衛隊の派遣といったことが行われる必要がある。多くは超法規的措置にならざるを得ないだろう。そうした際の特殊な事情のあれこれをあらかじめ法的に明確化して準備しておけると考えるのが間違っている。
安全のため、人権の制限される状況をあらかじめ制度化すると、これは悪用される。真に緊急の場合の人権の制限を含む政府の措置は、政府自身の権限で超法規的に(法的に正当化できない状況の下で)行われるべきである。措置の適否は、法的にではなく、政治的に判断されるべきなのである。


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  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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