わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
06 | 2014/07 | 08
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

志位さんの呼びかけに欠けているもの
志位さんの講演での呼びかけに対する期待を先日表明した。その結果はどうだったか。わにぞう的には大きな不満が残っている。講演の主旨には賛成できる。まさに安倍内閣は亡国の政府といってよい。大きな共感を集めたのもその通りだろう。

だが、これは事実安倍内閣がかつてなく明確な、多くの国民が合意できる亡国の政府だからである。問題は、この亡国の政治をどのようにして終わらせるのか。現政権に代わる政権をいかにして構想するのかだ。ここには何の言及もなかった。いろいろな勢力に合意を広げる提案が可能だと思うのだが。どうしてここまでストイックになる必要があるのかよくわからない。誰かわかる人いますか?

確かに何も提案をしなければ間違いもない。一点共闘自体に誤りもない。安倍内閣が亡国の政府だという糾弾にも誤りが入り込む心配もないだろう。だが、何も新しい提案をする必要がないから、誤りもないというだけのこと。

超左翼おじさんによれば、間もなく政権構想が出てくるだろうという観測なのだが。
スポンサーサイト
本当に香ばしいサヨクさんというのはこういうもの
編集長が呼びかけた泥さんの本を出す取り組みには、わにぞうもぜひ協力したいと思います。
この泥さんを「悪質な同化主義・差別主義」者呼ばわりするサヨクさんを見つけました。その主張を読ませてもらいましたが、実に香ばしい。
泥さんは、「朝鮮高級学校、授業料無償化の適用外に」という読売の記事に対するコメントの中で、こういう文科省の動きに怒りの声を寄せています。

 日本に生まれ、日本に育ち、国籍はなくても日本社会に帰属意識を持って、この社会で働いて貢献しようとしている青年たちに絶望と反発を覚えさせ、「反日思想」に追いやることの、どこに前進的な意味があるでしょうか。

 朝鮮学校で反人権思想が教育されているのならば問題だと思います。
 拉致を肯定する独裁者をあがめる教育が、私たちの税金でまかなわれるのならば、反感は覚えます。
 たしかに悩ましいことではありますが、しかしそれでも補助金を出さないよりは、出す方がよいのです。
 日本が、「北朝鮮」独裁者のいうような帝国主義的非民主的軍国主義国なのか、それとも法的公正を守る民主主義社会であり、差別を許さない社会であるのかを、在日朝鮮人青年に現実をもって教えることになるからです。
 彼らはきっと祖国の凄惨な政治と比べて、どちらがよいのかを実感するに違いないからです。
 
こうしてみると、補助金不認可は、日本にとって実益はひとつもなく、実害ばかりがある施策です。


これにたいするこのサヨクさんの腹立ちは大変なものです。

この悪質な同化主義・差別主義の書き込みを読んで、激しい怒りを感じない人は少ないでしょう。
泥憲和によれば、日本は「帝国主義的非民主的軍国主義国」ではないというのです!
そして反帝自主の城塞としてそびえ輝く朝鮮では「凄惨な政治」が行われているというのです!


僕は左翼だけれども、このような、現実を無視して教条の上に成り立つ「サヨク」さんたちには一片の共感も感じられません。むしろこの時代に向かい合うことのできない不幸な生き方に、憐みすら覚えます。
こういう「サヨク」さんたちは、強い確信を持って発言、行動し、泥さんを断罪できます。日本の将来をいろいろ悩みながら展望しようとしている大多数の人々の模索は、まったくばかばかしいものでしかありません。何の逡巡も抱く必要はないでしょう。だって、日本は帝国主義的非民主的軍国主義国なのだし、朝鮮は反帝自立の城塞なのですから。

この香ばしさはなんでしょうか。焼きあがりできあがった定型の美しさでしょうか。
新三要件の歯止めは限りなく弱い
岡田克也氏の質問から。
この質問の中で基本的に新三要件に基づいて判断する。という言質を取った。これだけでも大変なやり取りが必要だった。総理は「機雷の除去は」とか「イラク戦争のようなものは」とか、事例に逃げ続けた。
さて、この新三要件の中でも以下の条件について。
「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」
常識的に考えると閣議決定の字面は集団的自衛権の発動は極めて限定された状況であるかのように見える。だけれども、いったい何を「明白な危険」ととらえるのか? 実はまったく限定になっていないことが明白になった。要するに経済的な打撃がある場合。また、米国との関係を損なう危険がある場合に、集団的自衛権は発動できるという。

経済的な打撃が大きい場合も「危険」と同列にとらえられる様子。これはなるほど幸福追求の権利が覆されている。と言えてしまうということだ。国際紛争は少なからず世界経済に影響を与える。そのたびに幸福追求の権利を振りかざして紛争に参加できるということになってしまう。

日米同盟の信頼関係を損なうと考えられる場合についても、日米同盟が我が国の国民の命にとって死活的に重要だから(ものすごい依存。)、米国との関係が損なわれる可能性があれば新三要件に適合する可能性が高いと言っている。
「日米同盟の毀損の恐れがあるときは集団的自衛権の行使が認められる」(よしりんのまとめ
ということになる。

このようすだと、経済的に打撃を受けたから。あるいは、米国に言われたから、侵略戦争に加担することだってしかねない。しかも、これは個別的自衛権については当然認められるとすれば、経済的打撃を排除する、あるいは米国にいい顔をするため、自衛隊を自衛権の発動として派遣することが可能にすらなるとんでもない答弁だったとわにぞうは判断する。

なんぼなんでもひどすぎる。この状態を危険だと考えるあらゆる勢力は手を結んで声を挙げなければならない。
今日の閉会中審査でわかったこと
笠井亮氏の質問で、日本の航空自衛隊が、米軍の敵国へのじゅうたん爆撃的な攻撃作戦の先陣を切る役割を果たすという設定の演習に参加していることが分かった。このこと自体はすでに報道もされているようだ。
これはかなり重大な内容だろう。
もちろん普通に考えていくらでも言い抜けは可能。実行することは想定していないただの多様な設定のうちの一つの戦闘訓練である。という言い抜け方をしてもいいし(今回小野寺さんはそうしていた)、日本防衛をするためにはありとあらゆる種類の状況に対応する必要がある(日本の領土に非常に広い範囲にわたって敵国の陣地や街地が築かれ、これを絨毯爆撃的に攻撃することによって、焦土と化すかもしれないけれどもそれでも日本の領土を取り返す作戦も場合によっては必要となるケースがないとは言えない)といってもいいかもしれない。
だけれども、日米の合同訓練というものの実態を明らかにする重要な質問だったことも事実だ。こういうことは国民にしっかり知られている必要がある。言い抜けされることは半ば承知だろうけれども、きっちり質問をしてくれたことを評価したい。
明日の志位さんの大胆な呼びかけを期待する
明日は志位委員長の講演がある。
安倍内閣に代わり解釈改憲を撤回させる政府を樹立する、あるいはその具体化のための法案を成立させないための最大限の共闘を呼び掛ける、これまでの延長線上ではない大胆な呼びかけを心より期待したい。
自衛隊アレルギーでは多数派にはなれないぞ
僕にはよく理解できないけど、「自衛隊」というともうそれだけで毛嫌いする風潮もあるのですか?
超左翼おじさんも問題にしているけど、自衛官募集のはがきが集団的自衛権容認の閣議決定の日に来たからと言って一部で騒がれていて、「赤紙」を連想させる議論まであるとのこと。
残念に思ったのは、「赤旗」までもがこの問題を取り上げて、「赤紙来た感じ。こえーよ」という記事を1面トップに載せているという話。そりゃあ自衛隊の勧誘が来ることを否定的にとらえる考えを持っている人がいることは別にいいことかもしれないと思うけれど、単に「こえーよ」のレベルで反応するレベルの世論を動員したら、集団的自衛権の問題が何とかなると思っているとすると、相当がっかりだ。
かつては共産党は武装中立論だった。だが、ソ連の崩壊を受けた情勢の変化の下で、憲法の全面実施を掲げるに至った。とはいえ、それは国際環境が許すこと、それまでは必要な場合に自衛隊を活用することも前提とした議論だった。だけど最近はたとえば自衛隊体験に対する機械的非難、自衛隊員が迷彩服で移動していることをもって恐怖をあおる、自衛官募集が始まるとそれを赤紙と書き立てる。こういうレベルに堕ちていないか?
そうなってほしくないと切に思う。期待しているだけに率直に言わせてもらいたい。
日本の積み上げてきた強みを台無しにしないために
今回の閣議決定は、法制化を通して実際の行動のレベルに降りてくるのか、あるいはそれすらも踏み越えて政府の権限でどこにでも派兵してしまうのかはまだわからない。
だが、日本はまだ他国の人を軍隊によって傷つけたり殺したりしていない。戦後ゼロなのだ。この驚くべき実績を持つ国があるという非対称性が、いかに国際社会の平和に貢献することか。
僕はこういう日本に誇りを持ってきた。日本に誇りを持つからこそ、狭い日本人だけの「安全」だけを説明に使って自衛隊を出して戦闘を行うことを「国民のため」と国民に押しつけ、それだけを国家の目的としようとする安倍政権のやりかたに反対する。

あえて言えば、日本は殺し殺される国ではある。日本が侵略を受け、日本民族の自由が踏みにじられた場合には、日本の主権を守るために殺し殺されることはあるだろう。だが、今の集団的自衛権の容認論は違う。侵略も受けていないのに、日本が海外で殺し殺される国になるということだ。

ずっと安倍首相が言い抜けてきた言い分、「戦闘を目的として自衛隊を派遣することはない」というセリフ。本当に卑怯だと思う。要するに、「機雷掃海のために」あるいは、「テロの防止のために」自衛隊を派遣するのだから、その結果戦闘になっても知らないよ。ということだ。
安倍首相の言い分は以下のように理解されるべきだ。「戦闘に結果する形で自衛隊を派遣したいのだ」、そして、海外で殺し殺される「世間並みの」自衛隊にしたいのだと。
「立憲主義を破壊する暴挙」自体は政府の専権事項である
今回の集団的自衛権の限定的容認の閣議決定は、立憲主義を破壊する暴挙ということもできる(そういう論理は説得力のある形で一定の人をとらえうる)。しかし、日本の国家権力の一端を握る行政権は、その権限内で何でもできる。僕はそう思う。例えば国民主権が脅かされる事態が本当に発生すれば、超法規的な措置だってとれる。
じゃあなんだってし放題なのかというとそうではない。国民が主権者であるのだから、三権を活用し、国民世論を動員し、政府の態度を変えさせることができる。というか、立憲主義を担保するのは、憲法がそう述べているように、国民の不断の監視と、憲法を最大限に活用(政府を縛る武器はここにある)を通じて、政府を、国民の考える憲法の範囲に押しとどめていく行動なのだ。果たして今回の「限定的容認」が憲法を踏み越えたものなのかどうか。条文が自動的に政府を縛ることはない。政府を縛るツールが憲法によって国民に与えられているだけだ。憲法を踏み破る政府の行為を押しとどめるのは、憲法を機能させようとする国民の監視だけである。

まだまだこれからだ。本当に安全を保障するとはどういうことなのか。このことを正面から問い、国民の多数派を握る巨大な流れを作るつもりが護憲派にあるのかどうか。このことがいよいよ問われている。


プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
    ↑は、日本最南端の碑

最近の記事

TBポリシー

このブログは、言及をした場合にトラックバックを送るという原則を堅持します。ただし、このブログに対する非言及トラックバックは許容します。理由はこちら

ブログ内検索

バナーエリア




「キャプテン」イガラシ全国大会版アニメ化を
応援しています
「キャプテン」近藤版も期待しています

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード

月別アーカイブ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。