わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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備忘のため。On Your Mark
On Your Markに関して宮崎監督が語った中身を紹介したページがあった。

(1995.8)『月刊アニメージュ1995年9月号での宮崎駿のOn Your Markインタビュー』
宮崎駿『地上には放射能があふれていて、もう人間は住めなくなっている。
でも緑はあふれていて、ちょうどチェルノブイリの周囲がそうだったようにね。自然のサンクチュアリ(聖地)と、化している。で、人間は地下に都市を作って住んでいる。実際はそんな風には住めなくて、地上で病気になりながら住むことになるとは思いますが。』
『いわゆる世紀末の後の話。放射能があふれ、病気が蔓延した世界。実際、そういう時代が来るんじゃないかと、僕は思っていますが。そこで生きるとはどういうことかを考えながら、作りました。』
『状況に全面降伏しないで、自分の希望、ここだけは誰にも触らせないぞというものを持っているとしたら、それを手放さなければならないのなら、誰の手にも届かないところに放してしまおうという。そういうことですよ。』
AM『戻る世界は、また「流行の風邪」の世界。』
宮崎『結局、いつもそこから始まるしかない。メチャメチャな時代にも、いいことや、ドキドキすることはちゃんとある。


このアニメーションは象徴的だなぁ。ぜひ世界の人に伝えたい日本の最高文化の一つだ。
Askaの事件がどうだろうと関係のないことだ。この声を提供してくれたAskaにも心から感謝をしている。
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岡崎久彦氏の軌跡から見える日本の凋落
岡崎久彦氏の言説の醜悪としか言いようのない軌跡をよしりんが「ライジング」でまとめてくれている。「この国を守る決意」での言説。

この対談本が出たのは2004年1月。岡崎久彦がイラク戦争の米軍勝利を確信し、これで世界史的な「アメリカ帝国」ができ上がるぞ、これからは「パックス・アメリカーナ」の時代だぞと欣喜雀躍していた頃である。
 この本でも岡崎は、イラク戦争を支持したことで「日米関係がこの150年で最善だ」と喜び、「一年前に集団的自衛権の行使を認めていれば、今回のイラク戦争で世界三大国の一つになっていましたよ」と悔やんでいる。


そして今、この岡崎久彦を信奉する安倍首相のやっていることは何か。

いざという時に見捨てられないように、とにかく米国に媚びて媚びて媚びまくれ! 尽くして尽くして尽くしまくれ! 基地を提供しているだけでは足りない、さらに米国のために自衛隊員の血まで流してさしあげろ! ここまでやっているのだから、北朝鮮や中国がヤバくなっても見捨てないで下さい、助けて下さいねと、アメリカ様にしがみつけ!!
 安倍が言っているのは、要するにそういうことだ。


わにぞうはこのよしりんの分析に同意する。
考えられない錯誤と売国の愚昧な指導者をいま日本は戴いている。
この危機を共有できるものが同盟できる基盤をつくりたい。
教育勅語はなぜ教育の要諦として妥当でないのか
大切なことは、戦争を含む国の政策の大義や妥当性を自覚的に判断する知性を育てるところに教育の重要不可欠な機能があることを認めるかどうか。教育の目的には政権担当者の行動を醒めた目で判断し、その適否をみきわめようとする知性を育てることを重要な部分として含む。その意味で教育勅語が教育の要諦として妥当かどうか、と問えば、妥当でないと答えるしかないだろう。少なくとも国家の政権担当者の行動を主権者としてチェックする能力の養成を欠いている。深刻な欠陥だと考える。また、各種の徳目を重視する理由を問うことを禁じる構造も教育の方法にふさわしくないとわにぞうは考える。
こういう私(わにぞう)の立場は、例えば皇国論者(天皇を日本の文化的アイデンティティとして神聖ととらえる立場、輪に増の立場とは異なる)のうちのある種の者たちによっても合意可能なものだろう。ある種の皇国論者とは、立憲主義を認める皇国論者と言い換えることができるかもしれない。この種の皇国論者は、政権担当者が天皇を辱める政策を取っているか否か、という立場から、政権担当者の行動を醒めた目で判断し、その適否をみきわめようとする知性を重視する。また、各種の徳目も、具体的事例に対してそれ自体として自明な回答を与えるものではない以上、社会と文化を構成する一員として、その徳目が意味する倫理的基準を自らのものとしてとらえ返す能力の育成が教育の機能として必要だとするなら、教育勅語のやり方は極めて権威的な押し付けであって、教育の要諦にはなじまないと考える皇国論者も多いのではないだろうか。

わにぞうの立場からすれば、天皇を神聖とする教育勅語はそもそも近代の教育理念として認めがたいが、皇国論者の立場からも教育勅語を「教育再生」の精神的基盤とするような立場には、強い反発があっていいと思う。
「自衛隊を活かす会」がいよいよ発足!
発足に反応しているtweetなどを見ていると、「なんだこれは?」的なものが多い。これはいいことだ。これまでの護憲派と改憲派の枠にはまらない形で思考することはできること。その時どれだけ豊かな発想が広がりうるか。「なんだこれは」を入り口にしてみんなで考えてみたいと思います。
「戦争ができる国に」論の罠
超多忙なので超短く。
「戦争ができる国にしていいのか」という原理主義的護憲派の「殺し文句」がある。だが、多くの国民は自衛のための備えとしての自衛隊の存在を含めて戦争ができる国であることを認めている。だから、「戦争ができる国になる」と煽っているつもりだろうけれども煽りになっていない。「もうなっているんですけど??」で終わる。逆に、「自衛も否定するわけ? どうしろと?」で炎上することになる。ゴー宣道場の高森氏の指摘は全くその通り。

勿論、いずれも没主体的に戦争に“巻き込まれる”可能性は、高い。
それで結構、というなら話は別だ。

そうでなければ、憲法改正は避けられない。
左翼がいつまでも古臭い教条主義的な反対論ばかり振り回していると、
かえって憲法の空洞化を進め、立憲主義そのものを危うくする
「解釈改憲」路線を勢いづかせることになる。


というくだりは、原理主義的護憲派に対する厳しい批判としてありうる指摘だと思う。
もちろん、侵略戦争ができる国になんてしてたまるかとは多くの国民が思っていると思う。

このあたりをしっかり踏まえているのが「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」。この会の主張が正当に広がれば、国民世論を動かす力になると確信している。


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  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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