わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
10 | 2013/11 | 12
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

貧困なる精神:カビの生えた言葉にまたも舞い戻る「既得権益を打破する会」
民主党は要するに労使協調型労組の利益代表政党に納まろうとしている。だから細野前幹事長も新しい方向性を探しているという話は聞こえてきていた。どうするのかな、といろいろ可能性を考えないこともなかったが、どうやら思いつく限りもっともツマラナイ方向へと走り出しているようだ。

民主党の細野豪志前幹事長と日本維新の会の松野頼久幹事長代行、みんなの党の江田憲司前幹事長らが29日、超党派の勉強会「既得権益を打破する会」の設立に向けた準備会合を国会内で開いた。



マスコミは新しげなオーラで包もうとしますけれども、まず名前で笑えますね。

勉強会は規制改革と地域主権がテーマで、準備会合には、3党と無所属の議員16人が参加した。



とのこと。
いわば国としての社会の仕組みを解体しさえすればよいというお話だ。この手の話は現在の煮詰まりきった閉塞感いっぱいの世の中で受けると思っているのかもしれないけれど、たぶん無理だと思う。根本的に方向性が間違っているうえに、もはやこの手の話は使い古されきっている。
じゃあ、既得権益を打破したうえで、何をしたいのかは語られない。国家の役割は何もしないこと。経済活動が好き勝手できるようにしさえすればすべてうまくいくということ。そのために、国民各層のあらゆる既得権益を打破していくことになる。
二大政党と第三極が代表する流れの終わっている度は本当に深刻だ。

事の本質を見事に言い当てたブログがあったので引用する。

つくづく、「既得権益打破」というスローガンは万能だと思う。

わたしたちは誰もが既得権益であり、打破すべき対象だ。

みんな打破されて粉々になればよい!

日本では、公務員も、正社員も、教師も、農家も、高齢者も、障害者も、生活保護受給者ですら、「既得権益」だ。

既得権益だらけの国ってわけで、永遠に攻撃対象があるので困らない。

結局TPP参加問題とは、新自由主義という「金だけがすべて」の拝金主義と、金儲けのために多様な文化や地域性や国民主権を蹴散らして世界を「消費地」として画一化することに対して、YESと言うか、NOと言うか、が問われているのだと思う。


> 「裏の統治層である1%」は含まれないですね。本来ならそいつらが真っ先に糾弾断罪されるべきなのですが、「保守」「愛国」の方々は靴を舐め尻尾を振るばかり・・・。

彼らこそが「既得権益打破」のスローガンを連呼する側ですからね。

つまり、公務員や、正社員や、教師や、農家や、高齢者や、障害者や、生活保護受給者らを「既得権益だ!」と攻撃しているのは、新自由主義で巨大な利益を貪る「1%」の側なんだよ。

彼らこそが本当の「既得権益」であるにもかかわらず、この不条理。



まったくそのとおり。拍手。
でも、本当の「保守」「愛国」の可能性はある。「靴をなめ、尻尾を振る」奴らは保守でも愛国でもないのだ。
スポンサーサイト
編集長による辻井喬さんへの追悼文
編集長は、ブログ記事「追悼、辻井喬さん」のなかで、以下のように話している。

辻井さんは、九条の会などに講演に行くと、このような発言をしておられた。

 「理論的には正しくても、相手の心に届かなかったり、相手を傷つける言葉がある」「必要なのは敵を味方にする言葉だ」

 それは、私の心にグサッと突き刺さった。自分の正しさを疑わない人は、自分を変革することはできない。左翼が多数になるには、退潮する左翼の中でだけ通用する言葉を使っていても仕方がない。敵を味方にする以外に多数にはなれないのだから、そのためには敵の心を知って、どこかで通じ合えるような言葉を発する必要がある。そう考え、本をつくりはじめていた私にとって、バイブルのように響くことになったのだ。



本当に人の心を動かす力のある言葉とは何か。このことを考え抜いて言葉を紡いでいきたい。特定秘密保護法でも、秘密が必要だ、国防も必要だと考える人にも届く言葉とは何かをいま考えている。
内田さんのページで特定秘密保護法案反対のとりくみが紹介されています
内田さんのページで「特定秘密保護法案に反対する学者の会」による声明「特定秘密保護法案の衆議院強行採決に抗議し、ただちに廃案にすることを求めます」の紹介があり、内田さんのtwetterに膨大な賛同メールが「殺到」しているらしい。12月3日に賛同者の集計が発表されるということだ。とんでもない数が集まる可能性があるような気がする。この「声明」の呼びかけ人のリストは結構すごい。
TPPもやばいですね
東田剛さんが述べています
日本のすべての貿易品目を関税撤廃の対象とする方向で日本包囲網が完結しつつあると。
でも、希望があるとのことです。

いいニュースもあります。
オバマ米政権がTPPを発効させるのに必要な「大統領貿易促進権限(TPA)」法案の年内成立が、米議会の与野党の反発によって難しくなっていると報じられています。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131115/amr13111520070009-n1.htm

アメリカの言わば「敵失」で、TPPが空中分解する可能性もあるのかもしれません。

フロマン代表が、自動車分野や保険分野で強硬姿勢を示しているのは、おそらく、年内妥結のために、議会を納得させるためでしょう。



でも、そこで登場するのはまたも安倍さんです。妥結できない危機にあるTPPを、日本国民の血と涙を米国の利益に貢ぐことによって贖うのです。

安倍総理は「年内妥結に向け日本が主導的な役割を果たす責務がある」と述べています。
http://www.nikkei.com/article/DGXDASFS1100S_R11C13A0EB1000/

だとすると、年内妥結のため、自動車分野や保険分野で、日本が主導的に譲歩する「責務」があるってことになるんじゃないでしょうか。



本当に問いたいと思います。こういう売国政治を許していいのか。現政府の国家間は根底から腐りきっています。ネトウヨはこの安倍政権の売国政治にこそ怒りを向けるべきなのではないのでしょうか。あまり期待はできないですけれども。
編集長の提起:多数派を獲得するために
かもがわの編集長の提起に着目しています。

安倍政権を特徴づけるのは、「軍事」一般ではなく、「戦争挑発型の軍事と外交」というようなものである。それをただ「軍事優先」だと言ってしまうと、侵略に対する防衛という、いわば当たり前の軍事をも批判しているように見えてしまって、侵略されたら自衛するのは当然だと考える人はついてこれない。(「『軍事か外交か』問題について」より)



では、どうやって多数派で包囲するのか。

仲間にすべき相手は、大きくいってふたつの勢力がある。

 ひとつは、軍事力を否定し、外交だけでやっていくと考える勢力。絶対平和主義の人びとと言ってもよい。ただ、これは数としては、少数にとどまる。

 もうひとつが、すでにのべた「憲法九条型の軍事と外交」を考える勢力。これは、九条と自衛隊の両方を肯定するわけだから、数としては圧倒的多数だが、潜在的なものにとどまっている。そんな考えがあることを自覚していないからだ。しかし、それが現実的なものであることが示されれば、目に見える勢力となっていく可能性がある。

 このふたつの勢力が共闘するわけである。



いま大切な対立軸がどこにあるかを提起してくれており、ほぼ全面的に同意できます。

現在の日本の深い対米従属の実態に行き場のない怒りを感じている人々は多いと思います。こういう人々の中には、たとえば自衛隊の増強を考える方もいるでしょうし、ましてや天皇を日本の中心にいただくような発想を持つ人々もいます。それでもこういう人びとをも巻き込むため、攻めに攻めることが必要だと思います。

僕はこの立場でリアルな世界でも可能な手を打っていこうと思います。

急を告げる秘密保護法案の情勢の下で。
また森達也を読んでみよう
森達也の著書との出会いは結構貴重だった。当ブログのリンクにも上位で掲げている通り。初期には、「マスコミと『被害者の立場』」というエントリーも書いている。
最近どういう本を書いているのか、と思ったらみつかった。「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機」

この本のタイトルが指し示す視点は、今日の僕の立ち位置を確固としたものとするうえで重要な一つの基盤となっていると実感することが多い。
報道されるさまざまな悲劇の当事者と、それに一体化する世論の陥穽の見事な解明。一方で、そのようなさまざまな悲劇の当事者たちを目の前にして僕らはどうすればよいのかに関する指針。
メディアリテラシーの応用問題として、彼の著書には非常にエキサイティングな経験をさせてもらっている。
この本で森達也を久しぶりに読んでみようと思う。この国の民主主義を根元から殺しかねない秘密保護法案と、自衛隊をアメリカの傭兵として売り渡す(というかただで渡す)集団的自衛権を認める動きが進む瀬戸際で、この世界を森達也はどう見ているのか。
内田さんの秘密保護法案に関する記事
ちょっと前になるが、内田さんは改憲に関する重要かつ大胆な予測を発表している。この予測は、内田さんのブログ記事「私の憲法論」に端的に示されている。

2周刊ほど前に、ある媒体に『私の憲法論』を寄稿した。
いつもの話ではあるけれど、採録しておく。
このときは「参院選の争点は改憲だ」というようなことをメディア関係者は言っていたけれど、私は「アメリカが反対している限り、安倍内閣は改憲の争点化を回避する」と考えていた。
現にそうなっていると思う。



この予測は今のところ破られておらず、かつその予測を基盤とすると今国会をめぐる政治情勢の基本が見事に解明されるのだ。今更ながらその卓見に敬意を表せざるを得ない。

この視点の下に、最新のブログ記事「特定秘密保護法について」で、秘密保護法と集団的自衛権の行使をめぐる議論の本質が鮮やかに暴かれる。内田さんによれば、今回の秘密保護法案は、集団的自衛権の行使とセットとなる改憲の実質を救うための手段なのである。なぜ改憲の実質を救う必要ができたか。ホワイトハウスからの指示によって改憲はすでに断念されたからだ(ここが内田さんの認識の演繹に基づく「予測」である)。安倍政権は骨の髄まで米国の傀儡だ。改憲に踏み込むことはそもそもできないのだ。内田さんの「見切り」である。事実ことは内田さんの見立ての通りに進んでいる。
安倍政権が行えることは、アメリカの意向に沿うことのみ。つまり、アメリカの要請にこたえてともに軍事行動を行うこと。そのために必要な二つの手段が、集団的自衛権の行使と秘密保護法案なのである(そして日本版NSCもこのリストに加えることもできるだろう)。

内田さんも秘密保護法案には反対の立場を表明されている。その論理も明快だ。

私とて大人であるから、政府が国益上公開できない秘密情報があることは喜んで認める。だが、秘密漏洩についての法的措置は多くの法律家が指摘するとおり現行法で十分に対応できている。
現に、重大な国防外交上の秘密漏洩事案は過去にいくつかあったが、いずれも現行法によって刑事罰を受けている。この法律がなかったせいで防げなかった秘密漏洩事例があるというのであればそれをまず列挙するのが立法の筋目だろう。
だが、そのような事例はひとつも示されていない。



秘密は存在している。秘密があるから国民主権が脅かされるとか、平和憲法を踏み外しているから秘密はだめだとか、そういう雑な議論はしていない。これが大切だと僕は思う。

そして、なぜ民主主義の原則が重要なのか。国家安全保障よりも、経済発展のための法制度より何よりも、重要な原則がそこにはある。

特定秘密保護法は賢明で有徳な政治家が統治すれば実効的に機能するが、愚鈍で邪悪な政治家が統治すれば悪用される法律である。
そういう法律は制定すべきではない。
それは現在の政治家や官僚が例外なく愚鈍で邪悪であるということを意味するのではない。
そのような人々が政治の実権を握ったときに被害を最少のものにするべく備えをしておくのが民主制の基本ルールだからである。
別に私がそう言っているのではない。
アメリカの民主制を観察したトクヴィルがそう言っている。



なぜ安全保障上重要な秘密を守ることに民主主義的な原則が優先するのか。国民はここに立ち戻る必要がある。
山本太郎議員の行動に関するゴー宣的回答が小気味よい
よしりんが山本太郎議員の園遊会での手紙の手渡し行動に関する決定版的な論評を書いている(「山本太郎には天皇を『政治利用』する力などない!」)。

政治的に議論のある案件を書いた手紙を天皇陛下に手渡すのは、国会議員として良くない。まさにその政治的案件を国民の代表として議論するために国会議員になったのではないか!
当選してさっそく陛下に陳情するような情けない国会議員では、国民から見れば頼りにならない。



何よりも国権の最高機関である国会の議員であることの自覚が問われているのである。

さらに天皇は権力を持っていない。権力を持っているのは国会議員であり、時の政権与党である。国会議員ならば、権力を取って政策を実行することに、全力を尽くさねばならない。
<略>
天皇陛下の役割と権限の限界、政治権力との距離について、山本太郎は勉強すべきだろう。参議院は良識の府ではないか!



同感である。天皇には政治的権能がないのである。
ましてや政治利用などではない。本当の政治利用は、本当に権力を持っている時の政権にしかできないことだ。

すでに遂行してしまった「政治利用」は、オリンピック招致という政治目的のために、高円宮妃殿下をIOC総会に出席させた件である!
あるいは、沖縄県民の強い反対を押し切って、陛下のご出席を実現させてしまった「主権回復記念日」こそが「既遂」の「政治利用」である!
<略>
天皇陛下も、皇族方や宮内庁も、「政治利用」になるような行動は避けるように、常に細心の注意を払っている。
それをゴリ押しして、無理やり「政治利用」につながる行動を取らせるなんてことは、その時の政権にしかできないのである!
一議員が手紙を渡したところで、それは政治利用でも何でもない!



僕は自覚的な「左翼」であり、天皇という存在に対する素朴な「庶民感覚」は持ち合わせていない。だが、この論点にはほぼ全面的に賛成である。それどころか、この問題に対する憲法の原則に立った決定的論評だと思う。
秘密保護法案の審議に必要な前提・ツワネ原則
特定秘密保護法案の国民的議論をすすめる上で前提として検討するべき原則がある。
それは、「ツワネ原則」と呼ばれており、

国家安全保障への脅威から人々を保護するための合理的な措置を危険にさらすことなく、政府の情報への公的アクセスをどう保障するかという問題に対して、関連法令の起草に関わる人々への指針を提供するために作成され、秘密保全の適正な限界、内部告発者の役割、その他の諸問題についての詳細なガイドラインを示しており、国家安全保障と国民の情報へのアクセスを検討するに当たっての視点として参考となる。(「諸外国における国家秘密の指定と解除―特定秘密保護法案をめぐって―」国立国会図書館(2013)より)



ひとつ前のエントリーでも触れたが、民主主義国家においても、平和憲法化とは言えども自衛隊や米軍も存在する現在の日本においては少なくとも、公益との関係で秘密管理が必要な場合があると国民の多くは考えているし、わにぞうもそう考えている。ところが一方で、公益のためであれば何でも政府が秘密を指摘できるような極限に至れば、民主主義国家としての命脈である国民の知る権利が死滅し、民主主義国家でありえなくなる。本当に達成すべきものはこの両者のせめぎあいのどこかにあるべきであると同時に、そのような制度全体の是非を問うことができる民主主義国家としての基盤を守らなければならない。
ところが一般的に、秘密保護法案に反対する論点には、国民主権や平和主義の原則を秘密の存在と単に対立させて理解して良しとするものが多い。多くの国民が興味を持っている、実在する必要な国家機密に対して、どのように対処するかに関する知見を提供する動きが乏しいことに危惧を持つ。

この点で、ツワネ原則は重要である。なぜなら、

この原則は70カ国以上にわたる国の500人以上の専門家の助言を得て、Open Society Justice Initiative の企画により世界中で開催された14回において、22の団体や学術機関により起草され、今年6月12日に発表されたもの


であり、

『国家安全保障と情報への権利に関するツワネ原則』は国家安全保障への脅威から人々を守るための合法的な努力を危険にさらすことはなしにどうやって政府の情報への公的アクセスを保証するかの問題を扱います。(Peace Philosophy Centreによる訳。読者には、この情報もとに疑問を持つ向きもあろうと思うので言うが、わにぞうも原文を参照して、訳はほぼ正確なものと判断していることを申し添えておく)


とする立場から、この問題に取り組んだ結論であるからだ。ハナから国家には秘密が存在してはいけないとか、秘密(国家の安全保障)と民主主義(政府の情報へのアクセス)が対立することから直接秘密の存在の否定を導き出すような乱暴な議論とは一線を画す国際的な一つの基準である。
例えばこの原則は、

知る権利への制限の必要性を証明するのは政府の責務である。(原則4)
政府は防衛計画、兵器開発、諜報機関によって使われる情報源など狭義の分野で合法的に情報を制限することができる。また、国家安全保障に関連する事柄について外国政府から提供された機密情報も制限することができる。(原則9)


とまで述べている。理念にのみ依拠した秘密保護法反対派には決して理解できないだろうが、国家には秘密はありうるし、政府だけがそれに責任を負う(民主主義とそれを担う国民に対して!)ことができる唯一の主体なのだ。反対陣営がこの点にも深く配慮をした論陣を張ってもらわなければ国民の多くを説得することはできず、議論は決して深まらないだろう。

ツワネ原則はこの秘密の運用を政府に責務として負わせながら、民主主義的なコントロールを実現するための多くの原則を掲げている。もちろんこれはあくまでも国際的な一つの到達に過ぎない。この原則を日本の現実に生かそうとするかどうかは、日本の有権者と為政者の判断次第だ。だが、わにぞうは、この原則は有効なものだと考えるし、ツワネ原則に真剣に向き合うことなくこのまま特定秘密保護法が制定されることには、日本の将来を真剣に考える立場から、断じて反対させてもらう。

ここでいくつかの原則を引用しておこう。現在の特定秘密保護法案はこれらの論点に向き合っているだろうか? まったく向き合っていないし、この原則を大きく踏み越えた国家機密の優先を特徴としていると言えるだろう。この法案をそのまま肯定するのであれば、関連する諸原則がなぜ不適切かを説明しなければならない。

政府は人権、人道に関する国際法の違反についての情報は決して制限してはいけない。これは、現政権より前の政権下における違反行為についての情報、また、自らの関係者あるいは他者により行われた違反行為について政府が所持する情報についても当てはまる。(原則10A)
公衆は監視システム、そしてそれらを認可する手続きについて知る権利がある。(原則10E)
公共セクターにおける内部告発者は、公開された情報による公益が秘密保持における公益を上回る場合、報復措置を受けるべきではない。(原則40,41、と43)
ジャーナリストその他、政府に勤めていない人々は、機密情報を受け取ること、所有すること、公衆に公開することに対し、また機密情報を求めたり機密情報にアクセスすることに対して共謀その他の犯罪で訴追されるべきではない。(原則47)
ジャーナリストその他、政府に勤めていない人々は、情報流出の調査において、秘密情報源や他の非公開情報を明かすことを強制されるべきではない。(原則48)
安全保障セクターには独立した監視機関を設けるべきであり、それらの機関は効果的な監視のために必要な全ての情報にアクセス可能であるべきである。(原則6、31-33)



秘密保護法案に反対する論理
秘密保護法案は、安全保障に関する行政情報を政府の裁量で秘密と指定し、重罰でその漏えいを防ごうというものだ。秘密の保護のため、この秘密にアクセスしようとした国民や報道関係者・報道機関も処罰の対象となる。
しんぶん赤旗の社説にあたる主張は、以下のようにこれに反対する論理を以下のよう展開している。

秘密保護法は、「安全保障」を名目に、広範な行政情報を国民から隠す、文字通りの「軍事立法」です。これまでにはない”異質の危険”はあきらかです。



そして、これまでの秘密保護に関連する法律と比較し、秘密保護法案はそれと異質だとする。

今回の秘密保護法案はこれまでの法律とはまったく違います。法律の目的に「我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるもの」を「保護する」と、目的に「安全保障」が明記されました。まさに「軍事立法」です。



この論理だけでは多くの国民の視点から見て二つの点で重要な批判がありうる。第一に、なぜ「安全保障」が明記されるとなぜ「軍事立法」であるとして同一視することが可能なのか。第二に、なぜ「安全保障」のための秘密を保護する必要がないと考えてよいと言えるのか。この二つの疑問をもとに、続く論理を読んでいく。

「安全保障」を振りかざして、すべての公務員と国民を縛り上げる「軍事立法」が、国民の「知る権利」や「取材・報道の自由」を侵害するだけでなく、国民主権の原則や平和主義を踏みにじることは明らかです。



何らかの保護が必要な秘密の存在を前提にこの文章を読むと、やはりまずなぜ「軍事立法」というレッテルを張るのか疑問になる。さらに、何らかの秘密の存在が前提となった場合、その部分に関して公務員や国民に対して何らかの制限(縛り上げる、とは言わないまでも)は必要となるし、その部分に関して「知る権利」や「取材・報道の自由」との矛盾は生じる。すなわち、前段は、何らかの保護が必要な秘密の存在を前提としている多くの一般国民に対してはほとんど説得力を持たない。
そして、「国民主権や平和主義を踏みにじる」というという締めの言葉がある。国民主権を踏みにじっていると言えるだろうか? 主権者が自ら秘密保護のルールを作るものであるとすればよく、再反論は簡単である。なんらの秘密保持の制限のない純粋な国民主権国家など、理念の中にしか存在しえない。では、平和主義を踏みにじっていると言えるだろうか? 平和主義は常に紛争を平和的に解決することだと僕は理解する。理想的に言えば、そのために一切の軍事的な要素を日本は放棄することも展望できるだろう。だが、現実には国民が自衛隊を破棄し、あるいは米軍との協力関係を破棄し、すべての情報をオープンにし、丸腰で世界に対峙することを、現時点で臨むという環境にはないのではないか。この主張が前提とする「平和主義」は、その意味で純粋で急進的な平和主義である。確かにそのような平和主義には矛盾するだろう。だが、急進的「平和主義」を多くの国民は現時点において決して支持していない。共産党の内部の論理としてはよい。だが、多くの国民の意識を念頭に置いた議論とは言えないことを率直に指摘する必要がある。

憲法で戦争を放棄した日本に、他国との戦争を前提に国民の目や耳をふさぐ「軍事立法」は必要ありません。



よろしい。急進的「平和主義」の立場から今回の秘密保護法案に反対することは本当に容易である。だが、多くの国民には決して届かない言葉であることは自覚してほしいところだ。

安倍政権が日本版NSC法や秘密保護法に執念を燃やすのは、日本を「戦争する国」にするためです。



大切なことは、安倍政権が行おうとしている政策が、どのような戦争をするためのものなのか。という中身に関する理解を国民多数と共有することだ。ところが、この主張全体は、秘密保護法は、純粋な国民主権と矛盾し、純粋な平和主義と矛盾する、だから許されない、というレベルにとどまっている。そのため、この「戦争をする国」という部分も、この文脈からきわめて一般的に受け取ることしかできない。

秘密保護法など「軍事立法」の阻止に力を尽くすことが今重要です。



秘密保護がすべて「軍事立法」と規定する立場には多くの国民はついてこられないだろう。この主張も、党内の了解にしかなっていない。

全体として残念な「主張」である。こうなった要因は、今の日本の現実との関係で国民の多くが不安に思っている諸論点に向き合うことなく、理念としての純粋な国民主権、平和主義の範疇からの批判にとどまっているからだ。このレベルでは決して国民多数を味方につけ、安倍政権の危険な衝動を食い止めることなどできない。

現実に多くの国民が懸念を持つ安全保障(防衛や防災、テロ対策等を含む)のための秘密保護の必要についてどのような対案を持つのか。あるいはどこまで対策を持つべきなのか。ここに踏み込むべきである。現行の法律でなぜ大丈夫なのか、行き過ぎた秘密保護を避けるための合意など、理念に逃げずに率直に論じる必要がある。そのことにより、安倍政権の意図が、NSAのような何でもありの集団とつるみ、自衛隊を米軍の子分として世界の紛争で「血を流す」部隊として売り渡すことにあること。この目的のために国民も動員することにあるという本当の犯罪性が、多くの国民の目の前にくっきりと浮かび上がることになるだろう。
例えば、東京弁護士会の解説文書(秘密保全法解説)がある。これを読めば、現在の日本にも多くの秘密保護法体系があることがわかる。なぜ今これに加えて秘密保護法を制定しようとしているのか。この具体論のなかで議論する必要がある。

それにしても、こういう目的のために、例えば公務員を「適正な人」と「不適正な人」に分けるという異様な対応が行われることになる。こういうことは、民主社会においてあってよいことなのかどうか。あらゆる危険を排除し、そのために秘密の保全を万全にしようという試みは、ある一線を超えると民主社会そのものを殺してしまう危険がある。このことを国民の多くの念頭にない。この状況は危険だ。だが、この点に思いをいたそうと考えてもらうためには、どのような秘密をどの部分までどのように守るかを国民がバランスを持って判断する必要がある。現政府はこのような国民の判断を回避し、好き勝手な内容を規定しようとしている。


プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
    ↑は、日本最南端の碑

最近の記事

TBポリシー

このブログは、言及をした場合にトラックバックを送るという原則を堅持します。ただし、このブログに対する非言及トラックバックは許容します。理由はこちら

ブログ内検索

バナーエリア




「キャプテン」イガラシ全国大会版アニメ化を
応援しています
「キャプテン」近藤版も期待しています

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード

月別アーカイブ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。