わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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これ面白い!(リベラル21)
あまりこのサイトには期待していないのだけれど、今度ばかりは本当に面白かったし、珍しく意味のある言葉が紡がれていると感じたので引用する。
リベラル21の「パロディ:北野武が語る橋下騒動」(盛田常夫氏の投稿)より。

 オイラなんかがさ、偉い顔して言うこともないんだけどさ、皆が知っているように、オイラも橋下さんと同じでフーゾクが大好きだから、一言、言いたくなるんだよね。だけど、オイラは芸人だけど、橋下さんは市長だからな。それも大都市大阪の。立場が違うと、やっていいことと悪いこと、言っていいこと悪いことがあるんだよな。オイラがアメリカの軍司令官に「日本のフーゾクどうですか」なんて言えば笑い話で済むけどな、橋下さんが言っちまったら終わりだよ。アメリカのカリフォルニア州知事が、基地の前にフーゾクの店を開きましょうなんて言ったら、まずいよな。アメリカだったら即刻辞任だね。本音はどうかしらないが、向こうは建前が厳しいからね。橋下さんが「フーゾクで遊んで何が悪い。売り手と買い手のビジネスだ」ってすごめば、日本のマスコミは「はい、そうですね」と引き下がるが、この手は向こうじゃ通用しないね。「そんな奴に政治は任されない」となるからな。アメリカにちょっと行って見ただけじゃ、向こう様の社会は分かんないよ。橋下さんにまともなアドヴァイザーがいないのかね。この騒動、橋下さんには荷が重すぎるね。

 フーゾクなんて、こっそりやるから面白いんだよ。橋下さんだって、奥さんに内緒でこっそりとコスプレして楽しかったのが忘れられなくて、アメリカの軍人に勧めてるんだろう。辺りを見回してさ、誰かがオイラのことをみてやしないかときょろきょろしてさ、それで店に入るってスリルもあるしな。考えてもみなよ、基地の前に「日本最高のフーゾク・サービスを提供します」なんて宣伝して、「ふーぞく」の店を開いてアメリカの軍人さんが喜ぶと思うかい。戦場なら分かんないが、平和な時に、基地の前に開いた店に行列して並んで楽しいかね。便所に並んでいるみたいでさ、ちっとも楽しくないよ。オイラは駄目だね。「ふーぞく」の開店時など、マスコミがわんさとやってきてさ、格好悪くて行列に並んでなんかいられないよ。日本のマスコミなんて不躾だから、帰りに「どうでしたか」なんて聞くもんな。こんなのちっとも楽しくないよ。


これだけ本質に迫った批判的議論を初めて見ました。政治家がその矜持を持たないといけないという当たり前のことが抜け落ち、公の精神の失われた日本の綻びが浮き彫りになっているような気がします。

こういう状況をより直接的に嘆いているのが藤井聡氏だ。三橋貴明の「新」日本経済新聞「【藤井聡】そりゃ怒るわなぁ…」より。

こうした経験を持つ筆者からすれば、昨今起こりましたあるニュースについて、ある国の方々が烈火の如く憤っておられる理由は、手に取るように理解できました。(#おそらく、その憤りの理由を論理的に解説すれば、上記の第一と第二の理由は 確実に「含まれて」いるものと思われます。無論そのニュースについては、これら以外の重要な理由もあろうと思いますが)

しかし、以上の説明を何度読んでも理解できない方は。。。。。その国の方々の憤りを理解することは、おそらくはできないのではないかと思います。

いずれにしても。。。。外国の方とつきあうには、「こうした屈辱感を先方に喚起させることがあり得るのだ」という事を十二分に理解しておくことが不可欠なのです。そうでなければ、良好な外交的関係を取り結ぶことなど、絶対に不可能なのです(例えば、私にそんな強烈な屈辱感と超絶な憤りを味合わせた、そんなニヤニヤしたドライバーと社交関係を取り結ぶなぞということは、私には不可能でしょう)。

逆に言うなら、それができぬ人間(例えば、先のニヤニヤしたドライバーの様なメンタリティを持った日本人)は、如何なるレベルの外交においても、関与してはならないのです。

そしてもしもそんな人物が関与することを許容している国があるとするなら。。。。。その国は、諸外国から「野蛮国」の誹りを受けたとしても、それを否定する資格など、その国の国民は全く持ち合わせてはいないと言わざるを得ないのです。


日本の政治の末期的症状。これをどうすればいいのでしょうね? そしてこういう状況を許している責任の一端は間違いなく我々主権者にもあります。
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内田さんの予想
内田さんが予想を発表しています。

安倍総理は最終的には「アメリカの支持」の方が「国内右派の支持」よりたいせつだという政治判断を下すだろう


ですから、安倍は橋下を切りますよ。かなり残酷なやり方で。


この予想は当たりそうですね。

橋下氏の発言とその反響に触発されて学ぶ
いわゆる「従軍慰安婦」の問題が橋下氏の発言を契機に改めてクローズアップされています。

橋下氏の発言はひとくくりにされているように思いますが、自分にとっては明らかに論外な部分を含んでいます。とりわけ現代の日本人の人権を蹂躙する発言は深刻です。こともあろうに米軍に対して、沖縄の女性を性の玩具として差し出す発言は、たとえそれが合法の枠内であるにしても、権力の座にある公人として言語道断です。とりわけ、沖縄の人々の怒りは当然でしょう。この言葉が物語る橋下氏の人物像は、私にとってもはや政治家として問題外です。
とはいえ、歴史の問題となると少し異なります。当時の文脈を踏まえて議論をする必要があると考えます。そうしてこそ真に反省すべき点が明らかになると考えるからです。そして、論者の立場の違いから、同じ資料がどのように異なって解釈され、異なった結論に導くのかの全体像を把握したいと思います。資料の無視・捏造といった問題ではなく、論点の擦れ違いによる対立があるのであれば、そこを丁寧に解きほぐすことから対話が始まるのでしょう。
まずは、はてなキーワード「従軍慰安婦とは」の、「関連するwebサイト」から、

従軍慰安婦資料館
秋原葉月氏作成:日本軍性奴隷(従軍慰安婦)についての資料リンク集 & FAQ

の二つを学ぶところから始めようと思います。議論はまだまだまとまりそうもありません。ゆっくりひと月くらいかけて自分の理解を確立していきたいと思います。

今日まずはっきりと納得できた議論は、「証言だけでは証拠にならない」と言って、あらゆる都合の悪い証言を等閑視する「ロジック」に対する批判です。これは全面的に正しいと思います。こんなことを言っていたら、歴史や社会について何事も推論することはできません。もちろん、あらゆる証言をその通り受け入れて事実だと考えるべきだということではありません。個々の証言を丁寧に分析することや、少しでも裏付けとなるものを探すこと。誠実に受け止めることが必要です。
たしかに、あらゆる証言を無視することにすれば、虚偽の証言によって判断の誤りを犯すリスクをゼロにすることができます。しかし、それだけのことです。このような抽象的な個人的「正しさ」にこだわるのは、過去の事実に向き合う姿勢を持たない傍観者の態度ではないでしょうか。

「証言は信用ならない」と言ってる人がしばしば都合の良い証言だけは受け入れることをしています。上記のページではこういう人を「ダブスタ」だと強く批判しています。確かにこれは問題外ですね。ただ、そういう問題外な人が生じる理由はやはりあるということもどこかで押さえておく必要があるとも思います。ダブルスタンダードを「没論理」だ、「間違っている」と否定することは簡単ですが、それだけでは相手やその影響者に届く批判になりません。自分的には、そういう「問題外」な人の心の扉を開く鍵となるような言葉を探したいのです。
なるほど、自分はそういうことがしたいみたいです。

今日はこれまで。あとはサイトを少し学んで、おやすみなさい。
なぜ安倍首相やネトウヨは日中・日韓関係を乱暴に扱うのか
太田光氏が普通に考えてまっとうな発言をして、ネトウヨからの総攻撃を受けている。
彼の発言は以下の通り。

安倍首相が、閣僚の靖国神社参拝をめぐる中国・韓国からの批判に「わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」
と述べたことにも、太田さんは「あまりにも幼稚だし、ヒステリックだし、子どもだよ」と手厳しい。

もっとも少し意外にも、太田さんは靖国神社への参拝やA級戦犯の合祀自体には、
「その人たち(A級戦犯)が悪いと決めたのは、(勝者による)東京裁判。
自分の親が国を守ろうとしてやったことには、そのときの事情があったんだと思います」と「理解」を示した。

どちらかというと太田さんとしては、首相が「屈しない」の一言で議論を拒否するような姿勢を取ったことを問題視しており、
「熱意を持って(なぜ靖国に行くのかを)中国・韓国に説明しようとしなければならない」と、首相に注文をつけた。



これは正論だろう。
だが、これに対して悪罵を投げつけるネトウヨがいっぱいだ。その意図はわかる。中国と韓国はいずれも根本的に「反日」なのであり、対話の対象ではないということだ。
こういう認定は可能だろう。だが、その帰結は極めて非生産的なものだ。それはそうだろう。隣国は基本的に理性的に話し合うことは不可能だという。これは絶望的だ。
ところがこういう非妥協的な日中・日韓関係を演出したいという意図があるとすればどうだろう。

内田さんの最新のブログ「朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿」は、この可能性があることを以下のように論証している。(まぁネトウヨの反応は大体わかっている。まずは「朝日新聞」に寄稿したことにかみつくのだろう。彼らにとってはこういうつまらないことが、動かしがたい真理の証拠なのだから。)

この本質的に反国民的な要求を国民に「飲ませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽りがどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民に飲み込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。
国民をこういう上ずった状態に持ち込むためには、排外主義的なナショナリズムの亢進は不可欠である。だから、安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである。外交的には大きな損失だが、その代償として日本国民が「犠牲を払うことを厭わない」というマインドになってくれれば、国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替えることに対する心理的抵抗が消失するからである。
私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば「日本の国富を各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス」なのである。
現在の政権与党の人たちは、米国の超富裕層に支持されることが政権の延命とドメスティックな威信の保持にたいへん有効であることをよく知っている。戦後68年の知恵である。これはその通りである。おそらく安倍政権は「戦後最も親米的な政権」としてアメリカの超富裕層からこれからもつよい支持を受け続けることだろう。自分たちの個人資産を増大させてくれることに政治生命をかけてくれる外国の統治者をどうして支持せずにいられようか。
今、私たちの国では、国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって国政の舵を取っている。政治家たちも官僚もメディアも、それをぼんやり、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の「末期」のかたちなのだろう。



太田氏は、なぜ安倍首相は日韓の批判に対して正々堂々となぜ参拝するのかを説明しようとしないのか、と問いかけている。だが、ネトウヨは中韓に対して説明をしようとすることがそもそも「反日」への許しがたい屈服なのである。なぜなら、中韓は日本にとって妥協しがたい「悪」であるからだ。このように庶民を追いこんでしまえばあとは簡単である。中韓に負けてなるものか。日本のグローバル大企業を国民等しく支えていく思想動員を簡単に書けることができる。ネトウヨは実はグローバリズムと親和的である。このことは、沖縄をめぐる昨今の2chのネトウヨの言動が教えてくれた。

だから僕は、太田氏の言動に対する極端な否定的反応に批判的な立場に立つ。
編集長の本「憲法九条の軍事戦略」amazonで品切れ続く
編集長の「憲法九条の軍事戦略」の売り上げが上昇し続けている。今日は1646位に上昇。憲法のカテゴリでは3位につけている。
少なくとも昨日から新品は品切れ状態で注文すらできない状態にある。相当見込みを上回る注文がついているものと思われる。中古品は新品定価をいずれも上回る価格設定。この手の本では前代未聞かもしれない。そういう状態でamazonの売り上げランクが上昇するということは尋常ではない。
この論点がいかに国民に待たれていたのかがよくわかる現象だ。
民主主義を選び取るということ
民主主義は特殊な(不自然と言ってもいい)認識に基づいている。
国家は縛らなければならない。個人の人権は公益や公の秩序に優越する。
国家権力の危険性を「公平で自然な視点」によって等閑視することは許されない。

これらの特殊な認識は人類史を通じて確立された知恵である。
日本の伝統に直接根ざしているものだけから成り立っているわけではない。
日本にもその智慧の確立に連なる伝統を持っているが。
人類史に基づくこれらの原則を「日本の自然な伝統」にないからと言って等閑視することは許さない。

国民主権や人権尊重原則は、人類史に基礎を置く特殊な認識に基づいている。
それを無視するというのならすればよいが、国民主権と人権を守ることはできない。

国家に無制限の権力を渡してなお国民が守られるほど、世の中は甘くない。
人類史はそれを学び取ってきたからこそ、現憲法に書き込まれた諸原則があり、国家権力を縛っている。
民主主義を「そろそろやめよう」とする勢力こそ、根本的に平和ボケしているのだ。
小林よしのりの改憲反対の立場
小林よしのりは、憲法九条の改正について、現在の改憲論との関係では反対の立場をしばしば明らかにしてきた。
今回「ゴー宣ネット道場」に登場し、自民党の改憲案に対して明確に反対の立場を表明した。

わしは「国家権力」のために
『ゴーマニズム宣言』を描いてるのではない!

「公」のために描いてるんだ!
<略>
国民の義務を強化して縛る、
ファシズムのための
憲法改正ではないか!

そんな馬鹿な憲法改正には
断固として反対する!!



先の大戦の評価を異にし、皇室については明確に敬愛の立場を表明しているこの論者を、はたして護憲派は受け入れることができるだろうか。このことがひきつづき問われている。

ボールはいま、護憲派のがわにある。
旧来の護憲派の限界
改憲のおそれが高まる下で、護憲派の対抗論理は深まっているだろうか?
良識的なリベラル派のあつまるブログ「リベラル21」の最新の護憲論を見る。あえて批判的に引用させていただく。

現行憲法のもとでは、自衛隊はあきらかに憲法違反である。憲法の理想と自衛隊の現実、この理想と現実の矛盾を解消するにはとりあえず2つの方法がある。憲法9条第2項を削除するか(=憲法改正)、あるいは自衛隊の現実を少しずつ変えて憲法9条の理想に近づけるか、のいずれかである。改憲派は現実に合わせて憲法を改めることを主張し、護憲派は憲法を堅持し、現実を憲法の理想に近づけることを主張する。どちらの主張が現代の、また将来の日本に有益か。もっと視野を広げていえば、人類の未来にとって、世界の平和にとってどちらの主張が望ましいか。いうまでもなく、護憲派の主張が有益で望ましい。



この論理はいろいろな意味で問題をはらんでいる。まず後段。「現実に合わせて憲法を改めるか」、「現実を憲法の理想に近づけるか」と問い、「いうまでもなく」後者の主張が有益だ。と言い切る。戦争の違法化(正確には侵略戦争の違法化だと思うが)と、なし崩し的な解釈改憲の流れを追った、この段落までの立論を紹介しないで批判しているので少し問題があるかもしれない。だが、それらを説明してもなお、多くの国民にとって、「言うまでもなく」護憲派の主張が正しいと理解されると思うのは相当浮世離れしていると思う。
そして前段。自衛隊が憲法違反であることには異論はない。だが、その対応として「現実に合わせて憲法を改める」方法と、「現実を憲法の理想に近づける」方法の二つしか考慮しない立論そのものに大きな問題がある。この立論は、憲法と現実との対峙を背景に、憲法の条文を粘り強く守り抜くことの意義を今に至るも理解していないという信じがたい情勢に対する鈍感さを物語っている。率直に言う。上記の「二つの道」の選択を国民に現代社会において提起すれば、多くは憲法の改正を選ぶだろう。

今の護憲と改憲の対決点は、現実と憲法の原理のどちらを選ぶか、という点にはないのである。「現実を憲法の理想に近づけよう」とする人々(原理的護憲派)にのみ目を向けて何とかなるという甘い時代ではないのである。

憲法を変えて戦力の保持や国の交戦権を容認することは、軍国主義の方向にさらに歩を進めることに等しい。それは具体的には、日本を「海外でも戦争のできる国」にすることである。たとえば、国連の承認もないままにイラク侵攻を強行したGeorge W. Bush 政権下のアメリカや、それに追従し侵攻したイギリスのような国を軍事面で目指すことにほかならない。



上記ブログのこの指摘は半ばその通り。だが、点数をつけるとすればせいぜい40点くらいだろうか。やはり深刻な対米従属の事態に対する認識がない。この点では、護憲派が嫌う小林よしのりの議論のほうがよっぽど正確・本質的に問題をとらえている。

9条が改正されていたら、米英軍と一体になって侵略者の汚名を着たはずだ。イラク人を何人殺し、日本兵は何人殺されたことか?・・・主体性を完全に喪失した今の日本、日米同盟・絶対主義、アメリカ追従の日本では、憲法改正は米英と共に侵略戦争にも加担する「醜い国」をつくる契機になりかねない。

憲法改正が「自主独立」のためでなく、「日米同盟の強化」のためのものであり、米国の属国化を進めるものならば、わしは「護憲派」にはならないが、「現時点での憲法改正に反対」の立場に回らねばならない!(「ゴー宣・暫」より)



今問われているのは、米国の軍事戦略の駒として「国防軍」を差し出すつもりなのかどうか、ということだ。これこそが本質的争点なのだ。

旧来の護憲派の主観においては、軍事=軍国主義=悪、憲法=平和主義=善の抜きがたい公式があり、この公式から問題を説明しようとしてしまう。だが、問題は常に具体的であり公式は無力だ。なかば無意識的にこの公式に基礎を置こうとする護憲派のありかたが、本当に問題を考えようとする人々を憲法から遠ざけている。思考停止にとどまることなく論を進めてきた護憲派の人々の創造的な議論をもっとメジャーにしていかなければ、憲法9条を守ることはできないだろうと強く感じる。
「憲法九条の軍事戦略」はよく売れているようですね
amazonを見ると、「軍事-軍事情勢」カテゴリで1位、「法律-憲法」カテゴリで6位の売り上げです。
平凡社でもまさかここまで売れると思っていなかったのでしょうか。新品在庫がないですね。
問題は、この提起を形にしていくことですね。
政党は守りに入っているし、平和勢力は視野も狭く、内にこもっているように見えます。



プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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