わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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2ch変調・主権回復の日に対する沖縄の抗議への悪罵の数々
沖縄の主権回復の日抗議集会についての2chスレを見た。驚いた。このスレにはネトウヨしかいないのな。こんなバランスを欠いたスレは初めて見る気がする。普通10に一つくらいはバランスを取る発言があるもんだ。それがない。沖縄県民を罵倒する発言。沖縄県民を同胞とも思わない発言。沖縄の歴史のイロハもわきまえない発言ばかり。何やら民族派ぶってみても、何一つわかっていないことがわかる。落ちたもんだ。

沖縄の人が米国の支配下に組み込まれたのを屈辱と思うのは当たり前だ。サンフランシスコ講和条約のもとで「銃剣とブルドーザー」で先祖代々の土地を追われ、基地にされていったのだ。米軍基地国家にされた日本の屈辱もここで気勢を上げるネトウヨどもには理解できんだろう。 そして沖縄に米軍専用基地の74%がおかれ、本島面積の20%近くに上るのに、言うに事欠いて『基地は沖縄だけじゃない』だと? 僕の沸点をはるかに超えたので書かせていただく。

ついでに、小林よしのり「ゴーマニズム宣言」「『主権回復記念日』はインチキである!」から引用させてもらう。

 サンフランシスコ講和条約の発効によって沖縄、奄美群島、小笠原諸島は日本から切り離され、アメリカの占領下に置き去りにされた。
 それから昭和47年(1972)5月15日の本土復帰まで、沖縄の人々はあらゆる苦難を押し付けられてきた。いや、今でも沖縄は過重な米軍基地の負担を押し付けられ続けている。その起点となった4月28日を沖縄の人々は「屈辱の日」と呼んでいたのである!



 しかし当然これには沖縄からの反発がある。祝賀イメージのある「記念」の文字を外して「主権回復の日」と名前を変える程度の姑息な手段で収まるわけもなく、仲井真沖縄県知事は式典の出席を見送り、当日沖縄では1万人規模の抗議集会が開かれる予定だ。



そしてこの集会が開かれると、2chは人数をねつ造だと言い、1000人だ、400人だとはやし立てた。参加者の95%は本土からの動員だとまで言った。一方で、沖縄県民は日本から出ていけというような発言も無数に見られた。

 沖縄で先祖伝来の土地が米軍に収奪されても、女性や子供が米兵の犯罪の犠牲にされ、犯人がろくに罰せられることがなくても、怒った沖縄人が「島ぐるみ闘争」を繰り広げても、本土では誰もそれを知らなかった。そればかりか、沖縄人は英語を話すものだと本気で思われていたほど、沖縄は「忘れられた島」にされ、放置されたのだ。
 その冷酷さ、薄情さを身にしみて知ってしまったから、沖縄の人たちはいつしかその出発点となった4月28日を「屈辱の日」と呼ぶようになったのではないか!!

 沖縄の人が当初、本土の「主権回復」を祝っていたという史実は、4月28日を「主権回復記念日」として祝っていい根拠とはならない。むしろ逆だ。わしはこの史実を知って、本土の人間としてより一層恥じねばならないと思った。



僕は2chを見て本当に思った。日本と言う国は本当に冷酷で薄情だ。
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松竹さんの出版記念講演YouTubeに登場
「憲法九条の軍事戦略」出版記念講演がYouTubeにアップロードされました。
どうしてこういう本を出版するに至ったのかについて語っておられます。興味深い講演です。

小林よしのり「開戦前夜」を読む
いつもながら、氏の提示する視点の新鮮さには驚かされる。特に、日系ブラジル人社会に起こった事実を掘り起し、現代社会への重大な問題提起を行った部分は圧巻だ。定型の批判をしようと思えばできたかもしれないが、エンターテイナーとしての矜持がそれを許さないのだろう。

多くの論調について同意できる。心ある人々にぜひ手に取ってみてほしい書だ。
「憲法九条の軍事戦略」への反応から
「漫望のなんでもかんでも」さんの 「『憲法九条の軍事戦略』を読んだ」を読みました。

この本は、「ここに正解があります、さぁ、これに従いなさい」というタイプの本ではありません。「私はこう考えていますが皆さんはどうですか?」と問いかけてくる部分、「ここはかなり難しいんですよね」と、著者自身も考えあぐねている部分もあります。

だから逆に読む価値があるなと思ってしまうのです。



編集長(松竹さん)は護憲派も「軍事戦略」を持つべきだ、と言う点では非常に明確な主張をお持ちですが、一方でその「軍事戦略」の内容に関しては問題提起的で、一緒に考えていける説得的な説明と柔軟性がありますね。

そして、Amazonの「どろ」さんのレビューがどんぴしゃ僕の心にはまりました。このレビューの中で、問題の閉塞状況と本書の登場の意義を詳しく表現してくださっていますが、ここまでわかりやすく問題を整理して理解できる文章を読んだのは初めてです。目から一枚うろこが落ちた思いです。なるほど、そういうことなんだ。という大局的な発見に満ちていました。「どろ」さんは元自衛官とのことでしたが、だからこそより切実・明確に現状を見据えておられるのでしょう。

 憲法の謳う価値観には心から共感するが、国防を否定し、自衛隊を嫌う護憲運動は間違っていると考えてきた。
 だが、そうではない護憲派が現れた。
 驚くとともに、歓迎したい。



いまやパックスアメリカーナは終焉し、客観情勢が護憲派の変化を要求していること。政府側もこれまでの対米依存症ではやっていけなくなっているのに、独自の有効な軍事戦略が出てこない。でも、

 護憲派に国の独立を守れるのかという不安を抱くがゆえに、改憲の立場に立っている人は多かろう。
 日本国憲法の基本的人権やデモクラシーは守りたいし、平和主義も正しいと考えているが、非武装では不安だという人たちだ。
 平和主義護憲派は、これらの人々を取り込めない。
 改憲主導勢力は、それらの人々を取り込むために安全保障に関して危機感を演出、改憲するついでに基本的人権やデモクラシーにも手を突っ込もうとしている。
 どうも危なそうだが、ではどうすればよいのか、逡巡している人は多い。

 ところが、ここに、日本の独立自衛戦略をもち、しかも基本的人権やデモクラシーを擁護することでは折り紙付きという護憲派が現れた。
 ならば危険な匂いのする改憲派を支持する必要はない。
 護憲に乗り換えてもよい。
 こう考える人が現れても不思議ではない。
 この戦略を護憲派が取り入れたなら、改憲主導勢力にとって脅威ではなかろうか。



同感です。同じように感じる方は、実は相当数国民の中にいるのではないでしょうか。そして「どろ」さんのおっしゃる通り、この戦略を護憲派が消化できるのかどうか。根っからの護憲派である僕自身にも突きつけられた問いだと思います。護憲派というとすぐに「共産党・新社会党・社民党とみどりの党、そして民主党の一部」という視野に陥っているのが現状です。これを超えられるカギとなる本だと思います。
「憲法九条の軍事戦略」を読む
膠着する日本の情勢に一石を投じようとする編集長の「憲法九条の軍事戦略」が出版された。

抑止力に頼る戦略と、専守防衛を文字通り守る戦略の対立として戦後史をまとめ、米国の軍事力という圧倒的な存在を背景にした抑止力に頼った日本政府が、必然的に対米従属と軍事戦力に対する思考停止に陥っていく過程をあきらかにした。この本の主題は、米国の軍事力を背景とした抑止戦略から自由になり、専守防衛戦略を採った時に、どのような展望が開かれ、どのような自前の戦略を描けるかという問題に関する試論である。
この本にはもう一つの思考停止をえぐる側面がある。日本の平和勢力、あるいは護憲派とされる人々が、今日の現実を十分直視することなく、安全な地点からのみ平和を唱えて思考停止する限界があったこと。現実を動かそうとするなら、その立場から出て、全面的な軍事戦略を立てる必要があることを論じたものでもある。

本書の意義は、憲法9条の軍事戦略の基本線を提起したことにある。政権側が米軍頼みで思考停止している現在、それは実は現存する唯一の日本独自の軍事戦略なのかもしれない。自衛隊の存続を前提に構築されるこの軍事戦略は、専守防衛あるいは拒否的抑止の立場を取り、懲罰的抑止を行わない。また、集団的自衛権を行使しない。そしてこういう自制的立場を、国際政治における交渉ごとに最大限活用する。

米国の軍事戦略から自由になり、日本の安全をトータルに考える立場に立てるかどうかが本質的に重要な分かれ道だと感じる。こういう立場からのより自由闊達な議論の先鞭をつけた論考だといえるだろう。編集長によるものとはまた異なるアプローチが、多様に考えられるように思う。編集長もこういっている。

今後、国民投票が現実的な時代になってくると、九条の帰趨を決めるのは、そういう層だと思います。国民投票が行われるとしたら、間違いなく中国や北朝鮮に対する不安感が増幅している時期を選んで(つくって)、実施されることになるでしょう。そうなったとき、堂々と「攻められたらこうするのだ」と言える状況にしておかないと、壊滅的な結果につながるおそれがあります。

だから、是非、この本を議論のたたき台にしてほしいと思っています。壊れるほどたたいてもらえばいいんですから。



多様な人々が、9条の軍事戦略と自衛隊の存在を前提とした日本の安全保障政策を描いていくことが求められているのだ。
[READ MORE...]
水道も売ってしまうわけですね
もう寝ようかと思っていたけれど東田剛さんが衝撃の事実を報告してくれたので紹介しましょう。
CSISで麻生財務大臣が行った演説を紹介してくれています。Ustreamを見る(TOEFL義務化政策に自信を失っている受験生諸君、ぜひ見てみることをお勧め。自信がわいてきますよ!)と、なるほど麻生首相が得意げに質問に答えています(47分50秒くらいから。この部分は原稿がないので麻生さん日本語)。

水道は世界中ほとんどの国で民間が行っているが、日本では国営。これをすべて民営化します。



何だこりゃーですね。外国人相手の演説で得々と自国の水道民営化をあけすけに語る。僕の職場で大将がこんな発言をしようものならあっという間に批判の嵐です。だからこんなことはふつう言えないものです。

日本の水をなんだと思っているんだ!!!
水を守る仕事をしている大勢の働き手たちをどう思っているんだ!!!

これで十分僕の沸点を超えました。きっと東田さんもだと思うのですが、もっとすごい発言があったのです。

どうしても許せないのは、この発言。
これは、最悪です。

「日銀の黒田東彦新総裁は、実に大規模で迅速に、まさに「衝撃と畏怖(shock and awe)」を実行しました。」



この「衝撃と畏怖」を得々と語る麻生大臣。「衝撃と畏怖」とは、イラク戦争における米国の作戦名です。米国の尻馬に乗ってイラク戦争を支持した歴史がよほど誇らしいのでしょう。

アメリカは、イラクが大量破壊兵器をもっていると因縁をつけ、国連安保理の決議を経ずに武力攻撃を行いました。
無辜の民が多数犠牲になりましたが、結局、イラクからは大量破壊兵器が見つからず、中東を大混乱に陥れただけに終わり、オバマ政権はイラクから撤退しました。

当時の日本は、このイラク攻撃を支持しました。
しかし、イラク攻撃は、国連安保理の決議を経ていない武力行使ですから、国際法違反の「侵略」です。
最近、集団的自衛権だの、憲法改正だのといった議論がありますが、日本は、十年前に、現行憲法はもちろん、憲法改正しても認めないであろう「侵略」にあっさり賛成していたのです。
このときも、日米関係が理由でした。

日本というのは、日米関係のためなら、侵略への加担もOKだという国なのです。ならば、TPPごとき、日米同盟のためなら安いもんだということです。



東田さんも心配していますが、これは相当滑稽なひいきのひいき倒しではないか。イラク戦争は今や米国にとってトラウマなのです。それをここで持ち出して「受ける」と思う国際感覚はもうどうにもなりません。

一日も早くこの政権は終わっていただきたい。
「靖国」をめぐる報道
安倍首相は、「英霊に哀悼の意をささげる自由は守る」という言い方をした。では、祭られている英霊のうち、戦犯としてその評価が分かれる人々についても参拝の対象としているのかどうか。諸外国の批判はそこにあるのだが、答えようとしない。日本の過去については複雑な認識と気持ちを抱きつつも、素朴な気持ちで名もなき英霊たちに哀悼の意をささげようという人々を人質にるような回答だと思う。
もし名もない英霊たちを大切にしたいのなら僕はそれを理解する。だが、そうであるなら、評価のわかれる戦犯たちについてはどう考えるのかについての説明がなければならない。政治家なら説明をするべきだ。日本には韓国や中国に対して謝罪するべき過去が一切ないと思うのならそう公式に主張するがいい。まずはどちらの立場なのか明らかにしてほしい。
僕は、以前のエントリーで触れたように、日本に謝罪すべき点がないかのような主張は成立しないと思っている。だから、もし政権が夢想の日本無謬論に立つというのなら、過去を直視せず国際政治をもてあそぶ政権についていき、破滅につきあうのはごめんだ。

だが、なぜ首相はこうも危ない火遊びをしたがるのか。それは、日本には謝罪すべき過去がないかのような主張は、一見世間にあふれているように見えるからだ。ネットの世界である。2chの一部などでは、そういう前提で発言しないとなんら相手にされないような空間もある。だが、これはリアルな世論なのか? かなり疑わしいと僕は周囲の人を見ていて思う。
ところが、首相をはじめとする一部「保守」政治家はこのような「ネット右翼」世論を厚い現実だと思い、そこにどっぷり迎合している。迎合するばかりでなく、それで自らの人気を浮揚させる契機として利用しようと思っているようだ。このようなネット世論が厚いのかどうかはわからないが、現実に対処するべき政治家が依拠していい立場ではないはずだ。最悪のポピュリズムの形ではないか。保守から本来最も遠い態度ではないのか。

きのう国会で首相は、「侵略の定義は定まらない」「どちらから見るかで違うものだ」と言った。だが、これでは国際社会の安全保障は成り立たないのだがいいのか。アフガニスタン侵攻もソ連から見たら侵略じゃない。クウェート侵攻もフセインから見たら侵略じゃないことになってしまうのだが。いいのか。イラク戦争もアメリカの側から見たら侵略じゃない。と言いたいからいいのかな? 尖閣が侵略されたらどうするのか。中国が侵略じゃないと言ったら国際社会は知らん顔するのか? それにしても、どの報道を見てもさっぱり文脈がわからない。だからこの段落の主張はまだ保留状態だ。

マスコミは(まだNHKニュース9しか見てないけど)この話題になるとすぐアメリカの顔色をうかがう。アメリカは困っているぞ。という話をする。これも世論を分裂させるやりかただ。アメリカが困るから日本は自制をすべきなのか。
とはいえ、アメポチの安倍首相はどうするつもりなのだろうか? このねじれが現実と関係するとき、何かが見えてくるのではないかと予想する。

それにしても、安倍政権を包囲する大きな共同が必要だ。そこにはまちがいなく、靖国神社に参拝をしている人々も含まれるのだ。だからこそ、批判の在り方は慎重であるべきだ。十把ひとからげの乱暴な批判をさけ、多くの人に届く言葉を紡いでいかなければ。
小林よしのりからのこのボール、護憲派はどう受ける?
小林よしのりは本日、「「『憲法96条改正』は立憲主義の破壊だ!」小林よしのりライジング号外」を発表し、改憲派の憲法破壊の知的不誠実とご都合主義を痛烈に批判している。

立憲主義の原理について、

そもそも憲法とは、国民大衆が権力者を縛る手段として存在するものであり、権力者の都合で安易に改正できないようになっているものなのだ。
それに憲法は他のすべての法律を規定する特別な法律であるから、その安定性はある程度、確保されなければならないのも当然なのである。


と真正面から擁護している。さらに、昨今の改憲の動きについても強い批判を持っていることがうかがわれる。単に手法がなっていないから批判しているのではないのだ。「イラク戦争の総括ぬきで、自主防衛の目標もなく、改憲のみに執着している安倍政権・橋下維新の会や、自称保守派の思考停止」と痛烈に批判している。そして、

他にも自民党の憲法改正案は問題だらけである。それも今後論じていきたい。


としている。

護憲派はこのボールをどう受け取るのだろうか。

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「喜八ログ」さんが小林よしのり氏の立場に着目する記事を2007年に書いているのを発見しました。僕が記事「「ゴー宣・暫」 小林よしのり (SAPIO 2/14号)」で着目したものと同じ作品について、同様の感触を持った人はほかにもいたのですね。うれしい限りです。
モルシ政権下エジプトその後の前進
先日「エジプトの春」の後退を印象付けるNHK番組「激動イスラム 第1回『アラブの春はどこへ』」に対して一部異議を申し立てる記事を書いた。この時はそれなりに迷った。だけれども、大筋において当時の直観は間違っていなかったように思う。

「リベラル21」に掲載されているエジプトの最新の情勢について紹介する、坂井龍谷大学名誉教授による記事「潮目は変わりつつある―政権と若者たちの対話も」は読みごたえがあった。モルシ政権はtwitterなども活用して引き続き市民・若者と対話をしようとしている。経済的な苦境についても、アラブ諸国やアメリカなど周囲の国々の思惑をかいくぐって各方面から支援を取り付けてしぶとく立ち回っている。これらの希望の芽は、数年来の「アラブの春」がはぐくんだものだ。一方で、NHKが「アラブの春」の本流と伝えようとした「救国戦線」は必ずしもうまくいっていない。

観念的な「民主主義」ではなく、民族に根付いた本当の民主主義を自由闊達に求めようとするモルシ政権の試みに引き続き注目していきたいと思う。
TPP事前協議合意のてんまつ
TPP事前協議が合意に至ったとのことです。かの東田氏によれば、

日本は簡単な審査で外国車の販売を認める台数を年間5000台に増やすことになりました。
「自動車の数値目標は受け入れない」という、安倍総理が守ると約束した自民党の6条件の一つが、もう破られました。



なんと、TPPとは別に、日米間で非関税障壁を協議する場が新たに設けられることとなったのです。
その非関税障壁とは、保険分野、投資のルール、知的財産権、政府調達、競争政策、宅配便、食品の安全基準、自動車の規制・諸基準やエコカー支援や流通などです。
仮に日本がTPP交渉不参加となった、あるいは交渉で日本の主張を通せたという奇跡が起きても、米国は、別途、タイマンで日本に圧力をかけることができるのです。



これだけの譲歩を重ねる交渉力の弱さはどうしたことなのか?
そこは安倍首相のFaceBookが参考になります。

TPP交渉参加に向けた米国との事前協議が本日、合意に至りました。厳しい交渉でしたが、日本の国益をしっかり守ることができたと思います。TPP交渉参加は国家百年の計。TPPは、経済的メリットに加えて、自由や民主主義、法の支配といった、普遍的価値を共有する国々とのルール作りは安全保障上も大きな意義があります。日本の国益を実現するための本当の勝負はこれから。



この発言から何を「国益」ととらえているかが如実にわかります。要は、「普遍的価値を共有する国々(というかアメリカ)とのルール作り」による「安全保障上の意義を持つ」ということこそが彼にとっての国益なのです。

本当に呼びかけたいと思います。こういう売国的政治に対する左右を超えた本当の国共合作を。
広原先生の日本共産党批判の問題点はどこにあるか
先日紹介した広原氏の見解にもとづいて、神戸で「護憲結集討論集会」が開かれたようだ。これついては、多くの護憲派は拍手喝さいを送っていることだろうと思う。だがあえて、広原氏の見解に対して問題点を指摘しておきたい。そしてそれは実は、日本共産党の問題点にも通じていることについて指摘しておきたい。

広原氏のブログでの発言は以下の通り。

広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極=反ファッシズム統一戦線”の形成以外に危機打開の道はないと考えている。



そして、広原氏の見解をベースにした集会に対する日本共産党の批判にある展望は以下の通り。

思想・信条・党派の違いを超えて、憲法会拍反対の国民多数派の結集、改憲派を圧倒する世論形成に全力を尽くす



いずれも、「護憲」を掲げて「革新政党」や「市民運動」の活動家たちが手を結びさえすれば、国民多数の結集が可能だという前提に立っている。特にこの点への根拠のない確信は、日本共産党の見解に著しい(残念ながら)。問題はそんなに甘くない。文字通り護憲を支持する勢力は、今日の国際情勢の下で、控えめな言い方をしても決して半数には届かないだろう。市民運動と革新政党という護憲派の主部隊がこの点を直視できていないことは重大だ。

僕は両方に問いたい。現時点における改憲に反対する多数派を作り上げていくために、どこまで「革新政党」や「市民運動」の枠を飛び出す覚悟があるのか。

今回の神戸での集会は「護憲派の市民と政党の共同」の枠にこだわりつつ批判を政党に向けたものだ。悪いけど、内なる政党依存を打ち破ることのできない「市民運動」の現状を物語っているように思う。この点、広原氏の立場は、現状にいら立つ知識人の限界を残念だけれど体現しているように思う。その点、日本共産党の

政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉にほかなりません。


という非難自体には一理ある。
とはいえ、やはり根本的には、より広い視野から、護憲への真の展望を本来指し示すべき日本共産党が、一般の人々に対して展望を示しえてないことが一番の問題だ。その状況の下で、市民運動が護憲への展望を、一部狭い「護憲政党」の「共同」にしか見いだせない状態にあり、それが実現しないからと言って、政党たたきに走らせているのだ。それに対する日本共産党からの「非難」としては、視野が狭いのがさみしい。

このような「集会」が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換の場になりえないことは明白です。


というのだが、ではどういう取り組みが、建設的な意見交換の場になりうるのか。そこを示してほしい。このような相互依存が続く限り、展望は生まれないだろう。

本当に多数を取るにはどうすればよいのか。ここに本気で挑むことが急務だ。日本共産党に本当に問われているのは、社民党や新社会党と手を結ぶかどうかなどではなく、原理的護憲派ではない多数の国民に対し、憲法9条の現時点における改定を思いとどまらせる共同への展望を指し示すことだ。
「護憲派」に問う。小林よしのりと手をつなぐ覚悟があるか
小林よしのりは「戦争論」を引っ提げて先の侵略戦争に対する認識の相対化を成し遂げた。だから護憲を掲げる人々のおおかたが、小林よしのりなどとんでもない輩だと思うのも無理もないところだ。

だが一方で、今日の「ゴー宣道場」で、小林よしのりは次のように発言している。

このイラク戦争の総括をしないままで、
自民党は憲法改正に突き進む。


「自衛権の行使」の解釈次第では、
日本はアメリカと共に
侵略戦争に突入していくことにもなろう。


これは反戦平和・現行憲法の護持
を唱える勢力の理論として、
否定できない部分である。


つまり、イラク戦争に対する日本政府の無反省な立場が示している通り、今日の「改憲論」の本質は、日本の独立自衛を目指すものなどでは決してなく、自衛隊を米国の目下の従属部隊として米軍に組み込む道に他ならないと認識しているのである。
この小林よしのりの立場は、思い付きなどでのべられたものではない。
すでに2007年の初頭、著書「ゴー宣・暫」において、小林よしのりはこう述べた。

9条が改正されていたら、米英軍と一体になって侵略者の汚名を着たはずだ。イラク人を何人殺し、日本兵は何人殺されたことか?・・・主体性を完全に喪失した今の日本、日米同盟・絶対主義、アメリカ追従の日本では、憲法改正は米英と共に侵略戦争にも加担する「醜い国」をつくる契機になりかねない。


さらに進んで

憲法改正が「自主独立」のためでなく、「日米同盟の強化」のためのものであり、米国の属国化を進めるものならば、わしは「護憲派」にはならないが、「現時点での憲法改正に反対」の立場に回らねばならない!


と、憲法改悪反対の立場をも表明した。当時わにぞうもこの発言に着目し、記事にしている(「ゴー宣・暫」 小林よしのり (SAPIO 2/14号))。
本日「ゴー宣道場」で表明された見解は、当時からまったくぶれることなく保持されてきた確固たる見解である。やはり大した言論人である。

護憲を掲げる勢力に呼びかけたい。本当に憲法9条を守ろうとするのであれば、小林よしのりを敵に回し、あるいは傍観者にとどめてはならない。
そしてわにぞうの認識によれば、小林よしのりが賛同を寄せる、この「反戦平和・護憲の理論として、無視できない部分」こそ、今日の情勢下、最も大きなウイングを広げる可能性を持った反改憲の論点である。
まさに、「現段階における改憲問題をめぐる本質はどこにあるか、僕の思うところを端的にいうと、アメリカが自衛隊を米軍に接収して世界中の侵略戦争に連れ歩こうとしているのを許すのかどうか、というところにある(上記ブログ記事より再録)」のだ。

小林よしのりはもちろん原理的には改憲派である。しかし、現時点での改憲には反対する立場に立ちうることがわかる。純粋な「護憲派」からすると、戦争を肯定するとんでもない輩かもしれない。だが、今日の安倍政権の下での改憲に反対するという一点では手を握ることが可能だ。それくらいの「驚天動地の」「国共合作」が演出できれば、流れは大きく変わるだろう。編集長の本「憲法9条の軍事戦略」も、こういった共同を補強する役割を果たす護憲派からのアプローチの一つとして重要な書籍だ。
アベノミクスの多面性
アベノミクスについては3つの矢でまとめると理解しやすいようです。
金融緩和→公共投資→成長戦略
ここについては、東田剛の記事「アベノミクスが危ない!」が参考になります。以下基本的にこの記事に基づいてまとめてみます。
現在はその一つ目の「金融緩和」の段階。インフレ傾向になり、円安と株高が実現します。実際そうなっています。
次に公共投資を発動すると、内需が拡大に結び付くことになります。ここについては藤井聡の記事「2本目の矢」が参考になります。この公共投資が相当重要です。ここにブレーキをかける動きはすでに政府の中で胎動(というよりも闊歩)していて、「産業競争力会議」とか「経済財政諮問会議」とかといったものです。
さて、そうするとどうなるかというと(東田さんによれば)、

これで矢は、金融緩和と成長戦略(構造改革)の二本になる。

内需が拡大しなければ、金融緩和で流動性が高まったマネーは、資産市場に向かい、株価は上昇します。
これで、グローバル資本は、ウハウハ。
でも、日本国民の給料は上がらないまま。格差は拡大しますが、これこそ「頑張った人が、報われる社会」の実現だというわけで、産業界やマスコミは、
「アベノミクス」を絶賛。


アベノミクスに関する本質的な批判はここに踏み込む必要があるだろうと思います。金融市場を実体経済に接続するルートをどのように作るかあるいは流産させるか。アベ政権の下ではこの綱引きが行われています。
批判する際にこの綱引きを等閑視し、あるいは見て見ぬふりをし、外野=安全なところからの批判に甘んじていいのだろうか? 野党にはこの点をよく考えてもらいたいと思います。
東田さんは以下のような本質論まで披露してくれています。

先の総選挙で、自民党は、「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げました。
ところが、取り戻されようとしているのは、「小泉政権下の日本」のようです。
いや、民主党から日本を取り戻して、アメリカに渡すということだったのかな?

読者の皆さん、こうならないようにするには、どうしたらよいか、考えてみてください。


このメッセージは大切にしたいと思う。
内田さんから「学校教育の終わり」のお知らせです
タイトルのフレーズには一つの既視感が張り付いている。そう、中野剛志の情熱大陸動画「ルール策定は政治力で決まる 米韓FTAよりひどいTPP交渉となるだろう」のニコ動での紹介タイトルである。そこには「中野剛志さんから日本終了のお知らせです」とあった。TPPにのめりこむ日本の状況を解説したものであった。今度は内田さんから、日本の学校教育の終わりのお知らせがあった。先を見通せる人々からは、そういう状況に現代の日本はあるのだということだろう。
内田さんが「学校教育の終わり」のなかで、日本の学校教育になぜ終わりが来たのかについて、以下の通り解説している。ほぼこれに尽きている。

近代の学校教育が「国民国家内部的」な制度である以上、学校教育の衰退が国民国家の衰退と歩調を揃えるのは当然のことである。


教育制度は教育基本法において日本の国民を作るために教育を行うと書いてある。だが、この国家の目的そのものがグローバリストに簒奪された。そのため、日本の国民を作ることの目的は公民を作ることではなくなり、そしてそうなって相当の年月がたったということである。
内田さんがずっと喝破してきたとおり、このような状況を内面化した子供たちが下流化するのは実は理の当然なのであった。そして、いかにグローバリストの目的たる国家の目的に沿う教育改革を行うのか。そのことに血道を上げてきたのがこの間の経過である。

繰り返し言うが、学校教育は国民国家内部的な「再生産装置」であり、ほんらい自己利益の増大のために利用するものではないからである。
残念ながら今の日本の支配層の過半はすでにグローバリストであり、彼らは「次世代の日本を担う成熟した市民を育てる」という目的をもう持っていない。


公教育にはすでに公の矜持は失われた。学費の受益者負担原則がそれを裏書きしている。

それがまた蘇るだろうと私は思っている。隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。私はそう考えている。そして、おそらく、私と思いを同じくしている人の数は想像されているよりずっと多い。


同意できる。共同体に教育は何ができるのか。この公の矜持を取り戻すしかないのだろう。だがこの部分に関してもグローバリストの側の教育改革は触手を伸ばしているはずである。たとえば具体的には、COC(Center of Community)の役割を大学に持たせようとしている。この内実は何か。そこをよく見極める必要がある。

何はともあれ僕は公的な教育機関で教育に携わっている。僕は教育機関は国家の有権者を作るほんとうに大切な役割を持っているという教育基本法の骨格としての理念を大切にしたい。国家がいかにグローバリストと多国籍企業に簒奪されようとも、直接的に責任を持つ日本の国民に対して忠実に、本当に地域で必要とされる人を作ること。さらに、地域を公を支える者に内側から変えていくことをめざし、国家の側からの教育改革プランの逆手を取って、本当にやりたいことをやり遂げていく動きを作りたいと思う。


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