わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
09 | 2012/10 | 11
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かもがわ書店「編集長の冒険」
かもがわ出版のサイトに「編集長の冒険」がオープン。ちょくちょくお邪魔することにしたいと思います。
自分自身はオスプレイ配備はする必要がないと思っているし、米軍に頼るのは間違っていると思う。当面自衛隊による自主防衛に徹すべきで、かつ軍事力はできるだけ少なくしていいはずだと考えている。尖閣問題も竹島問題も、自分の立場を日本はもっと発信するべきだと思っている。また、原発も即時廃止すればよいと思うし、自然エネルギーに全面転換のための準備をしたほうがよいと思う。新自由主義的な経済運営や、「民間活力」を信奉して福祉や教育から公的機関が撤退するのはおかしいと思うし、TPPにも反対だ。グローバリズムなんてぶちのめしてやりたいし、一方でかつての戦争での様々な日本の行為には許しがたいものが存在すると思う。自分の考える方向に日本が変わればいいなとは思う。
でも、本当に日本の将来を考えてる人々の間でも、あるいは多くのまじめな国民の間でも、上記のさまざまな問題で多様な見解の相違がある。国民の多数に納得されようと思うのであれば、これら多くの違いを認め合いながら、少しずつその違いを解消していくしかないだろう。自分の思いは正しいから、みんなも当然同じように考えるはずだ。などと思うのは現実を無視した考え方である。
いかに多様なありうる主張があるかを自覚し、その中で互いの思いを一致させるのではなく、尊重しあえるようにする必要があると思っている。
そういう思いを共有できるページが、上記「編集長の冒険」である。更新を日々楽しみにしている。
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尖閣問題の意見として面白いので、備忘のため
『薔薇、または陽だまりの猫』「参考:日本共産党と尖閣問題」
共産党の主張は実に面白いけれど、その主張の中にだけとどまっていたのでは、本当に心に届く言葉を紡ぐことはできない。いろいろな対話が必要だ。
新現実主義への批判【「反官反民」(中野剛志著)を拾い読みする②】
今日の世界の流れや日本の立つべき位置を洞察するうえで極めて重要な認識の一つに、「現実主義」をどうとらえるかということがあるだと思う。

現実をできるだけ合理的に理解することは、問題の解決にとって重要であることは間違いないだろう。その際、現実主義者たちは軍事や経済といった計量可能な指標のみに頼ろうとする。そのほかの要素は不確実性も大きく、合理的現実理解には逆行するととらえる。例えば核兵器を忌避する、といった行動原理は、計量可能でないために捨象され、そのようなことを国際政治の現実問題を考量する際に持ち出すのは非科学的だ。と主張される。
このような一見反論しにくい現実主義は実は非科学的なもので、現実を理解する指針とはなりえないということについて、僕は「核兵器使用を阻止する力」(2006年4月28日)というエントリーで主張した。

核兵器の使用を許さないと考える人々の運動は、明らかに後者の考え方である。国際世論などというものに依拠をする、現実を見ない空想主義ということになるだろう。したがって、「リアリスト=パラダイム」からは全くの無意味な(愚かしい)行為だということになる。
しかし、戦後60年以上にわたって一度も核兵器が使われることがなかった、という事実についてもう一度よく考えてみると、それを「リアリスト=パラダイム」の立場からどう説明できるのかがよく分からない。「核の傘」によって守られていないはずの非核保有国の数々が「核武装国を相手とする戦争に参加」してきたにも関わらず、なぜ一度も核兵器使用がなされなかったのか。
つまるところ、核兵器をめぐる軍事力均衡とは明らかに別の要素が国際政治を実際に動かしていることを認めなければ、戦後政治は理解できないことを意味している。だから、核兵器を使われたくないと考える人々は、そう思う理由を主張しておおいにアピールすればよい。この行動は無意味ではないし、戦後政治の現実を見る限り、むしろ非核保有国に対する核兵器使用の決定的な抑止力である。


この直後にコンストラクティビズムという思潮を見つけ(「コンストラクティビストの核抑止論理解」, 2006年4月29日)、より強固な基盤の下にこの考えを主張できるようになった。

「はじめて核兵器の被害を受けた国民として、核兵器は持ちたくない」、「核兵器を使用することは倫理的に許されない」とか、「核脅迫に基づく国際関係は不当である」といった、「文化、規範」などが持つ「相互主観的な意味を知る必要性」が強調される。リアリズムの立場が「核戦力の均衡」という物質的側面に即して問題を理解する一方、「文化、規範」といったものを不確かなものとして考察から排除することによって、定量的、客観的な問題理解を可能にしようとするのに対して、コンストラクティビズムの立場は「文化、規範」といったものが事実国際社会を動かす客観的な実在であることを主張するのである。


そういえば、米国大学院への留学の中でこの思潮に大きな影響を受けた東大作氏の2005年5月13日付のブログからコンストラクティビズムの考え方見つけたのだった。

こうした思考に響きあう主張は、イラク戦争を推進しようとする者たちの「現実主義」を批判する立場から、当時中野剛志氏から3年も先んじて提出されていた(『発言者』2003年4月号)。

ブッシュ政権の戦略参謀たちは、軍事および経済を中心に政策を立案、というよりは「計算」しており、例えば文化、理念、精神、道徳、あるいは国民感情に対する配慮をまるで欠いているようである。しかし世界は、計算不可能な道義や国民感情によっても左右される。また軍事力や経済力ですら、それを産み、支える究極の力は、国民の精神力である。・・・
ブッシュ政権の戦略のように、世界を、軍事力や経済力によって動く国家間のパワーゲームとみなす思考は、アメリカの国際関係論の世界では「新現実主義」と呼ばれている。笑止な呼称である。世界が軍事と経済を中心に動いていると考えるのは、非現実だからである。(「反官反民」p. 26)


経済の問題の即して言えば、目に見えるGDPや国籍企業の利益などにのみ依拠して現実を評価する立場。安全保障の問題の即して言えば、相手を圧倒する軍事力を持つかどうかのみをもって安全保障政策を立案する立場。これらの、科学的に見えて実際には現実を左右する要素の大半を捨象する非科学的な立場を乗り越える論理を、我々は持っている。そして中野氏は、国民経済の構築という課題に焦点をあてて、現実に影響を及ぼし得る戦略的主張を開始して現在に至っている。僕は心からこの試みに期待をしている。
おっと同じ見解発見
ひとつ前二つ前のエントリーで触れた、特派員協会での志位発言の日本国内における報道の注目すべきバイアスを指摘するブログがさっそく見つかった。リンクでも紹介している「愛国者の邪論」のエントリー「またしても日本共産党の見解をスルーした日本のメディア、外国特派員協会はどう思うか、情報鎖国日本の現状」。全面同意。
トラバを送っておこう。

志位氏の発言の報道が赤旗と、中国のプロパガンダ記事の紹介だけ―という異常
ひとつ前のエントリーで触れたように、日本の政治記者が中国の新聞のプロパガンダをそのまままた聞きで日本に紹介したものだから、志位さんがとうとう中国の味方になった。という印象の報道になった。
この中国の新聞のプロパガンダのもととなったのは、日本で行われた外国特派員協会での講演。その中身なら直接日本にいるんだから聞いているだろう。ところがその直接の報道は皆無(赤旗のみ)。中国の言い分だけをつたえただけ。日本のマスコミも大したものです。

いずれにせよ、かなり興味深いバイアスだと私は観察しています。今後を見守りたいところですね。
中国ソースを盲信して事実の一部を切り取って伝える記事の典型
あれ? 志位さんもとうとう中国の代弁者に? と思ったら、要するに日本の政治記者が中国の新聞の国民向けプロパガンダを事実と思い込んでそのまま日本に紹介しちゃったというお話。2chの読者も真に受けてしまっているので少々イタい状態にある。

(少し実態と違うので書き換えると、「日本の政治記者が中国の新聞の国民向けプロパガンダをそのまま日本に紹介したものを、そのままみんなが真に受けてしまっているので」のほうが適切)

日本共産党、尖閣問題で日本の軍備強化を警戒=中国報道

日本共産党の志位和夫委員長は4日、日本国内の一部の政治勢力が尖閣諸島(中国名:釣魚島)問題を利用して軍備の拡大を意図していることに警戒しなければならないと述べた。中国国際放送局が報じた。

■「尖閣諸島」に関する他の記事 - サーチナ・ハイライト

  志位委員長は東京の外国人記者クラブで行ったスピーチで、1972年の中日国交正常化交渉および1978年の日中平和友好条約の交渉中に、日中両国は尖閣諸島問題を『棚上げする』ことで共通認識を得たと話した。

  志位委員長は、日本政府による尖閣諸島の国有化が事態を悪化させたとし、「日本政府は自ら犯した侵略戦争を反省しておらず、それが日本外交の弱点になっている。日本国内の一部の勢力は尖閣諸島問題を利用して、自衛隊の軍事力と日米軍事同盟の強化を意図しており、一部の政治家は日本は海軍陸戦隊を保持すべきだと考えている。政治勢力が尖閣諸島問題を利用して、軍備の強化や憲法の修正をすることは最悪の展開であり、領土問題の解決には何の役にも立たない。日本共産党は、このような事態が起こらないよう全力で阻止する」と述べた。(編集担当:村山健二)



#追記(村山さんに少し同情)
こう書いてしまったのだけれど、村山氏のほかの記事を見ていると、要するに中国側の報道や報道官の言い分を、そのまま客観的に紹介するスタンスでの活動をしていることがわかる。これ自体は重要な報道の役割で、村山氏はその役割を正しく果たしているだけだ。
問題はふたつ。第1に、この情報は中国の新聞の報道をそのまま客観的に紹介している、と書いてあるのに、そのことに注意することができない読み手の問題。僕もちょっとあてはまる。
第2に、日本の公党の党首が、日本で行われた記者会見で公に行われた志位氏の発言の報道が、中国の新聞経由のこの記事でしか普通の人が見ることができないという異常。
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尖閣問題。本質はここかな? 日清戦争への「反省」問題
どうして尖閣諸島問題で日本政府は明確な主張ができないのか。不思議に思っていたのだけれど、やはりここが問題なのかな、と思ったのは、日清戦争への「反省」問題。
日清戦争で日本がどの領土を中国から奪ったといえるのか。どこは確かに奪った。どこは奪わなかった。この仕分けができないと、中国側の主張を覆すことができない。
一部ネトウヨのように、日清戦争によるものを含めて、侵略戦争で奪ったものであっても正当だと主張する立場に立ってしまうと、尖閣諸島とその他台湾や澎湖列島などとの区別をつける論拠を失うのだ。戦争で奪ったものではないからと尖閣諸島の正当性を主張する立場(これは論理的には国際社会で受け入れられうる主張である)は実は、戦争で奪った領土であっても領有は正当だと主張する立場とは相いれないのである。
日本政府が「領土問題は存在しない」として領有権の根拠を述べられない隠された理由として、結局のところ戦争で奪った領土は正当な領土とは言えないとする近代の原則そのものを受け入れない立場に日本政府が自覚的に立とうとしていることを意味しているのかもしれない。(岡崎久彦のような輩を先輩として担いでいるようなお役所だから、もしかすると本当にそうだったりするかもしれないから怖いが)

近代の領有権の原則を日本は受け入れない。そういう立場はありうるのかもしれない。堂々と主張すればよい(僕は反対するけど)。だが、それは同時に、どの国であれ軍事的な優位性を持っていさえすれば、何をしてもよいという国際社会のありようを容認するという立場だ。中国がもし武力で南沙諸島を奪ったとしても、あるいは沖縄を奪ったとしても、一切批判はできない。軍事力があるんだから。そういうルールに日本は賛成したでしょう? ということだ。そういえばイラク戦争も日本は容認した。軍事力の強い米国に追随したわけだ。こういう米国や中国の覇権主値の立場を、骨の髄まで日本の外務省が容認しているのだろうか。

だとすれば、僕は予測しなければならない。日本の外務省は尖閣問題での無原則的な妥協的対応を重要な局面で平気でするだろうということを。外務省は国際社会の機能に関してニヒリズムの立場に立っている。そうであれば、領有権の正当性があるかどうかについてなど、どうでもいいのだから。逆に言えば、経済を人質にとって中国側がかさにかかって攻めたててきたとしたら。それに経団連などが泣きついたりとかしたら。結論は見えているではないか。日本政府は尖閣諸島を放棄するかもしれない。これを野田内閣にやらせて政権をたらい回す。僕が多国籍企業の立場だったらそうなるように仕向けるな。

あまり信じたくなシナリオだが、理論的にはありうるような気がしてきた。外れるといいんだけれど。
イラク戦争・安倍晋三と中野剛志【「反官反民」(中野剛志著)を拾い読みする①】
この本は中野剛志の2002年以降の軌跡を収録している。

2002年といえば、イラク戦争の前夜である。2001年9月11日、僕は学究としての身分に便乗しての、京都から秋田への自転車旅行の途上だった。テントを張った北陸地方のあるJR駅の駅舎で、大事件を知らせるラジオのニュースをキャッチした。立ち寄り温泉の広間で、ビルに突っ込む飛行機の映像を呆然と眺めた。この日の同時多発テロはイラク戦争へと世界を導いていく。その過程における日本の体たらく。僕自身も旧ブログを始めた時期だった。
国際社会のルールを踏みにじるアメリカの独善的な行動にぐだぐだと追随していく日本政府と「保守」勢力。ネット上には現地に赴いて拘束された若者たちをあろうことか嘲笑し苛め抜く退廃しきった日本の世論。この状況を心底から恐怖し、嫌悪した記事をいまはなき旧ブログに書き連ねた。安倍晋三が「この国を守る決意」という著書を引っ提げて鳴り物入りで登場した。読んでみた。岡崎久彦の「理論」に心酔する安倍の姿にたちどころにこの政治家の限界を認識し、ブログに毒を書き連ねた。

本書「反官反民」の帯にはこうある。
「思想の確かさは、具体的な事象への判断によって試される」

イラク戦争、自己責任論、安倍晋三の登場。それぞれに関する中野剛志の主張が心に響く。同時代を僕は過ごした。そしてこれらの重要な問題について、判断を共有できた人物がここにいたことを確信できた。
個々の課題にとどまらない。「現実主義」が現実の何を見落としているのか。マニフェスト政治が何を殺したのか。近年の日本社会の流れに根底から共通する問題意識を中野剛志氏と共有できていたことを本書で確認できた。
僕は左翼である。そしておそらく中野剛志氏は左翼ではありえない。だが、具体的な事象への判断において本質的な共通点を確認できる。ここに日本の将来を展望したいと切に思う。
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超左翼おじさん、新たな冒険に旅立ち!
私の愛読しているブログの一つ「超左翼おじさんの挑戦」は、ブログ主の松竹さんがかもがわ書店の編集長に就任されることから、その役割を終え、新たな冒険の旅に出ることとなりました。とても参考になるブログでした。今後一層のご活躍を期待しております。

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わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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