わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
08 | 2012/09 | 10
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法の支配
野田首相の国連総会での演説内容はおおいに賛同できるものであった。領土領海の確定については、国際法に基づいて平和的に行われるべきであると表明した。
領土領海の確定は、国際法と歴史的事実に基づき行われるか、軍事的あるいは非軍事的な圧力によって行われるかのいずれかである。このことについて、あくまでも前者の立場に立つことを表明したもので、心より賛同できる。

この点で、国際社会の場において、実効支配を及ぼしている側が「領土問題はそもそも存在しない」から、領有権の根拠すら主張する必要がない。という立場を取る。あるいは、国際司法の場にも出てこない。という立場を取る国家があることは問題だ。韓国は事実そういう立場に立っており、竹島問題の解決の障害になっている。
日本の尖閣諸島に関する立場も微妙だ。領土領海問題について国際司法の場に問題が持ち出されたら受けたつというようなことを言うものの、そもそも尖閣諸島に「領土問題は存在しない」という立場だから、それを理由に司法の場には出ようとしないだろう。
ここを変える必要があると思う。実効支配を及ぼしている側が負ける可能性のある論争はしない。という対応を常にしている限り、領土に関する争いの解決を「国際法と歴史的事実に基づいて」行うことは事実上不可能ではないか。
日本は、「領土問題は存在しない」と言ってもいいけれど、内容に踏み込んだ論争をためらってはいけない。なぜ我々は領有権を主張できるのか。何重にも論理を構築しよう。実効支配をしている島としていない島。2正面作戦で国際社会を相手に国際法と歴史的事実に基づく主張を堂々と続けようではないか。
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リンクを訪ねて
以前訪れて関心をしたサイト「エリザベスのたわごと」があります。その時はよしりんの評価について意気投合をしたと思います。またのぞいてみると、中国の覇権主義的な対応については少し意見も違うところはあるけれど・・・
相変わらず共感の嵐の記事の数々。うれしいなぁ。柴山桂太さんは中野剛志氏の盟友です。いいですよね。

忘れないように記事を書いておきます。先方にもコメントを残しておきたいと思います。

(日本の)共産党の尖閣諸島問題主張はガチ
尖閣諸島問題については中国側の主張がエスカレートしている。
「日清戦争で奪った土地だからポツダム宣言で中国に返却された」
「棚上げを約束した日本の裏切り」

日本は棚上げを受諾したことがあるのか? また、日清戦争で奪った土地だったのか? さてこれらの主張にどう反論すればよいか? と思うかもしれないけれど、ずっと前にアップロードされている日本共産党のHPの主張を見ればすでに解決されている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-09-11/2012091105_01_1.html#q1

「日清戦争」云々について

日清戦争で領土の割譲を取り決めた「下関条約」とその交渉過程の詳細な検討はすでに彼らによってなされている。結論。条約は尖閣諸島に関して一切言及していない。中国側の抗議は一切行われなかった。したがって、中国側は尖閣諸島を自国領土と認識していなかったと論証可能。

「棚上げ」云々について

これは歴代日本政府の言うべきことを言わない態度が招いた問題である。国交正常化時には田中角栄首相が中国側の「棚上げ」主張に迎合。日中平和友好条約の交渉過程でも中国側からの「棚上げ」提案を園田外相が黙認。その後は「領土問題は存在しない」のだから、領有権の主張をする必要もないという立場に縛られ、領有権の根拠を国際社会に明らかにすることをためらってきた。「棚上げ」と「領土問題の潜在的脅威のネグレクト」。その間に中国側が尖閣諸島の領有権を主張するに至る環境が整っていったのだ。

これからいろいろな論点が中国から提起されるだろう。だが、日本の共産党の諸主張は参考になるだろう。本気で検討していることがわかる。

日本共産党は常に日本の領土の領有権を主張している。このことを持って一部ネトウヨからも、共産党は味方だと思われたりしていたようだ。だが、それは違う。日本共産党は国際社会のルールを踏まえた対応をしているに過ぎない。日本の「得」になることであれば主張するという立場から領有権を主張しているのではない。このことは、たとえば「領土問題は存在することを認めるべきだ」とする立場に表れている。単に問題の顕在化の阻止と実効支配の維持という立場から見ると、領土問題を認めることは許されないという主張となる。うまく交渉で立ち回り、力の支配を及ぼすことでしか領土は守れないと思っているからだ。また、もしかすると本心では、日清戦争で奪った領土だったと思い込んでいるからだ。だからこの間ネトウヨ層は正当にも、日本共産党の領有権の明確な主張を求める態度に対して嘲笑を浴びせているのである。

ここに一部ネトウヨ世論、および日本政府の立場と、日本共産党の立場の違いがあらわになる。前者は結局のところ国際社会はうまく立ち回るかどうか、力の支配を及ぼすかどうかにかかっていると考えている。後者は国際社会にはルールがあり、それにとって行動をすることで初めて人々の権利は守られると考えている。僕は後者に圧倒的に同意したい。なぜかについてはひとつ前のエントリーでもふれた。前者の立場は強い主張に見えて、その実、弱肉強食の世界を諦観する敗北の論理。後者の立場にしか民主主義的秩序はあり得ないからだ。

とはいえ、「領土問題が存在することを認めるのはバカだ」という人は多い。つまり、領土問題が客観的に判定される事態になることを恐れているのだ。なぜ「領土問題は存在しない」と言い張るのか。それは、結局のところ領有権の主張の根拠の正当性を主張できないと考えているのだ。それでも領有権を主張するのはどういうことか? それは、覇権主義的に奪った領土でも日本によるものであればそれは正当だと主張するに等しい。そうであれば、領有権は主張すべきではないのだ。

「領土問題が存在しない」と澄ました対応を取ることで、結局のところ領有権の具体的主張ができなくなっているのが現政府の状況だ。中国もそこに付け込んでくる。きっちり内容を持って主張しておかないと、さらに国際社会にも「どっちもどっち」論が蔓延しかねない。これを本当に恐れる。
覇権主義国への対応
日中関係の冷え込みが報じられている。
中国の対応は無法である。領土に関する争いは冷静に道理を持って対話の中で解決をすることを重視すべきだ。周辺のその他のいくつかの領土がらみの問題に対する今後の対応方法を規定する問題であるので、安易に妥協的対応をするべきではない。日本はなぜ尖閣諸島の領有に根拠があると考えているのか、中国側の主張にどのような問題があるのか、今回のやり方はいかに覇権主義的対応なのか、繰り返し徹底的にあらゆるチャンネルを使って主張を伝える必要がある。中国国民の良識には必ず届く。
今回の問題の本質は、覇権主義的大国の横暴に対していかに対応するかである。中国の権威を振りかざせば、あるいは経済的地位を振りかざせば、自国民に偏った情報を与えて焚き付ければ、周辺国との領土に関する問題も自国側の優位に展開するという思惑である。国際社会の良識に依拠し、覇権主義は通らないことをきちんと確認すべきだ。この不安定な時代を迎えて、覇権主義に力を与えることは、21世紀の歴史を考えたときにきわめて危険である。

(「国際社会の良識」などと書くと必ず「お花畑」だととらえる人がいる。だが、国際社会に一種の「花畑」すらないと主張することは、現実主義に立った強い主張をしているように見えて、実は力の弱い国が生き残ることができない弱肉強食の世界をあきらめて受け入れる敗北の主張なのだ。)
中国における「反日デモ」
尖閣諸島問題について、中国で反日デモで一部が暴徒化。商店や工場を破壊して憂さを晴らしているらしい。これについていくつか言っておきたい。

まず尖閣諸島に関しては中国側の主張には説得力がない。もちろん、国内向けの宣伝は説得力があるようにして伝えているのだろうが、伝えるべきことを伝えず、捻じ曲げて事実を伝え、日本からの反論を伝えなければ、いくらでも「説得力のある主張」は可能だ。その上で中国の反日がデモがある。中国当局の情報に踊らされているという見方もできるかもしれない。
これに対して、日本国内での「やり返し」を主張するバカ者もいるようだが、これをやったら同レベルに落ちるだけである。日本社会はそのようなバカ者がいたら社会的な批判と法の裁きを加え、中国当局の現状との違い、また民度の違いを国際社会に見せつけるべきである。中国国内に滞在する日本国民や日本企業の安全を守る責任を果たすことができないとすれば、中国政府の国際社会における信頼は失墜するだろう。
中国国内での政府側の領有権の説明について、日本の一方的侵略の問題として、歴史問題と絡めて尖閣諸島の領有権主張の援軍としようとしているとするなら、歴史の冒涜も甚だしい。侵略戦争の反省を、新たな自らの覇権のためのネタにする? 戦時中の中国国民の塗炭の苦しみをなんだと考えているのか? 日本国民の苦渋の反省をどう受け止めているのか? 国民にウソの情報を植え付け、他国への暴力的圧力に利用するなど、最低の国家である。このような立場を平然と続けるのだろうか? 事態を注視したい。事情によっては中国政府の評価を、世界の最低ランクに落とさざるを得ないだろう。

今回の事態について、石原慎太郎の行為や、その後の日本政府の対応についての批判をする者もいる。朝日新聞も、この機をとらえて石原都知事や日本政府の対応について突き放したような社説を載せている。それは確かに人気取りだったり、選挙目当てだったりといった面はあるのかもしれない。だが、尖閣諸島が日本の固有の領土であることを改めて主張した都知事や日本政府の行為を非難するのはおかしい。今回の件で最もおかしいのは中国政府の尖閣諸島への領土的野心であり、日本の説明にも耳を貸さない頑迷さであり、ゆきすぎた反日教育であり、言論統制であり、日本人や日本企業の安全確保の責務をサボタージュする対応である。
また、報道を見ながら、日本人の反中意識を植え付けようとするプロパガンダだととらえる者もいるようだ。何を反中とするかまずは明確にすべきだ。後でも述べるが、重要なことは、中国国民を敵視することではない。中国政府の対応をみきわめ、事態によっては痛烈な批判を加えることだ。中国政府に対して「何をやっているのか」と怒りを持つのは、植え付けるも何も当然の反応である。自国の国民に事実を捻じ曲げて伝えて領土的野心を果たすために利用して暴力的行為をするように仕向け、その巨大となった経済・軍事力を背景に脅しをかけるなど、最低の国家のやり方だ。これに対しては胸を悪くして当然だ。もしこれに怒りを覚えないとすれば、当人は「進歩的な」立場に立っているように思い込んでいながら、何か重要な民主主義的感覚が麻痺しているのだ。

日本人は尖閣諸島の領有権を引き続き堂々と主張すべきである。領有の論理は明確である。理論の面で国際社会での広範な合意を取り付ける必要がある。少なくとも米国には「どっちつかず」の対応は改めさせるべきである。
領海の審判があれば、警察力や海上保安庁の力をもって、毅然と対処すべきである。もし万が一領土的侵略があれば(これは無理筋であり、中国政府に理性があるのであればやってこないだろうと断言できるが)、必要最小限の軍事力、同盟関係を活用し、国際社会を味方につけて、それを撃退する必要がある。
また、中国政府と、中国国民の反日デモや暴動とは切り離して考える必要がある。暴動を鎮める責任を中国政府に果たさせることをこそ求めるべきである。中国国民はその歪んだ正義を植え付けられて(あるいは鬱屈した社会への怒りを「反日デモ」という形で発散さえるために)、行動をしている(させられている)のである。中国国民そのものを敵と扱うことは中国政府のあやまった挑発路線を利する。ましてや、日本に滞在する中国人や中国系の商店等に「仕返しをする」などもってのほかである。これこそ、日本を中国と同レベルに引下げ、窮地に追いやる売国的行為であることを肝に銘じるべきだ。

日本の将来のために、今期待をかけている左右の諸党派にも言っておきたい。この事態に対する対応いかんでは、これからの国際社会に対応する能力がないものと断ぜざるをない。また、事件の発展とその対応次第では日本国民の不必要な鬱屈を増幅させ、制御不可能な「本当に偏狭なナショナリズム」を立ち上げることになりかねない。これからの機敏な対応を注目している。

#追記(2012.10.06)
『しろちゃんブログ』「愛国教育のつけ」というページを見つけた。中国の「愛国教育」の問題について、実感にもとづく記事を見つけた。抑制が効いているいいページだ。トラックバックを送っておく。
どういう人々とどのように組んで日本を変えるのか?
どん詰まりの日本である。どん詰まりの中で小泉政権に託して失敗し、民主に期待して裏切られ、今度は橋下に見果てぬ夢を見る。何か変わらないかな。ぶっ壊してくれそうだな。そうして人のつながりも地域のきずなも若者の育成もすべてかなぐり捨てて多国籍企業の危機に奉仕する日本を作り上げて危機を深めた。もっと大胆に自由化して個の自己責任を追及しつつ多国籍企業に吸い尽くされて捨てられる日本への道をひた走る。
良識的な保守的な人々は気付き始めた。多くの人々がそれに着目し始めている。どちらかというと左派の陣営も、「サヨク」的単純世界観から自由な人々はとっくに気づいている。本当の敵はどこにいるのか。

ごりごりの「サヨク」は共同の対象ではないかもしれない。むしろ、日本という主権国家を大切にし、その立場から権利を一つ一つ確認し、グローバリズム経済と米国の思惑から奪い返していくことだ。極めて具体的に言おう。左派としては共産党のように、民族の独立をもって初めて労働者は自由になりうることを正面から見据えている勢力が重要だ。右派としては本当の保守を掲げて日本国家の国民を守る役割を果たすことに意義を認める人々。これらによる救国的な戦線を構築するしか方法はない。
具体的な課題としては、TPPへの不参加の明示。少なくとも明確な反省と抜本的な対策が国民の目に実感されるまでの間の原発の停止と省エネ・自然エネルギー開発の推進・核廃棄物問題への真摯な取り組み。増税の延期とデフレ克服政策の推進。グローバリズムと新自由主義に基づく政策の廃止。自己責任論に立たない公の責務を自覚した福祉・教育・中小企業政策の再確立。尖閣諸島と竹島の領有権の国際社会での明言。自主防衛政策への段階的転換。軍縮と多国間協調による和平の維持と発展。

自主防衛・当面の原発停止という観点には、「サヨク」は目を剥くかもしれない。だが、九条の全面実施の条件は今は全くない。また、将来にわたる原発全面停止の合意は今はない。これらに固執する必要はない。今重要なことは、米国の世界戦略の片棒を担ぐことを真の目的とするまやかしの「日米安全保障」政策を排することである。オスプレイをめぐる問題はその一つの突破口となりうる。原理的な原発の是非を問うことにも今日的意味はない。先の原発事故の痛みを共有し、自己の温床となった安全神話の立場からの強権的で独断的な原発開発を深刻に反省するかどうかこそが重要だ。それすら鼻でせせら笑って原発推進に固執する者どもの息を止めることが大切だ。原理的原発廃止論には実はその力はない。福島の原発事故は、原発が原理的に危険だから起こったことだという立場からだけでは説明できない。理性的に十分な注意を持って原発を扱ってこなかったことに原因がある。未だに「誠実さのかけらもなく笑っている奴」らを舞台から退場させることが一番重要なんだ。

逆に「軍縮」というともう保守派は見向きもしなくなるかもしれない。そうならないために、具体的な安全保障論が重要だと思う。ここをしっかり考えきること。その上で保守派に提示する必要がある。今日の政府の安全保障政策にこそ、本当の対米従属の芽が隠されているのではないのか。米軍の力に頼っていると実は思い込んでいるから、保守派は米軍なきあとの核軍備を主張したりするのだ。本当に頼っているのか? 米軍はその世界戦略から沖縄を利用し尽くしているに過ぎないのではないか。だったら、米軍亡き後の日本の防衛はどうあるべきなのか。真に自由に日本国民を守る立場に立つこと。その立場から、単純に弱肉強食ではない国際社会の機能に依拠することを決断できるかどうか。スーパーパワーではないわが国にも採用可能な安全保障政策をいかにして構築するのか。

「尖閣なんかになぜこだわるのか?」 というばかげた記事が「朝日」に載った。これほど大切な国家主権、国民の権利の問題に無神経な新聞は、リベラルなんかではない。空想的な世界市民主義には市井の人々を守る力なんてないのだ。新政権は、尖閣についても竹島についても領有権を堂々と主張する。

必要なところにはしっかり借金をしてでも国家の金を使う政策が必要だ。というよりも、国家の管理から自由になりさえすれば、経済も暮らしも教育もよくなるという誤った思い込みから自由な政権が必要だ。儲からなくたって、国民の福祉や教育は必要だ。儲からなくたって、人は公共心からこういう営みを立派に支えていける。経済的インセンティブがなくたって、人は立派にやっていける。

こういう合意は、僕自身が着目をしていて広く読者を持っている多くの左翼的、あるいは保守的な人々と共有可能である。多くの違いをのりこえて、たがいに手を携えることは可能だと思う。いつになるかわからないが、遠くない将来の実現を目指して、実生活とブログ生活の両面で、微力を尽くしたいと考えている。
「苦慮」について
NHK「日中関係対応に苦慮か?」
中国は対抗措置も辞さない対応。日本政府はこまりましたねえ。どうするんでしょうねえ。という報道だ。
これは事実なのでしょうけれど、尖閣諸島の領有を主張する限りこういう展開が生じることは予想されていたことであって、対応が難しいことはだれでも分かること。「苦慮」という表現には、「まずい対応をして行き詰った」というニュアンスがある。「客観的な報道が必要だから、ここは政府を突き放して・・」ということで奇妙なニュアンスを加えたのだが、政府は苦慮しているのではない。政府は中国の強硬な姿勢を注視しつつ必要な対応を考慮しているのだ。立派なミスリード、誤報のたぐいだと思う。
日本はともかく領有権を科学的に主張をしつつ、粛々と対応をすればよい。無理を通そうとしてきたならそれをひとつひとつ批判していくことだ。
「そんな対応は無意味。現実は甘くないよ」? いえいえ。国際社会はお花畑ではないけれど、ただの弱肉強食のフィールドでもない。無理は通らないものだ。軍事行動? どれだけ中国への信頼を傷つけるか。この国際社会の監視に依拠しないから、軍事行動などの極端な対抗措置を必要以上に恐れることになる。

このような中国の覇権主義的な対応と、中国国民の反日デモ等とを結び付けて報道するが、われわれは中国政府の対応と中国国民の動きを切り離してとらえる必要がある。中国国民は偏った情報のもと、正義を信じて行動をしているのである。我々はなぜ中国政府が誤った対応だと言えるのかを繰り返し主張をしていくしかない。インターネット時代である。少しずつ情報は伝わっていく。我々が日本政府やマスメディアに疑念を抱いているのと同様に、中国国民も自国政府とメディアに批判を持っている。反日デモがなくなることはないだろう。だが、情報の拡散は、反日デモの数や勢いを減らすのに役立つだろう。もしわれわれが「日本国民対中国国民」の構図に立った言動をすえば、それも先方に伝わっていく。どういう効果を持つかは明らかだろう。本当に苦慮することになる。
安全保障論について
今、中野剛志と山名元、森本(現防衛相)の対談本「それでも日本は原発を止められない」を読んでいる。中野剛志の原発推進論をある程度まとまって読むことができる。この点についてはまた改めて論じたい。

さて、森本防衛相は、この本の中で安全保障論を展開している。手元にないのできっちりとした議論ができなくて恐縮だが、気になったことを。つまるところ国際社会で生き残るためには、突出した力を持っていないといけないと主張する。あるいは、突出した力を持つ米軍に守ってもらうしかないと主張する。
確実に安全保障ができるようにするためには全くその通りである。どのような国際情勢になろうと安全保障を確保しようと問題を措定したとき、我が国が突出した軍事力を持つか、そのような盟友を持つしかない。あまり考える必要はなくて、これが正解。

でも僕は思う。だったら、突出した軍事力を持つことなどまったく展望できないその他大勢の国々はいったいどうすればいいというのか? 論理的に安全保障を確保できる国は世界にただ一つ。あるいはその同盟国だけ。こういう国際社会がお望みならばよいけれど。僕はごめんだ。
でも全世界が現代のスーパーパワー(?)である米国の傘の下に入ればいいのか? 森本氏は本気でそう思っていそうだけれど、でも僕は思う。米国はその他の同盟国を何の見返りもなく護ってくれるお人よし国家なのか? とんでもない。他国へのどうしようもなく利己的な介入をしてきた事実は山のようにある。日本は例外だなんて思っているのだろうけれど。おめでたいとしか言いようがない。

国際社会がなんとかかんとか積み上げてきた小国でも依拠できる安全保障のための仕組みづくりを、これらの「現実主義者」たちは理解できない。平和を求めるなんていう「感情的な」ことは政治に持ち込んではいけない。という。説得力があると思いますか? でもそういう立場から考えたら、国際社会の仕組み作りなんて意味がないことになる。強国による支配に甘んじるほかはない未来しか展望できない。これが現実さ。というかもしれないけれど、だったら未来は暗黒だ。断言できる。日本だけは何とか生き残ると思っているのかもしれない。けれどたぶん無理だし、そんな未来は変えたい。これこそ本当の現実主義だと思っている。
本日の環境放射線量
今日の環境放射線を調べてみた。
文科省の環境モニタリング情報ページから。
僕の住んでいる地域は比較的多い。ウランやトリウムを含みやすい花崗岩を多く含む地質によって形作られている地域は多くなりやすいという。これも地球のいたずらだ。そんなこんなで県によって測定値にはばらつきがあり、値は0.021-0.091マイクロシーベルト毎時に収まっている。これが自然放射線というものである。

だが、福島県の環境放射線の値はけた違いに大きい。福島市で0.74マイクロシーベルト毎時。この値はたまたま今日だけ高かったとか、一回の観測だから参考にならない、といった言い訳は通用しないものだ。なぜなら、9月6~10日の5日間の1時間ごとの観測値の最低値が0.73マイクロシーベルト毎時。最大値が0.75マイクロシーベルト毎時。常時平常時の10倍オーダーの放射線にさらされていると言い切ることができる。
0.75マイクロシーベルト毎時というと、年間0.75×24×365=6.57ミリシーベルト。
ちなみに国の環境基準は自然放射線プラス1.0ミリシーベルト毎年。一般的な通常の自然環境放射線は通常は1ミリシーベルト以下なので、少なくともその5倍を超える環境放射線にさらされている。
その他の福島県内の観測値を調べてみる。福島県のウェブページ各地方 環境放射能測定結果(暫定値)(第326報)から。
多くの地点で0.1マイクロシーベルト毎時を上回っている。1マイクロシーベルト毎時を上回る地点もちらほら見られる。この値は自然放射線とは明らかに異なる値である。

さて、この値はチェルノブイリにおける強制退去の基準5ミリシーベルト毎年をコンスタントに超えている。そういう土地に国民を何の保証もなく住まわせて平気な政府。住む人の自己責任なんだろう。自己決定を保証する自由を大切にするすてきな政府。ベラルーシみたいに住民の健康調査や農地の汚染調査を徹底的にやったりなんか決してしないんだね。BKDもここまで来ると大したもんだ(怒)。


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わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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