わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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「呪いの時代」(内田樹/新潮社)を読む
『呪いの時代』を読み始めてみた。

僕たちの社会における資源やプロモーション機会の分配がフェアではないというのはほんとうです。でも、・・・「だから、努力しても報われないのだ」という「説明」を自分に許してはならない。
・・・
「努力しても意味がない」という言葉を、あたかも自分の明察の証拠であるかのように繰り返し口にさせ、その言葉によって自分自身に呪いをかけるように仕向けるのが、格差の再生産の実相なのです。



自分の仕事場(大学)が格差の下に置かれている問題もあるかもしれないけれど、それを理由づけにし始めた途端に、本当の「格差の再生産」のプロセスが始まるのだ(主体におけるプロセスが本当の格差の再生産を招くのだ)ということです。肝に銘じました。

武道的観点から言うと、「問題に正解しなければならない」という発想をする人は構造的に敗者である



現在かかわっているいろいろなそれ自体は魅力的な、でもちょっと心構えを緩めると官僚的にも処理できてしまいそうな仕事の数々。「負けたくない」仕事たちなのだが、つまるところ所与の問題ととらえる(官僚の立場に落ちる)ことこそが「負ける」ことにつながるのである。

ウチダさんはいつもとても実践的なことを深いところから言ってくれる人だなぁ。自分のいる大学の条件を本当の格差にしてしまわないために、また、今かかわっている仕事を「負け仕事」にしないために、役立たせていただきましょう。どちらも実にリアルであり、チャレンジングなことですね。
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あえて読む「体制維新―大阪都」
橋下氏の考えについては、いろいろ忙しいこともあってよくは存じ上げていない。ただ、教育基本条例については条文を少し読ませていただき、貧困な教育観を批判する記事を書かせていただいてはいる。
この間維新の会が大阪市長選挙、大阪府知事選挙に圧勝し、彼の存在感は一層大きなものとなり、来たるべき選挙でも勝ち馬に乗ろうと、自民も民主も秋波を送り始めている。だが、本当に彼の立場には、日本の明日を構想するだけの内容があるのだろうか? よく見極める必要がある。
そんな時に書店で手にしたのが、『体制維新―大阪都』(橋下徹・堺屋太一著/文春新書)であった。まずは読み始めることから。そのうえで対話をする必要がある。

今日の時点でまず感じたことを二つ。

堺屋氏は、長く続く日本の不況とデフレを克服するためには、人事や政策をいじってもダメで、いまこそシステムを変える必要がある。と強調する。ともかくも「構造を改革するのだ」ということだろう。確かに人のすげ替えや、根本を回避した政策の組み合わせでは立ちいかないというのはその通りかもしれない。だが、この間接している中野剛志氏や柴山桂太氏らと比較をするとなおさら、現在直面している問題に対する分析が感じられない。ともかく「変える」にしても、何をどう変えるというのか。この点では中野氏等の論にははるかに普遍性と見通し・具体性を感じられる。堺屋氏の議論は都合の良い成功事例の引用と、通俗的な日本社会論、比喩で成り立っており、基本的にはやはり作家の感性に依拠している。これで現代の問題に本当に対処しうるのか不安に感じられる。

一方、橋下氏の議論のうち、改革的実践者としての心構えについては、学ぶところも多いように感じられた。何ごとかを変えようという場合に、すべてバランスよく、すべての人を納得させて、何の強権もふるうことなく事が運ぶことがあるだろうか? 橋下氏を「独裁者」として嫌悪する向きが多いようだ。やや非常識に映る言動が「良識派」には許せないのかもしれない。だが、その実行が、一種の「独裁的」な手法を必要とする場合もあるのではないか? 「良識派」は本当にそれだけのことを実行し、市民の期待に応えることができるのか?
しかし、橋下氏もやはり問題の背景の分析には突き当たっていない。二重行政という「システムの問題」を取り上げ、市民生活に近い部分とより大きな戦略を担う部分に分けようという主張などについては、わからないでもない。だが、これは実のところ些末な「手」の問題ではないか?
危機に瀕する企業体等がその最後の段階でやたらと組織をいじりたがり、問題の本体と格闘できなくなっていく状態に似ていないか心配だ。危機をあおっているのだが、実は本当に深刻な問題の根源には気付いておらず、深刻さの下での焦燥感のみをエンジンとしているように感じられる。今回の橋下フィーバーも、結局のところ有権者を巻き込んだ巨大な焦燥の産物なのではないか。その印象がぬぐえない。
世界の流れを真に見通す討論会
前のエントリーで紹介した本の著者たちである、中野剛志氏、柴山桂太氏、萱野稔人氏がそろい踏みするセミナーが開かれるとのこと。

『グローバル恐慌の真相』刊行記念 
  「TPPとグローバル恐慌」セミナー
   1月16日19:00~ at 紀伊国屋サザンシアター

この三者は現代国際社会と日本社会の問題点を言い当てていると僕は感じている。その割に、これまで社会に対する批判者の立場にあった人々からのこれら新しい世代への反応は鈍い。例えばマルクス主義あるいは科学的社会主義の立場からこの新しい流れに対する応答はまだ見られない。
中野氏、柴山氏の対論をニコニコ動画で観たけれど、まったく正統派のまじめな論考であり、従来からの資本主義の暴走に対する批判派や、民主主義の擁護者の立場から見ても、まっとうな発言をされている。もっと重視すべきだ。正面から議論もたたかわせる「他流試合」をするべきだ。

ちなみに、『グローバル恐慌の真相』については、特設ページが立ち上げられている。売れ筋、ということもあるだろうが、異例のことだろう。この本を売り出そうとしている人々のまじめな危惧のあらわれと受け止めた。いまだに構造改革だ、グローバル社会だ、と一つ覚えに、危機になればなるほどなだれをうつ「有識者」たちに騙されないためにも、是非一読してほしい。
重要そうな書籍
読むべき本を見つけた話で、まだ読んでないのですみません。

中野剛志の新しい本が出る。
「グローバル恐慌の真相」中野剛志・柴山桂太(集英社新書)
金融と産業の分離。国民経済の復権を果たさなければ世界の浮上はない。グローバリズムに未来はない。

関連してこんな本もあったんだ。
新・現代思想講義「ナショナリズムは悪なのか」萱野稔人(NHK出版新書)
従来のナショナリズム否定論の徹底的批判。それを現代思想の潮流の文脈に置きなおしているらしい。

萱野氏も頑張っている。
「超マクロ展望世界経済の真実」水野和夫・萱野稔人(集英社新書)
グローバリズムに反旗を翻す異色のエコノミストとそれを支える哲学者のコラボ。

これらの本をすぐにでも読みたい。未来はこの方向にある。


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  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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