わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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選挙が終わりました
選挙が終わりました。政権の担い手は新しくなります。行き詰まりの打開のためにはいまどうしても変えなければならなかったと思います。最悪なのは、自公政権がずるずる続くことでした。ここで変化を作れなければ、世論の閉塞感は危険なレベルに達した可能性があります。今後民主党政権の下で、自分の身の回りについてもいろいろな変化があるでしょう。ひとつひとつ吟味していきたいと思います。

選挙の評価について最も面白いと思ったのは自民党の石破さんの分析でした。
J-CASTテレビウォッチ ワイドショー通信 スーパーモーニング 2009/08/31
「自民党、いつ「終わっていた」か 石破農相が分析」

「森総理の時に実は自民党は終わっていた。ところが小泉さんが「私がぶっ壊す」と出てきたが、そうはならなかった。国民はそれに対する失望感があった。一昨年(2007年)の参院選はまさしく今回を予言していたと思う。
もう1つ、4年前の小泉郵政選挙は勝ったように見えますが、地方では軒並み票を減らしている。表面の数におごったところがあった。私自身は敗北だったと分析してそこから選挙を始めたんです」


票数を急いで分析してみると(ザ・選挙が異常に便利)、確かに郵政選挙で比例得票率を顕著に増やしているのは、東京・南北関東・東海・近畿の都市周辺部です。ほかはさすがに票数では伸ばしているものの、率は減少しているところもあったほどです。この一瞬の突風は、改革へのフラストレーションを「郵政民営化」政策に誘導したことによって生み出されました。ところが、郵政を民営化しても(まぁ予想されたことでしたが)、国民生活も楽にならない。そしてそのまま、郵政のように説得力がある幻想の仮想敵を生み出すことができず(ないものは作れないということか)、無策なまま今回の選挙に突入したわけです。最後は「変えないから自民へ」というキャンペーンになりました。自民党は今回、負けるして負けたと言えるでしょう。
郵政選挙と今回の選挙との間に共通するものは何か? 結局のところ何かしらドラスティックに「変えて」くれそうなところにすがるという選挙民の行動です。これは国民生活の逼迫と相関のある結果でしょう。いかに「改革派」の位置に自らをおいた上でたたかうかが勝負を分けました。そして、小選挙区制という仕組みがそれを実体以上に強調しました。
さて、本当に民主は何かを変えることができるのかどうか? 見まもっていきたいと思います。

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自民の全面広告が出ましたよ
数日前に2chで当日朝刊の自民党の全面広告は「日本を壊すな」だという話題が載った。また例によって2chのネタだなぁ。と思っていたらなんと本当だった。
不人気な政権による無反省なネガキャンは今回逆効果を生んでいるのに。今回自民の宣伝を担当したのは誰だ?
下手をするとこの広告が自民党の見納め、てなことになりかねんなぁ。

何が一番いけないかといって、300議席を持つ政権党なのに、これから日本をどうするかという自らのビジョンの特徴づけがまったくないことだ。語られたビジョンはこの2行だけ。

現実を見据えた政策が、あなたの安心を支え続ける覚悟が、
この国を守り抜く決意が、私たち自民党にはあります。


この「政策」「覚悟」「決意」の点で、自民党はどうほかの党と違うのか? さっぱり見えない。
全体としてのトーンは要するに、「いま何か物を変えるのは怖いかもしれないよ。これまでと同じならそういう恐怖はなくて安心だ。あきらめな」ということしか言っていない。変化を渇望する人びとの気持ちを萎えさせることだけを目的とした主張だ。

ネガキャンの中身も大体予想されるとおり。
景気を後退させるから、バラマキ政策だから、といって間接的に民主を揶揄しているが、じゃあ自民党なら景気を後退させないのか? バラマキ政策をしないのか?
民主は連合や日教組に従うから、といって非難しているが、じゃあ自公政権には「特定の思想に従う集団」の影響がないのか? それに、300議席の政権党が、連合や日教組の主張は絶対悪だと片付けていていいのか?
そして最後に民主の安保政策だと命が危ないと脅しをかけている。何らかの安全保障政策の変更に対して、「命を脅かす可能性」を指摘することは簡単である。未知の要素があるのだから当然だ。だからこのレベルでの議論にとどまる限り水掛け論にとどまらざるを得ない。300議席の政権党にはオピニオンリーダーの役割を期待したいのだが、こういう印象操作だけでは話にならない。

自民党の一時代の終わりを物語る広告として、永久保存しておこうか・・・
きょうは投票日
きょうは投票日だ。

下馬評は民主圧勝、自公に壊滅的打撃。である。無責任な政権投げ出しを連発して深刻な政治不信を招き、直面する課題に何一つ有効な手を打てなかった自公政権が国民の手で終わる。そうなるとすれば、ほんとうに祝杯をあげたい気分だ。それに、「民主になったら実際にどうなるのか」を試してみることができることは重要だ。こういう模索を通じてしか日本はもう前に進めないのだと思う。

日本の直面する課題は何か。この間日本が前提として置いていた以下の旧来の3つの仮説
1.アメリカの経済的、政治的、軍事的影響力の下にいさえすれば日本はうまくいく。
2.輸出大資本の国際競争力を全力で保障し、後押しすれば、彼らの成功と連動して豊かになる。
3.閉鎖的な日本の経済と社会を自由化・解放し、グローバル化しさえすればうまくいく。
を清算することにあると思う。これらの仮説は、リアリズム・新自由主義・グローバリズムを理論的前提とすれば「正しい」と言うことになるのだろうが、その前提は疑いうるものだということは、もうあまり異論のないところだろう。これに沿っていけば国民生活は豊かになり、より安全になるはずだったのだが、実際そうなっていないのだから。
結局のところアメリカの世界戦略と、多国籍企業の生き残り戦略に従属することから出てくるこれらの「仮説」に異を唱えること自身はそれほど突飛でも、困難でもない。たとえば大企業からの法人税増税や、農産物の輸入を拒否することは、共産党がかねてから主張していた。普通に日本の国民の普通の生活をまず第一に考えるならば、どちらかと言うと自然な主張である。旧来の仮説の前提となる理論を絶対視するならば「とんでもないこと」かも知れないが、理論は理論にすぎない。
身の安全と経済原理のみに友好な行動原理を求めるリアリズムが実は戦後政治や国際社会の力学を説明できないこと。あるいは新自由主義が結局米国の今日の体たらくをもたらしたこと。そろそろ理論の空論度のたかさに気づいてもよい頃あいなのである。

ところが民主党はまだスマートなリアリズム・新自由主義・グローバリズムの立場からぜんぜん自由ではない。やっぱり貿易は「公正」じゃなきゃ、ということで米国とFTA協議を始めてしまうことを表明してしまう。大企業増税と言う発想もまったくない。「そんなことしたら企業の国際競争力をそいじゃう」と思うわけである。核密約問題では、結構軽々と米国への密約清算要求を約束してしまったが、これはアメリカの世界戦略の根深さが見えていないのではないかと思えてならない。この点、旧来の仮説を意識的に否定している共産党の役割が重要なところだ。ここらが吹き飛んでいるようだと、結局のところ「民主にしてみたけれど結局予算の無駄遣いは変わらないし、消費税も増税。核密約もほおかむり。まったく袋小路のまま」という事態に陥る危険性が高い。不毛なゆり戻しの可能性もある。

だから、今回共産党が都議選の教訓を活かして(少し気づくのが遅いとは思うのだが)、政権交代そのものの積極的意義を無条件に認めた立場どりに成功したことは貴重だった。以前のエントリーでは、共産党の政見転換と比例東京選挙区で「公明党を超える」可能性についてあえて大胆予言した。その前半は見事に的中。後半についても実現するようだととても面白い。 (それに、予言が当たると、オレ自身ちょっとウレしい。)

ひとこと、ここで「政権選択」論の陥穽について触れておきたい。選挙の意義が「政権選択」のみにあるかのように訳知り顔に述べる学者や評論家、マスコミ関係者が多い。そもそも選挙速報番組のタイトルが、「政権選択」だったりする。そうなるとたとえば共産党や社民党が伸びるかどうかなどどうでもよいということになり、政権をとれる党だけに存在意義があるということになる。だがこの論をそのまま展開するとどうなるか。要するに大政党がひとつ確定すればよいのだから、大統領を一人選べば後は何もいらないことになる。その大統領とその取り巻きは国民世論などになにも配慮する必要もないというわけだ。だから、「政権選択選挙」は理論的には国会不要論と等しい。僕はとんでもなくツマラナイ民主主義解釈だと思う。
小政党であっても、たとえば10議席を得れば、党首討論権、代表質問権を獲得する。公明党以外はすぐは無理だろうが、20議席あれば議案提案権が得られる。小政党不要論や、いわゆる政権選択論は、こういったことを通じて丁寧に国会を監視する国民の政治参加の意味を決定的に損なうものだ。結構著名な政治学者や評論家などがこの手の乱暴な論理を振りかざすころが多いように思うが、僕らまでありがたがる必要などないと思う。
でも同時に、そういう小政党を育てたり、あるいは時には厳しく監視をしたりする国民の政治参加がなければ、本当にただの議席になってしまうことも忘れてはならない。そういう質を持たない国民の政治参加度の低さが、一部政治学者を「政権選択」論に追いやった面もあるだろう。いつまで経っても政権交代が起こらなかったことへの焦燥が背景にあった。われわれ一人ひとりにとって、ひとごと、というわけじゃないのだ。もちろんそういった専門家の行動は、憲法の予定する民主主義とは異質の立場であると指摘されても仕方がないが。

近年のネット世論は、問題もあるかもしれないが、結構機敏に国会の具体的な論争内容にも食いついて、問題を前に進めている気がする。人権擁護法の問題とか、児童ポルノ法の問題とか。定住外国人の地方参政権の問題とか、そこまで目くじらを立てなくても、と思う問題についても、果敢な政党突撃インタビューなどをやっている。多様な政党があることの重要性は、結構こういうところで実感することができる。小政党を含めてこういう世論とのやり取りが今後も進んでいけば面白い。政党の側も大いに変わらなければいけないところかもしれない。既存の運動もマンネリになってはいけない。

きっと「乱」の時代が始まる。どんどん自分の思うことをカタチにして人を巻き込んで動いていこう。それは自分の仕事についてもだ。面白い時代にしていこう。

また大勢が判明するころにでも書き込んでみたいと思う。

東京都議会の「混乱」
東京都議会が開催されないままになっているらしい。東京と議会選挙での民主党の躍進を受けて、民主と自公側が対立しているからだという。経過を、共産党東京都議団の幹事長の記者会見要旨からまとめてみると、

自民党、公明党が、新銀行東京と築地市場移転問題の特別委員会の設置の白紙撤回を民主党に求め、応じないかぎり臨時会のための具体的協議に応じない態度


をとったこと。それに対応する形で民主党は、

臨時会の議事を最優先する立場から、2つの特別委員会について、臨時会での設置でなく継続協議とすることを提案し<略>臨時会の議事の協議に入ることを求めた。にもかかわらず、自民、公明は協議を拒否し、代表者会にも出席せず、流会させる態度をとった。


という。まだ詳細はよくわからないのであるが、総選挙後の国政の場での自公の「野党ぶり」がなんとなく伺われる事態ではある。まぁよい。野党にも厳しい現代の世論に通用するかどうかやってみればよいだろう。

広島原爆の日に、米国の核の傘に守られていたい念を吐露した首相
ちょっとアジアの国に行っていたので日本の状況はよくわからないでいたのだが、いよいよ麻生政権も自民党も終わっているんだな。と実感させるニュースが流れていた。

麻生首相は広島の平和記念式典後の記者会見で「一方的に誰かが(核保有を)やめたらみんながやめるという話ではない」「核で抑止しようとする米国と日本は同盟関係にある」と発言、北朝鮮の核脅威に対抗するため米国の核抑止力が必要との考えを強調していた。


という(共同通信)。要するに、日本は核兵器に対しては核兵器で対抗する立場に立っているんだよ。という表明である。
この日(8月6日)は、人間の住む都市に対して核兵器を投下するという米国の犯罪を忘れないようにし、二度とこのようなことが起こらないようにするための日だと思う。日本の役割は重要なはずだ。覇権を握るためなら核をも用いるという立場を日本は公式にはとっていないはずである。非核三原則はそのよりどころであり、北朝鮮に対しても核脅迫に対抗できる強い同義的立場はここにある。
ちょうど僕が行っていた国では、8月6日にも9日にも、「今日は原爆の日だね」と現地のかたがたから声をかけてもらった。仕事相手だから、ごく普通の人たちである。人によっては犠牲者の数まで記憶し、核投下の犯罪を告発していた。僕たちはこういう世界の人たちの「規範」に依拠してこそ、核脅迫にも「体を張って」はねのけることが可能になっているのだ。
例のイラク人質事件のとき、「自作自演」を疑うネット世論は、誘拐犯らの発表文書の中に「ヒロシマ・ナガサキに関する記述」があることをもって、「サヨク活動家による自作自演」の証明とした。核投下への怒りなんて、日本の奇形サヨクの特殊な思想の産物だと、やつらは信じていたからだ。そんなことは決してない。日本人よりもよっぽど世界の人びとのほうがきっちり米国の犯罪を記憶している。何の倫理的価値をも認めない日本の一部ネット世論こそがむしろ孤立していることを知るべきだ。

核の傘の幻想性なんて、「核武装論」を述べ立てるたくさんの論者たちによって、明確に論証されていることだ。核密約を押し付けてまで日本に核を持ち込みたいアメリカの事情は、世界の覇権を核の力で握り維持したいという自国の都合に過ぎない。核の傘論は、核兵器の恐怖をあおり、筋違いの核対抗で、いつわりの「安寧」を国民に約束して見せるものだ。僕らは「規範」で対抗する勇気を持とう。実際、ほとんどの核非保有国はそうしているのだ。
核の力による一国平和主義に閉じこもり、核の傘という幻想にしがみつき、核持込密約の存在が白日の下にさらされても、必死にしらを切り続けてアメリカ様を守る自公政権のあわれな姿。
だから、今度の選挙で政権が変わりそうなことは本当にいいことだ。
そして民主党政権はちゃんとここに向き合うだろうか。核兵器に対する怒りを隠さなかった僕の海外の友人たちの持つ「規範」の力で、核脅迫に屈しない立場を確立することができるだろうか。その試金石のひとつは、核密約に対する向き合い方にあると思う。核密約の存在を確認、破棄することができるだろうか? 非核三原則の法制化に踏み切れるかどうか。監視をしていきたい。これができるのであれば、大きな前進だと言えるだろう。
選挙後が問われる。核積載艦船等の日本への寄港に多くの困難が生じることになるわけだから、米国の派遣を求める強い衝動との闘いになるだろう。
「平和構築」東大作著、岩波新書
東大作氏については以前、核兵器問題に関するエントリーで触れた。日本に対して使用されて以降今日まで、一度も核兵器が実戦で用いられることがなかった理由について、しばしば主張される核抑止力論ではなく、核兵器の使用が許されないとする規範が国際社会に根づくことによる抑制効果こそが重要であることを、「コンストラクティビズム」の哲学的立場の紹介とともに、東氏は語っていた。
この著書「平和構築」で久しぶりに東氏との「再会」を得たが、当時の問題意識を国際社会の平和構築の問題に大きく広げて学問的業績を積み重ねつつあることがわかり、たいへんうれしかった。
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プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
    ↑は、日本最南端の碑

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