わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
08 | 2008/09 | 10
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「護憲」の現実社会における文脈からみた可能性(僕も橋になる)
おもしろいブログが見つかった。「超左翼おじさんの挑戦」というブログだ。
僕は一貫して自分は護憲派だということを語ってきた。その際に僕は常に、「原理的護憲論」と、「現実的護憲論」は明確に分けて論じることが大切だということを主張してきた。たとえば、「わにぞうは護憲論者です」などで論じてきたし、いわゆる右翼とも可能な共同の展望について、「『ゴー宣・暫』小林よしのり(SAPIO 2/14号)」などで語ってきた。この立場が重要である理由について、端的に表現してくれたのがこの「超左翼おじさん」の次の言葉である。

私は、護憲のために決定的に必要なのは、自衛隊の存在そのものについての見解の相違を超え、自衛隊を海外侵略部隊にすることにだけは反対しようという一致点をつくることだと考える。そういうことなら、護憲政党だけでなく、自民党や民主党の支持者であっても、多くは一致するはずだ。


今の憲法をめぐる攻防の焦点は、自衛隊を米軍の侵略活動の補完部隊にすることを許すのかどうかということにある。ありがちな「護憲派の共同」論は、実はこの観点から見ると決定的に狭い。
出版社の仕事をしている「超左翼おじさん」は言う。

ことしも、右翼の9条論とか、自民党員の9条論とか、いろいろと狙っている。


とても楽しみである。どうかと思う内容もあるけれど、問題意識は僕に近いものがあり、注目していきたいと思っている。

#追記

「違和感の正体」というエントリーを見て、いよいよ「超左翼おじさん」の注目度アップ! 久しぶりにトラックバックを打ってみようかと思う。
なによりも、人びとの判断の厚みを重層的にとらえて、その全体の中での「『護憲』の現実社会における文脈からみた可能性」をしぶとく考察する立場がいい。それはたとえば次のような記述に見られる。

強化された安保条約や、災害救援で認知された自衛隊が、いざ日米の軍事介入で本領を発揮するとなれば、国民多数は明確に反対にまわると思います。そういう国民意識への信頼は、私はもっています。
 侵略という問題でも、安保があるもとで、単純に日本が侵略されるというのは、現実的でない事態です。けれど、提起される問題は、「侵略されたらどうするのか」ということです。「安保があるもとでは考えられない」といっても、それだけでは答えになっていないわけです。国民は、自分の頭にミサイルが落ちてくる不安をもっているのですから。(「中国への自衛隊派遣・下」より)


このことは僕自身のブログを書いている立場とも重なる。

橋を架ける人々が必要だということだ。それも多数。幅が広く、強い団結のために。
 護憲運動を担う中には、一方に、軍隊(自衛隊)をなくそうという人たちがいる。他方に、軍隊(自衛隊)は必要だという人たちもいる。それぞれ、何十万、何百万という勢力だ。その間に、いろいろなバリエーションがあって、揺れ動いている人々だ。
 そういう人たちに、軍隊に対する意見の違いを脇に置き、日本を海外で戦争する国にしないという目標で一致し、団結しようとよびかける人々の存在が不可欠だ。対象者が多いから、橋を架ける人々も少数では影響力がない。せめて何万という規模で必要になる。(「違和感の正体11」より)


わが意を得たり! 僕も橋になる。
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パラリンピックが終わりましたね
今日はNHKで総集編をやっている。どういうシチュエーションのもとでも、自分の限界に挑もうとしている選手たちのまなざしはやっぱりいい。
ボッチャに没頭する日本と海外の選手たちの、一投一投の真剣な表情。自転車競技。障害を負った大事故の2ヵ月後に満面の笑顔で自転車に乗る姿。「うれしいんだよね。降りたくないんだ」という言葉。400m車椅子。娘へのメッセージも込めて病気と向き合って闘う選手のすがた。
僕自身は週末の草野球に取り組んでいる。といっても、時に肉離れをやってしまうなど、若いころのようには動かない体を少しずつ少しずつ回復させながらだ。打球が取れた、ということや、きちんとした送球ができた、ということなど、どうということもないこと一つ一つに喜びを感じながらプレーしている。
パラリンピックの彼ら、彼女らは世界という舞台で闘っているのだけれど、健常者のトップクラスの人々とはまた異なるスポーツへの向かい合い方は、むしろ自分たちの実感としてのスポーツ観に近いような気がする。
だから率直に一人ひとりの選手たちに感謝したいし、僕自身もがんばる気持ちを表明したい。

田中正明氏による「改ざん」に関するネット上の議論(その2)
前回に引き続いて、田中正明氏による松井大将の日記の紹介には、「改ざん」とされるような改変があったと判断するべきかどうかを検討する。前回の検討の最後の部分で、板倉氏の指摘した原文と田中氏の紹介との違いをすべて網羅したページを発見したところまで行った。きょうはそれを読んでみて判断を加えたい。と思うが時間が十分あるかな?
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9・11とイラク・アフガニスタン情勢の報道
9・11後の情勢は、NHKによると、テロの世界的な増加・イラクやアフガニスタンでのテロ勢力の増加と集結で特徴付けられるということになる。重大なことに、イラクやアフガニスタンではテロ勢力により米兵などの被害が増加している。という。
しかし、ともかくも異様に感じられるのは、イラクやアフガニスタンにおいて、ほかならぬ米国主導で行われている掃討作戦によって、一般市民を含めた多大な被害者が出ていることを一切報じないことである。
田中正明氏による「改ざん」に関するネット上の議論
田中正明氏は昭和史を考える上で欠くことのできない人物である。だが、田中氏には、自らの正義の主張のためには資料を意図的に改ざんして恥じない傾向があったとする議論が絶えない。実際はどうなのだろうか? 批判と反批判の連鎖をネット上に探ってみることにした。
もちろん僕はこの問題の専門家ではないし、ぐぐるぐらいしか能がない。これを超える真実を明らかにすることなど、端から考えていない。どういう結論になるかもわからない。ただ、ウェブ上で得られる資料の助けを借りて、こういう問題についてどの程度の判断可能なものなのかを考えてみようというだけである。
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爆問学問(2008/09/09)
日本の思想史を研究している子安さんとの放談。
日本という民族、あるいは民族という存在の客観性を何らかの形で否定すること。によって日本の戦争を乗り越えようとした、子安さんの世代のあり方に対する苛立ちの側面と、そういう世代に対しての決して失ってはいけないリスペクトの感情の両面を、太田光は体現してくれていた。
そして、そういうわれわれの世代の意識の状態について、子安さんの世代は十分答えられるわけではないこと。このことに決着をつけることはわれわれの世代の仕事だということを痛感した。印象的な番組であった。
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プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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