わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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国富消尽 / 吉川元忠・関岡英之 (PHP)
米国の要求に唯々諾々と従い、国民の勤勉に支えられながら築き上げてきた日本の莫大な国富を使い切ろうとしている日本。昨年9月に行われた総選挙での自民党の大勝によって一気に加速しつつある今日の「構造改革ブーム」こそ、この流れの総決算とも言えるものである。日本の経済力を台無しにし、外資の暗躍の舞台にする構造改革。この危険性を論証する。この道はもはや引き返せない道なのだろうか?
著書「マネー敗戦」で亡国の道を進んできた日本経済のあゆみを喝破した吉川元忠氏の遺作となったこの書からは、氏の深い危機感と、日本の未来へ向けた祈りの声が聞こえてくる。
いま日本人がその誇りをかけて本当に向き合わなければならない敵はどこにいるのか。中国の反日には異常な反発を見せる右派論壇子の多くは米国の干渉にはだんまりを決め込んでいる。彼らは偽物である。逆に言えば、「右派か左派か」ということ自体も真の対立軸ではない。本当に問題を把握している「右派」は、米国との対決を指向しつつある。この動きを左派も決して過小評価してはならない。
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改憲問題 / 愛敬浩二(ちくま新書)
改憲問題に関する護憲の立場からの新鮮な論考。今日的な憲法問題に関する諸論点に対する紋切り型ではない、それらにかみ合った「言葉」を紡ぐことに本気を感じさせる。わにぞう自身憲法についてはいろいろ言葉を紡ぐことに気を砕いてきたが、この問題意識と愛敬氏のそれとがたいへんよくかみ合っていて、うれしかった。
内田樹は、「9条どうでしょう?」でこう語っている。
本書[「9条どうでしょう?」のこと]の書き手であるための第二の条件は、「思想の力」よりもむしろ「言葉の力」を信じていることである。
<略>
‥‥独創は思考ではなく言語に宿るというのは私の経験的確信である。
獄舎の扉が外からしか開かないように、私たちを「臆断の檻」から解き放つ言葉は、檻の外からしか到来しない。
<略>
では、獄舎に閉じこめられた人はどうやって檻から抜け出すのか。‥‥
必要なのは「鉄格子の隙間を抜けることのできるもの」である。
たくみな「言葉使い」は、彼の本体を閉じこめている檻の鉄格子の外に言葉だけを逃すことができる。そして、外に出た言葉だけが扉を外から開けることができるのである。
<略>
私たちがいま直面している出口の見えにくい思想的状況の檻から逃れ出るために必要なのは、政治史や外交史についての博識でもなく、「政治的に正しいこと」を述べ続ける綱領的一貫性でもなく、世界平和への誠実な祈念でも、憂国の至情でもない。この硬直したスキームの鉄格子の向こうに抜けられるような流動的な言葉である。

愛敬氏は強固な護憲派であるが、人を閉じこめている「臆断の檻」の鍵にアクセスするためにはどうすればよいかについて、考え抜くことの大切さを知っている人だと見た。
世代的にも自分とかなり近い。愛敬氏とわにぞうの世代は、米ソ冷戦期においてソ連派が明らかに米国派と同じ穴の狢にすぎないことが誰の目にも明らかになるころに青春期を迎え、ソ連の崩壊を目の当たりにした世代である。もとより「保守と革新」とか「資本主義と社会主義」、あるいは「庶民と金持ち」などといった固定的な対立の片方に身を置きさえすればすむというような世界観は持ち得ない。混沌とした世の中を実感し、明確な論理にもとづく論破によって人が変わるなどという幻想をハナから信じていない世代だ。それだけにわにぞうは、内田樹の上記の指摘が痛いくらいのよく分かる。愛敬氏もどこかで共有するものがあるのではないかと感じられてならない。
この本の内容は、憲法をめぐる論争に対する歴史的な射程も長く、カバーする領域も十分広い。憲法の平和主義という理念の根拠を語ろうと思えば、本来これくらいの議論が必要なのだが、しばしば「平和はいいこと」ですませてしまったり、最近の日本の戦争の悲惨に問題を狭めてしまったりすることから、護憲派の論陣は線の細いものになる。これを一気に広げ、議論を鍛える上で役に立つ。
「9条どうでしょう?」とはもちろんスタンスがまったく異なっているが、護憲派の議論を豊かにする大変重要な本である。必読。
教育基本法に書き込まれれようとしている「愛国心」
教育基本法を改正して、愛国心を育むことを教育の目標とするという。近代民主主義の原則の立場から考えるなら、公教育の場において特定の価値観を子供に押しつけることについてはできるだけ慎重でなければならない。
というわけなのだが、何をもって「特定の価値観」と判断するべきかに関しては、案外明確ではない。実際、なんの価値も教えてはならないということにしたのでは、学校教育は成り立たない。科学的事実を教育することは当然認められなければならないが、その背後には科学的方法を重視する試されずみの哲学的立場がある。また、主権者となって社会を構成する人格を育成する上で必要な諸価値というものがあるはずで、これもどこまでが当然教えるべき価値観で、どこからが「特定の価値観」として慎重視しなければならないかについても、明確な境界を引くことは困難である。このように、教育を通じて子供に身につけさなければならない価値というものはやはりある。結局子供に教えるべき価値の範囲は相対的である。
なかでも今回問題となっている「愛国心」という価値観自体は本来非常に広いものにとらえることが可能であり、果たして日本の主権者を育成する上で一線を越えた「特定の価値観」だと断じることができるようなものであるかどうかについては、きわめて微妙だとわにぞうは考えている。愛国心といえば戦前の滅私奉公だ、という受け止めになりがちではあるが、国の将来を心配して世直しを志向するような愛国心だってあるのだ。「愛国心」とは本来かくも多義的なものである。
にもかかわらずわにぞうは今回の教育基本法の改定のうごきには反対だ。ただし、「思想信条の自由」というひとことに寄りかかる反対論には少し脆いものを感じる。あくまでも現実の動向と関連して反対の判断は基礎づけられる必要があると感じている。具体的に言う。東京都における「日の丸」「君が代」の教育現場に対する押しつけは「愛国心」教育の現実化した姿である。その手法において良心の自由を何ら尊重せず、その内容において国や国土ではなく国家を至上のものとする。これはやはり「思想信条の自由」に反しているし、わにぞうの想定する、主権者が身につけておいた方がよさそうな愛国心とは似ても似つかないものである。
今回の教育基本法の改正は、こういった一面的な「愛国心」教育を奨励する結果に結びつく可能性が高い以上、賛成するわけにはいかない。また、基本法に教育の目的として何らかの価値を明記するということの現実的機能が、このような教育現場の実態につながるということを考えると、教育の内容に関する法律的制約をできるだけ少なくし、市民社会や教育現場の合意のもとで問題を解決することの大切さが逆に理解される。
森田実氏の懸念
今日はもうやめとこうと思ったのだが、阿修羅からのリンクで森田実氏のページの次のくだりを見てしまったのでひとこと。
最近、こんな情報が耳に入った――「日本と中国とを対立させ、衝突させ、紛争さらには戦争させようとする“ある組織”が日本国内で暗躍している。すでにいくつかの新聞社と出版社の中に“仲間”をつくった。学者やジャーナリストの中にも“仲間”をつくった。日本国民がナイーブだから狙われるのだ…」。

さもありなん。まったく最近の「反中国」の論調は目にあまる。中国を暗黒の帝国に仕立て、日中の間にありもしない戦争状態を見て嬉々としている。
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少しまた忙しくなります
連休も終わりまた少し忙しくなります。
更新がすこし少なくなるかもしれません・・・
ときどきはあらわれるようにしたいと思いますので、よろしくお願いします。週に2回くらいを目標にしよう。
「リアル」な安全保障観
日本の核武装の必要性を説く言説がひろがっている。そのうちのひとつ「諸君」06年5月号「『核の選択』を真剣に考える時が来た」(伊藤貫・兵藤二十八・平松茂雄)を読んでみた。
この議論はまず第一に、核保有国中国(および北朝鮮)の存在を前提としている。これら周辺核保有国による核恫喝を防ぐためには核抑止力を持つ必要があるが、アメリカの核の傘では不十分なのである。それは、先日のエントリーでも伊藤貫氏の議論を紹介したように、日本への核攻撃に対してアメリカが自国の市民を核攻撃の脅威に晒しながら中国を核攻撃することはあり得ないからである。
というわけで、日本は核兵器を持たなければならないことが論証された。ことになっているのだが、これは「リアリスト=パラダイム」に乗っかっているから。
彼らの目には中国はものすごい悪の大帝国に見えるのである。一見勇ましげに見えるけれど、彼らは国際社会の仕組みに何の意味も見いだそうとしないから、恐怖の大帝国を前に怯えるばかり。核武装をして一国平和主義に閉じこもることになったというのが結局のところ本質か。
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9条をめぐる分裂
内田樹らによる「9条どうでしょう」(毎日新聞社)を読んだ。内田樹を筆頭に4名の論者による憲法9条論。改憲派・護憲派の「二元論的スキーム」から自由な憲法論を指向している。基本的に現憲法を改正する必要がないという結論なのだが、おもしろかったのであっという間に読めた。護憲派もしばしば自らの立場を天まで持ち上げて語りがちだが、この「どうでしょう」という脱力感のもとに語られる9条周辺のあれこれが現実とかみあってくる。これから憲法をめぐる論争は本格化すると思うけれど、この本の論点くらいは護憲派もきちんと押さえておかなければいけませんね。
それにしても題名が何となく「水曜どうでしょう」を彷彿とさせるのは偶然? 
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  • 理系研究者です
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