わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
05 | 2017/06 | 07
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新現実主義への批判【「反官反民」(中野剛志著)を拾い読みする②】
今日の世界の流れや日本の立つべき位置を洞察するうえで極めて重要な認識の一つに、「現実主義」をどうとらえるかということがあるだと思う。

現実をできるだけ合理的に理解することは、問題の解決にとって重要であることは間違いないだろう。その際、現実主義者たちは軍事や経済といった計量可能な指標のみに頼ろうとする。そのほかの要素は不確実性も大きく、合理的現実理解には逆行するととらえる。例えば核兵器を忌避する、といった行動原理は、計量可能でないために捨象され、そのようなことを国際政治の現実問題を考量する際に持ち出すのは非科学的だ。と主張される。
このような一見反論しにくい現実主義は実は非科学的なもので、現実を理解する指針とはなりえないということについて、僕は「核兵器使用を阻止する力」(2006年4月28日)というエントリーで主張した。

核兵器の使用を許さないと考える人々の運動は、明らかに後者の考え方である。国際世論などというものに依拠をする、現実を見ない空想主義ということになるだろう。したがって、「リアリスト=パラダイム」からは全くの無意味な(愚かしい)行為だということになる。
しかし、戦後60年以上にわたって一度も核兵器が使われることがなかった、という事実についてもう一度よく考えてみると、それを「リアリスト=パラダイム」の立場からどう説明できるのかがよく分からない。「核の傘」によって守られていないはずの非核保有国の数々が「核武装国を相手とする戦争に参加」してきたにも関わらず、なぜ一度も核兵器使用がなされなかったのか。
つまるところ、核兵器をめぐる軍事力均衡とは明らかに別の要素が国際政治を実際に動かしていることを認めなければ、戦後政治は理解できないことを意味している。だから、核兵器を使われたくないと考える人々は、そう思う理由を主張しておおいにアピールすればよい。この行動は無意味ではないし、戦後政治の現実を見る限り、むしろ非核保有国に対する核兵器使用の決定的な抑止力である。


この直後にコンストラクティビズムという思潮を見つけ(「コンストラクティビストの核抑止論理解」, 2006年4月29日)、より強固な基盤の下にこの考えを主張できるようになった。

「はじめて核兵器の被害を受けた国民として、核兵器は持ちたくない」、「核兵器を使用することは倫理的に許されない」とか、「核脅迫に基づく国際関係は不当である」といった、「文化、規範」などが持つ「相互主観的な意味を知る必要性」が強調される。リアリズムの立場が「核戦力の均衡」という物質的側面に即して問題を理解する一方、「文化、規範」といったものを不確かなものとして考察から排除することによって、定量的、客観的な問題理解を可能にしようとするのに対して、コンストラクティビズムの立場は「文化、規範」といったものが事実国際社会を動かす客観的な実在であることを主張するのである。


そういえば、米国大学院への留学の中でこの思潮に大きな影響を受けた東大作氏の2005年5月13日付のブログからコンストラクティビズムの考え方見つけたのだった。

こうした思考に響きあう主張は、イラク戦争を推進しようとする者たちの「現実主義」を批判する立場から、当時中野剛志氏から3年も先んじて提出されていた(『発言者』2003年4月号)。

ブッシュ政権の戦略参謀たちは、軍事および経済を中心に政策を立案、というよりは「計算」しており、例えば文化、理念、精神、道徳、あるいは国民感情に対する配慮をまるで欠いているようである。しかし世界は、計算不可能な道義や国民感情によっても左右される。また軍事力や経済力ですら、それを産み、支える究極の力は、国民の精神力である。・・・
ブッシュ政権の戦略のように、世界を、軍事力や経済力によって動く国家間のパワーゲームとみなす思考は、アメリカの国際関係論の世界では「新現実主義」と呼ばれている。笑止な呼称である。世界が軍事と経済を中心に動いていると考えるのは、非現実だからである。(「反官反民」p. 26)


経済の問題の即して言えば、目に見えるGDPや国籍企業の利益などにのみ依拠して現実を評価する立場。安全保障の問題の即して言えば、相手を圧倒する軍事力を持つかどうかのみをもって安全保障政策を立案する立場。これらの、科学的に見えて実際には現実を左右する要素の大半を捨象する非科学的な立場を乗り越える論理を、我々は持っている。そして中野氏は、国民経済の構築という課題に焦点をあてて、現実に影響を及ぼし得る戦略的主張を開始して現在に至っている。僕は心からこの試みに期待をしている。
スポンサーサイト
イラク戦争・安倍晋三と中野剛志【「反官反民」(中野剛志著)を拾い読みする①】
この本は中野剛志の2002年以降の軌跡を収録している。

2002年といえば、イラク戦争の前夜である。2001年9月11日、僕は学究としての身分に便乗しての、京都から秋田への自転車旅行の途上だった。テントを張った北陸地方のあるJR駅の駅舎で、大事件を知らせるラジオのニュースをキャッチした。立ち寄り温泉の広間で、ビルに突っ込む飛行機の映像を呆然と眺めた。この日の同時多発テロはイラク戦争へと世界を導いていく。その過程における日本の体たらく。僕自身も旧ブログを始めた時期だった。
国際社会のルールを踏みにじるアメリカの独善的な行動にぐだぐだと追随していく日本政府と「保守」勢力。ネット上には現地に赴いて拘束された若者たちをあろうことか嘲笑し苛め抜く退廃しきった日本の世論。この状況を心底から恐怖し、嫌悪した記事をいまはなき旧ブログに書き連ねた。安倍晋三が「この国を守る決意」という著書を引っ提げて鳴り物入りで登場した。読んでみた。岡崎久彦の「理論」に心酔する安倍の姿にたちどころにこの政治家の限界を認識し、ブログに毒を書き連ねた。

本書「反官反民」の帯にはこうある。
「思想の確かさは、具体的な事象への判断によって試される」

イラク戦争、自己責任論、安倍晋三の登場。それぞれに関する中野剛志の主張が心に響く。同時代を僕は過ごした。そしてこれらの重要な問題について、判断を共有できた人物がここにいたことを確信できた。
個々の課題にとどまらない。「現実主義」が現実の何を見落としているのか。マニフェスト政治が何を殺したのか。近年の日本社会の流れに根底から共通する問題意識を中野剛志氏と共有できていたことを本書で確認できた。
僕は左翼である。そしておそらく中野剛志氏は左翼ではありえない。だが、具体的な事象への判断において本質的な共通点を確認できる。ここに日本の将来を展望したいと切に思う。
[READ MORE...]
「平和構築」東大作著、岩波新書
東大作氏については以前、核兵器問題に関するエントリーで触れた。日本に対して使用されて以降今日まで、一度も核兵器が実戦で用いられることがなかった理由について、しばしば主張される核抑止力論ではなく、核兵器の使用が許されないとする規範が国際社会に根づくことによる抑制効果こそが重要であることを、「コンストラクティビズム」の哲学的立場の紹介とともに、東氏は語っていた。
この著書「平和構築」で久しぶりに東氏との「再会」を得たが、当時の問題意識を国際社会の平和構築の問題に大きく広げて学問的業績を積み重ねつつあることがわかり、たいへんうれしかった。
[READ MORE...]
ご臨終メディア?質問しないマスコミと一人で考えない日本人 / 森達也・森巣博
森達也氏の問題意識はいつもの通り。ジャーナリズムの責任とそれに見合う覚悟を問うもの。そして、世論とそれに消費されるマスコミの相互作用による暴走への警戒。そして、恐怖に基づく他者への想像力の喪失が生み出す戦争へ向かう流れ。
引き続く犯罪や事故等による被害者と加害者の関係を前に、人々が今こそ持つべきメディアリテラシーの提示。そして、マスコミが潤滑油となってつくられる社会病理。メディアがインターネットも巻き込んで、社会基盤に文字通り網を張り巡らしていく途上にある現代社会において、彼の一連の議論がいかに射程広く問題を照射しているかに、改めて気づかされる。個々の論点では必ずしも同意できない点もあるが、彼のポジションがあまりにも貴重なので、トータルするとかなりポジティブな評価とならざるを得ない。
自分はJR西日本の事故の際に、暴走するマスコミと世論の様相を眺めながら、「被害者との『一体化』報道に対する疑問」「マスコミと『被害者の立場』」という2つのエントリーを書いた。これらの中で自分は、森氏が何を言っているのかも確認することなく、森氏のいつもの議論を紹介した。が、森氏の受け止めはその議論から演繹される通りであったことがこの本で明らかになって、少々ほっとした。

この本について言うと、森巣氏との違いを浮き彫りにするという本来の企画意図が必ずしも鮮明にはならないままに終わった感がある。森巣氏=論理・森氏=情動、という措定が必ずしも正鵠を射ていなかった点に問題点があったのかもしれない。
「きけわだつみのこえ」の戦後史 / 保阪正康
「きけわだつみのこえ」は戦没学生の手記を中心に編集され、戦争の矛盾に気づきながらその戦争に兵士として向き合わなければならなかったものたちの声を今に伝える貴重な書である。保阪氏のこの書は、「きけわだつみのこえ」を世に出してきた「日本戦没学生記念会」の戦後史の記録である。

[READ MORE...]


プロフィール

わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
    ↑は、日本最南端の碑

最近の記事

TBポリシー

このブログは、言及をした場合にトラックバックを送るという原則を堅持します。ただし、このブログに対する非言及トラックバックは許容します。理由はこちら

ブログ内検索

バナーエリア




「キャプテン」イガラシ全国大会版アニメ化を
応援しています
「キャプテン」近藤版も期待しています

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード

月別アーカイブ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。