わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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久しぶりに「小児病」を読む
久しぶりに本棚に眠っていた「共産主義における『左翼』小児病」(ヴェ・イ・レーニン著、朝野勉訳、大月書店国民文庫、1978年)を読んでみた。現代一流の書き手たちの文章に感じる知的興奮に匹敵するワクワク感をもたらしてくれる文章だ。レーニンが当時のドイツやオランダに生じた「サヨク」的傾向を正面からぶっ叩いた論文である。
当時の「サヨク」はこう叫ぶ(p. 35)。

共産党の支配はあらゆる政党支配の最後の形である。原則としてプロレタリア階級の執権に向かって努力しなければならない。そして、党のすべての政策、その組織、その闘争形態、その戦略と戦術は、これに適応しなければならない。このため、ほかの政党とのあらゆる妥協、議会主義という歴史的にまた政治的に寿命の尽きた闘争形態へのあらゆる復帰、あらゆる迂回政策と協調政策はすべて、断固として拒否されるべきである。


革命的闘争において当然共産党の指導下に入ってくるもっとも広いプロレタリア的な団体と層とを結集するため、最も広い土台の上に立った、また最も広い範囲の、新しい組織形態がつくりだされなければならない。すべての革命的な要素のこの集合の場所は、経営組織を土台としてつくられた労働者同盟である。ここに、労働組合を脱退せよ! というスローガンに従うすべての労働者たちが統一されなければならない。


実に「戦闘的」な言葉だ。だがこの言葉の衣を身ぐるみはぎ取ってみると、教条主義と日和見主義の混ざり合った本質が表れることを丸ごと明らかにする痛快な論文だ。

この論文からまず第一に何よりも感じられるのは、数々の出来合いのスローガンや公式ではなく、具体的な事実そのものや歴史的な経験に常に依拠し、謙虚に学ぶ姿勢である。これに対して当時の「サヨク」たちは、現実を観念から作り上げたスローガンで裁断してみせる。複雑な現実を捨象し、単純な「革命的戦術」に依拠しようとする。特に笑ったのは、「サヨク」たちの「議会主義は寿命の尽きた闘争形態だ」という認識に基づく議会闘争一般を否定する見解をいさめた次のくだりだ。

「数百万」または「数軍団」のプロレタリアがまだ議会主義一般に味方しているばかりではなく、あからさまに「反革命的」である場合、「議会主義は政治的に寿命が尽きた」などとどうして言えるのだろうか?! あきらかに、議会主義はドイツではまだ政治的に寿命が尽きていない。あきらかに、ドイツの「左派」は自分の願望、自分の観念的=政治的態度を客観的現実ととりちがえたのである。


また第二に強く感じられたのは、いかに依拠すべき大衆が反動的な性質を持っていようとも、あくまでも大衆とともに進もうとし、大衆とともに経験に学ぼうとする姿勢だ。議会主義についてこう語っている。「大衆とともにある」とはどういうことだとレーニンが考えているかがわかる文章だ。

ドイツの共産主義者たち(「サヨク」たちのこと)にとっては、議会主義は「政治的に寿命が尽きている」。だが、問題はまさに次の点にある。つまり、われわれにとって寿命の尽きたものでも、それを階級にとって寿命の尽きたもの、大衆にとって寿命の尽きたものととりちがえるべきでないということである。・・・諸君は、まさに全階級(その共産主義的前衛だけではない)、まさに全勤労大衆(その先進的な人たちだけではない)の意識と覚悟の現実の状態を冷静に注視する義務がある。・・・さもなければ、諸君はただのおしゃべり屋になる恐れがある。


いかに「反動的な」大衆であろうと、その大衆に対して語りかけ働きかけること。そこにこそ本当の革命家にとっての「学び」があると、レーニンは固く信じているのだ。

いかにロシアでの経験から謙虚に学ぼうとしているかがわかる文章がある。レーニンは、妥協は許される場合もあるし許されない場合もある、という。だが、具体的にはどういう妥協が許されないのか教えてくれないのか? そう我々は問いたいと思うことがある。だが、この問いは無意味だ。我々は我々の頭で考える必要がある。

・・・もちろん、政治では、ときには、階級間、政党間のきわめて複雑な・・個々の国の、また国際的な・・相互関係が問題となるので、あるストライキの「妥協」が正当なものか、それとも・・裏切り指導者の配信的な「妥協」か、等々といった問題よりもはるかに難しい場合が非常に多い。あらゆる場合に当てはまるような処方箋ないし一般的な基準をつくりだすことは、ばかげたことである。個々の場合を判断できるためには、自分の頭で考えねばならない。


僕らはよく物理学の法則について「適用限界」の話をすることがある。ニュートンの運動の法則は光速に近い速度で運動する物体には適用することができない。ミクロの物体の法則は量子力学による記述が必要だ。社会に対する法則性を論じようとするレーニンの語りにも同様の表現が登場する。そしてそれは古い社会主義者への敬意に彩られている。

新しい政治的思想の信用を落とさせ、それを傷つけるもっとも確実な方法は、それをまもると言いながら、それを不合理なものにしてしまうことである。なぜなら、あらゆる真理は、(老ディーツゲンが言ったように)それを「極端なもの」にし、それを誇張し、それを現実に適用しうる範囲外に押しひろげるなら、それを不合理なものとすることができるし、またそのような事情のもとでは、真理はどうしても不合理なものに変わらざるを得ないのである。



備忘として、まずはここに書き連ねておく。
特に、お題目を振りかざして現実を裁断しようとする傾向を、そして、「進歩的でないから」という理由で大衆を見限り、内輪でのみ通用する論理で現実と切り離された空想の戦術を描こうとする傾向を戒める教訓として。すなわち、現実に対する科学的なスタンスを忘れ去る誤りを戒める教訓として。
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また森達也を読んでみよう
森達也の著書との出会いは結構貴重だった。当ブログのリンクにも上位で掲げている通り。初期には、「マスコミと『被害者の立場』」というエントリーも書いている。
最近どういう本を書いているのか、と思ったらみつかった。「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機」

この本のタイトルが指し示す視点は、今日の僕の立ち位置を確固としたものとするうえで重要な一つの基盤となっていると実感することが多い。
報道されるさまざまな悲劇の当事者と、それに一体化する世論の陥穽の見事な解明。一方で、そのようなさまざまな悲劇の当事者たちを目の前にして僕らはどうすればよいのかに関する指針。
メディアリテラシーの応用問題として、彼の著書には非常にエキサイティングな経験をさせてもらっている。
この本で森達也を久しぶりに読んでみようと思う。この国の民主主義を根元から殺しかねない秘密保護法案と、自衛隊をアメリカの傭兵として売り渡す(というかただで渡す)集団的自衛権を認める動きが進む瀬戸際で、この世界を森達也はどう見ているのか。
最近は孫崎亨氏にも注目
最近、孫崎亨氏の書籍をいくつか読みはじめている。

「戦後史の正体」(創元社)は、米国の一貫した対日戦略を考慮に入れなければ日本の戦後史は読み解けないことを明らかにした本である。この明瞭なる事実を、主流をなす知識人も政治家も理解していない。その点では、左翼側も大差はない。隠然とした米国の支配は、安易には表象されない意識下の基層におかれた。この点を自覚的に乗り越えた主要勢力は、米国帝国主義による事実上の日本支配の実態を見抜いた再統一後の共産党のみだと思う。

また、「検証・尖閣問題」(岩波書店)は、こうした米国の戦略をリアルに見る観点から尖閣問題をとらえた場合にどう見えるかについて論じている。特に「太平洋戦争」からポツダム宣言受諾以降の占領政策に関する認識を変数として正しく導入した場合に、どのような尖閣問題観が開けるかについて、改めてよく考えさせられたように思う。共産党の尖閣問題に関する主張(北方領土に関する主張も含めて)は、こうした日米同盟的な制約から自由な立場から構築されているのだということを改めて痛感する。これは一つには明瞭な結論を見出せること(例えばヤルタ会談におけるソ連と米国による領土拡大への談合を糾弾することができる立場)につながっている。一方で、現実政治において日米軍事同盟の制約から自由になることが近い将来については必ずしも簡単ではないという現実を見たとき、日米同盟の制約を前提に置いた尖閣諸島論(北方領土論・竹島論)を組み立てておく必要性を感じた。尖閣諸島論の根底に、実は日本のかつての侵略政策への無反省と、米国による被支配への屈服が反映していることを、より深く理解することができる本だと思う。全部評価できるかどうかはわからないが、貴重な本であることは間違いないだろう。
「呪いの時代」(内田樹/新潮社)を読む
『呪いの時代』を読み始めてみた。

僕たちの社会における資源やプロモーション機会の分配がフェアではないというのはほんとうです。でも、・・・「だから、努力しても報われないのだ」という「説明」を自分に許してはならない。
・・・
「努力しても意味がない」という言葉を、あたかも自分の明察の証拠であるかのように繰り返し口にさせ、その言葉によって自分自身に呪いをかけるように仕向けるのが、格差の再生産の実相なのです。



自分の仕事場(大学)が格差の下に置かれている問題もあるかもしれないけれど、それを理由づけにし始めた途端に、本当の「格差の再生産」のプロセスが始まるのだ(主体におけるプロセスが本当の格差の再生産を招くのだ)ということです。肝に銘じました。

武道的観点から言うと、「問題に正解しなければならない」という発想をする人は構造的に敗者である



現在かかわっているいろいろなそれ自体は魅力的な、でもちょっと心構えを緩めると官僚的にも処理できてしまいそうな仕事の数々。「負けたくない」仕事たちなのだが、つまるところ所与の問題ととらえる(官僚の立場に落ちる)ことこそが「負ける」ことにつながるのである。

ウチダさんはいつもとても実践的なことを深いところから言ってくれる人だなぁ。自分のいる大学の条件を本当の格差にしてしまわないために、また、今かかわっている仕事を「負け仕事」にしないために、役立たせていただきましょう。どちらも実にリアルであり、チャレンジングなことですね。
あえて読む「体制維新―大阪都」
橋下氏の考えについては、いろいろ忙しいこともあってよくは存じ上げていない。ただ、教育基本条例については条文を少し読ませていただき、貧困な教育観を批判する記事を書かせていただいてはいる。
この間維新の会が大阪市長選挙、大阪府知事選挙に圧勝し、彼の存在感は一層大きなものとなり、来たるべき選挙でも勝ち馬に乗ろうと、自民も民主も秋波を送り始めている。だが、本当に彼の立場には、日本の明日を構想するだけの内容があるのだろうか? よく見極める必要がある。
そんな時に書店で手にしたのが、『体制維新―大阪都』(橋下徹・堺屋太一著/文春新書)であった。まずは読み始めることから。そのうえで対話をする必要がある。

今日の時点でまず感じたことを二つ。

堺屋氏は、長く続く日本の不況とデフレを克服するためには、人事や政策をいじってもダメで、いまこそシステムを変える必要がある。と強調する。ともかくも「構造を改革するのだ」ということだろう。確かに人のすげ替えや、根本を回避した政策の組み合わせでは立ちいかないというのはその通りかもしれない。だが、この間接している中野剛志氏や柴山桂太氏らと比較をするとなおさら、現在直面している問題に対する分析が感じられない。ともかく「変える」にしても、何をどう変えるというのか。この点では中野氏等の論にははるかに普遍性と見通し・具体性を感じられる。堺屋氏の議論は都合の良い成功事例の引用と、通俗的な日本社会論、比喩で成り立っており、基本的にはやはり作家の感性に依拠している。これで現代の問題に本当に対処しうるのか不安に感じられる。

一方、橋下氏の議論のうち、改革的実践者としての心構えについては、学ぶところも多いように感じられた。何ごとかを変えようという場合に、すべてバランスよく、すべての人を納得させて、何の強権もふるうことなく事が運ぶことがあるだろうか? 橋下氏を「独裁者」として嫌悪する向きが多いようだ。やや非常識に映る言動が「良識派」には許せないのかもしれない。だが、その実行が、一種の「独裁的」な手法を必要とする場合もあるのではないか? 「良識派」は本当にそれだけのことを実行し、市民の期待に応えることができるのか?
しかし、橋下氏もやはり問題の背景の分析には突き当たっていない。二重行政という「システムの問題」を取り上げ、市民生活に近い部分とより大きな戦略を担う部分に分けようという主張などについては、わからないでもない。だが、これは実のところ些末な「手」の問題ではないか?
危機に瀕する企業体等がその最後の段階でやたらと組織をいじりたがり、問題の本体と格闘できなくなっていく状態に似ていないか心配だ。危機をあおっているのだが、実は本当に深刻な問題の根源には気付いておらず、深刻さの下での焦燥感のみをエンジンとしているように感じられる。今回の橋下フィーバーも、結局のところ有権者を巻き込んだ巨大な焦燥の産物なのではないか。その印象がぬぐえない。


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  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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