わにぞう日記
日常のなかでいろいろと見たり考えたりします。でも、多くは忘却してしまいます。何かの時に思い出せるように。交流の中で意見が深められたり変わったりするのもおもしろいですね。
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五十嵐先生の「自衛隊を活かす」論
五十嵐仁先生も、自衛隊を活かす方向での護憲派の政策的発展が必要だという認識に立たれたようです。僕もそう思います。このことについては歓迎すべきことと思います。

改憲には賛成でも9条改憲には反対だという立場や9条改憲に賛成でもそれは自衛隊の「国防軍」化や「外征軍」化を阻止するための改憲だという意見もあるからです。
このような人々も味方にして「壊憲」阻止勢力を拡大するには、この問題についての回答を示さなければなりません。そのためには、自衛隊の役割と位置づけを明確にする必要があります。


まったく同感ですが、自衛隊の任務を「戦闘部隊」と「災害救助隊」に対立してとらえつつ、後者の役割の増大を第一の課題に挙げておられることについては、やはり失望の念を持ちます。

そのためには、第1に、自衛隊が持っている「戦闘部隊」としての性格と「災害救助隊」としての性格という二面性のうち、前者の役割を最小にして後者の役割を最大化することが必要です。<略>
阪神・淡路大震災以降、自衛隊は災害救助面で大きな役割を果たし、東北大震災や熊本地震での活動などもあって副次的任務への期待と評価が増しています。自衛隊に入隊する若者の志願動機の多くは「人の役に立ちたい」というもので、それはとりもなおさず被災者を救うことを意味しています。
このような自衛隊の活動の実際、国民の期待、隊員の希望というあらゆる面から言って、災害救助隊としての役割の増大と活用を図ることが合理的です。そして、将来は改組・再編して主たる任務と副次的任務を逆転させ、「自衛」の対象を軍事的脅威から自然災害へと移行しなければなりません。


自衛隊への国民の支持や若者の志望動機を、基本的に災害救助隊としての役割を持っていることへの評価に求める認識があるようですが、それはものすごく甘いと思います。自衛隊が増大する東アジア地域の軍事的脅威に対する備えとしての意味を認めている世論がむしろ優勢でしょう。ここから目をそらしてはいけません。
それ以降の議論には重要な提起が含まれているように思うだけに、なぜこのような雑な議論をされるのか、残念でなりません。

まさに軍事的な意味合いとして、自衛隊の装備はどのようにあるべきかを、まずは正面から議論しなければなりません。「自衛隊を活かす会」の本旨はそこにあると思います。その際の「最低限」の軍備が、「災害救助」を本旨とするような自衛隊組織で担えるとアプリオリに思い込める感覚が、すでに多くの国民からかい離していることを危惧します。五十嵐先生にはここにしっかり踏み込む議論をしていただきたい。まだ中途半端だと思います。今の議論では、国民の大方を味方につけることはできません。
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映画「真実の瞬間(Guilty by suspicion)」を観る
よしりんは「民主主義」を唱えるのは(唱えるだけなのはばかげているのはわかるけど、積極性を認めるのも)、欧米かぶれだと言いたげなところがある。民主主義のあり方や獲得の過程は各民族のものであると僕は思う。近年アメリカもイラクの事態など力づくで「民主主義の価値」を押し付けようとした側面は大きいと思う。冷戦中も「自由と民主主義の価値」を隠れ蓑にして代理戦争を行ってきた。
けれども、民主主義を欧米の価値だと断じるのもどうかと思う。例えばこの映画「真実の瞬間」に描かれている非米活動委員会によるハリウッドの「赤狩り」の過程を見る。米国ハリウッドも50年代以降は「民主主義の価値」など踏みにじってまったく恥じない国家であったことが鮮明に描かれている。
主人公のデイビッド・メリルが(またその親友のバニー・バクスターが)召喚された公開の喚問において非米活動委員会に抵抗した際の発言は、おそらく典型的な「欧米的価値」なのではないか。問題は民主主義が欧米の価値であるからなのではなく、民主主義の価値を欧米が実にご都合主義的にのみ弄ぶ場合があることにこそあるのではないか。

このシチュエーションにおいて発せられたディビッド・メリルの毅然とした発言には、僕は全面的に共感する。人の心の通った、等身大で人の歴史にしっかり根差した価値を僕はそこに見る。
「民主主義」という叡知と伝統(これは「真理」ではないのだ)は、ほかの諸伝統と同様、毅然と守り続けていきたい。
民主主義をそれでも目指す
よしりんは民主主義を批判する。
例えば、「杉並区の保育所建設に反対する住民」
ここでの見解は正しいと思う。民主主義は公論の発展を必ずしも保証しない。

でも思うのだ。民主主義は公論の発展の不可欠な前提であると。制度としての民主主義ではなく、公論こそ重要であることも僕は同意する。だが、民主主義的制度は全力で守らなければならない。さもなくば公論は窒息する。

よしりんの本も読み始めている。民主主義と国民主権、国家の存在は本来結びついていることや、軍隊の存在がそこに根差していることは、僕にとってはたいして意外ではないけれど、多くの人にとっては意外だろう。だが、大切な認識だ。みんなこのことをよく考えてほしい。軍隊は本来、それこそ国民主権を守るための存在でもある。

そのうえで、どういう社会と安全保障を構想するかが問われている。安倍首相の推進するような行き方しかないのかどうか。安倍首相の方法では日本と世界の安全保障は大きく後退するのではないか。このことが問われているのである。

それから、SEALDsはこのよしりんの批判をすでに克服しているのではないかと思う。一度発言内容から検証してみたいところだ(克服していないかもしれない可能性は排除できないですけどね)。
しばらくです。よしりんの最新のライジング紹介
blogの語源のごとく、人のwebページをlogさせていただきます。
よしりんのライジング。関岡英之氏の論考や、世良光弘氏の主張を活用して、防衛大学校教授の「トンデモ本」を論駁している。
日本は自主防衛できないのか。アメリカの言いなりにならざるをえいないのか。そんなことはない。

日本の安全保障政策を自主的に確立することが現政権に反対する勢力には求められる。
そのうえで重要な認識だと思うので紹介させていただく。

第173回「自主防衛のコストは大したことない」

日本のことは日本で守るのが当たり前だとやはり僕は思う。その立場から自衛隊や健全な日米関係を構想するのが本当は大切なのだと思う。そういうことを互いに考えられる選挙になるとよい。
エマニュエル・トッドの世界観
エマニュエル・トッドの世界の見方にかなり全面的に同意したい。
イラク戦争に対する本質的批判。

 「アラブ世界は国家を建設する力が強くない。人類学者としていうと、サウジアラビアやイラクなどの典型的な家族制度では、国家より縁戚関係の方が重みを持っています。イラクのフセイン政権はひどい独裁でしたが、同時に、そんな地域での国家建設の始まりでもあった。それを米ブッシュ政権は、国家秩序に敵対的な新自由主義的思想を掲げ、国家の解体は素晴らしいとばかりに戦争を始めて、破壊したのです」


イスラム国の見方も同感。

「『イスラム国』(IS)もイスラムではありません。彼らはニヒリスト。あらゆる価値の否定、死の美化、破壊の意思……。宗教的な信仰が解体する中で起きているニヒリズムの現象です」


この現象は宗教的原理主義などでは説明されえないのである。むしろすぐれて近代的現象だろうと思う。


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わにぞう

  • Author:わにぞう
  • 理系研究者です
    自転車で遠くに行くのが好きです
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